
4月から楽しみにしていた7月18日。
家族の協力あって、無事にチケットを手にして渋谷へ出掛けることができた。感謝。
ちょっと早めに渋谷について、妹と待ち合わせをして東急本店のDALLOYAUでお茶。
久しぶりの渋谷に気分もあがる。
初めて向かった[渋谷 WWW]
このライブハウスは、映画館を改装して新しくできたらしい。
ライブハウスといえば、お酒とタバコの煙のイメージなのだけれど、
この3年近くで変わったのか、タバコを吸っている人はいなかった。
妹は、用事があるのでライブには来れず、1人で参加。
今日ここにいる人たちは、みんな国吉亜耶子and西川真吾DUOを見に来ているんだと思うと
今までのライブでは感じられなかった不思議な感覚。
知らない人たちばかりで、亜耶子さんたちの多くの出会いをスゴいと思う。
そんなことを思っているとあっという間に開演時間。
さて、楽しみにしていた2時間が幕を開ける―――
[path]
ピアノの演奏が静かに始まる
西川さんによると、吉祥寺のスタジオで初めて2人が合わせた曲らしい。亜耶子さんは否定していたけど。
[その声は藍色の空で星になる]
西川さんの「ありがっと!」が印象的。気合いが違う!久しぶりにドラムの音を聞いた気がした。
[ボクの代わりにセミが泣く]
聞き慣れた曲が続く。
夏の終わりの歌です。
[サムタイム・サムデイ(仮)]
アルバムに収録しなかった曲。
亜耶子さんの口癖。
この時のMCを文章にして欲しい。私は確実には覚えていないから。
このあたりから、今までの抱き合わせのライブと違って、ワンマンなんだ!と感じ始めました。
西川さんが話して、亜耶子さんがつっこんで。あぁ贅沢な空間だな。
[レコード]
透き通った歌声。
実は、私たちの結婚式の披露宴で演奏をして欲しいとお願いしたことがあった。本人に直接頼むしか術を知らなくて、プロダクションとかも、当時はよくわからなくて、私が悪かったのかもしれないけど、結婚式の日取りと亜耶子さんたちのレコーディングスケジュールとが重なり、残念ながら叶わなかった。代わりに開場でCDをかけさせてもらった。
彼に(夫)私の好きなアーティストを見てもらって、共感してもらって気に入ってくれて、結婚式で歌って欲しいと思った私の考えに快く賛同してくれたことが、スゴく嬉しかったので、実現しなかったことが、残念で悔しくて仕方なかった。その思いを引きずっていたりして、なかなかライブに気持ちが向かなかったりした時期もあったけど、妊娠してお腹の中の子供に歌声を聴いてもらいたくて、2012年6月大宮のアルシェで行われた野外ライブに行った。今日は、大宮のライブぶりのライブとなった。
あの時、レコーディングしていたから、このCDがあるんだ。亜耶子さんの声を聞けるんだ。来れなくても私にとっては結果、よかったんだ。今までだって受け入れるチャンスはあったはずなのに、この曲の亜耶子さんの澄んだ歌声を聴いていると、今まで引きずっていたワダカマリがスッと解けていった。無駄にかかえていた荷物をひとつおろして軽くなった気分だった。
もうあとは楽しむだけ。
[パラグラフ]
[repeat response]
私は西川さんにドラムを習っていた夏がある。バンドを組みたいとか、何を演奏したいという目的はなかった。残念ながら、幼い頃からリズム感がある方ではないと知っていた。けど、苦手なものを克服してみたかったり、何か表現する術を学びたかった。実はドラムというよりカホンに興味があった。しかしタイミング悪く私は病気と闘っていた夏でもあり、レッスンに思うように通うことができなくなって辞めてしまった。西川さんには本当に申し訳ないと思っています。
[落書き日和]
私のチャレンジは、病気と闘った後も続いた。次は写真を撮影しにライブハウスへ出掛けた。きっかけは当時、初級シスアドの資格を取るべく会社に通いながら大原の講座を受けていた。クラスの人にバンドをやっている人がいて、たまたま写真を撮影していたら、見ていた男性が自分のバンドも撮影して欲しいと私に声をかけてくれたことからだった。対バンするバンドの人に名刺を配って撮影させてもらう。そんなことを繰り返して、知り合いが少し増えた。スゴく刺激的で楽しかった。その経験が私をカメラマンにさせてくれた。そしてもう1つ、ヴォーカルが欲しいと話している人がいたので、全く経験がないけど…と連絡をしてみた。今ではとても大切な出会いだったと思う。そのヴォーカルへの挑戦も結婚式場のカメラマンの仕事について、叶わずに終わってしまった。子育てが落ち着いたら、その夢をかなえるためにボイストレーニング受けたりして、その人と1回だけライブをやろうかな。なんて考えてみたり。
[東京]
聞き慣れたほっとする曲。
前の会社の先輩を誘って青山のライブハウスへ行った時にも聴いた曲で、茨城から出てきている先輩が共感したと言ってくれた曲だった。そのライブハウスで初めて亜耶子さんたちが演奏している時に写真を撮影した。月の綺麗なライブハウスだった。
高校3年生の夏、専門学校の体験入学をしていた時に亜耶子さんがやっていたバンド“NONAME”と出会った。バンドは私が専門学校を卒業して就職する時には解散してしまった。色んなライブハウスに迷いながら行った。最初の頃は場所が分からなくて、ステージが迫る亜耶子さんに電話してみたりして。
初めて行った渋谷ON AIR NEST、渋谷 屋根裏、渋谷7thFLOOR、初台DOORS、神楽坂DIMENSION、亜耶子さんがソロで活動を始めて、代々木 LIVE labo YOYOGI、四谷アウトブレイク、井の頭公園の野外ライブ。思い出されるだけでもこんなに。その時に仲のよい色んな人を誘って行った。その時こんなことを悩んでいたっけなとか、ひとつひとつ思い出される。
[お別れのうた]
[遺伝子ヒストリー]
スゴい迫力。力強い。
東京タワーからのライブ中継がネットで見れるという。その日、スゴく楽しみにしていた。しかし夕食の準備の時間になってしまったので、音声だけ録音した。あとからサイトで映像が見れることを知った。そのと時にしっとりとした折鶴のあとに聞いたこの曲、インパクト大だった。鳥肌が立った。
朝、車で通勤途中の夫から、ラジオでこの曲が流れた時に電話がかかってきた。
夫は、NACK 5を聞いているのだけれども、曲が流れたことも嬉しかったけど、それをわざわざ教えてくれるため電話を掛けてきてくれたことも嬉しかった。
[低空飛行]
[こんなに大きくなりました]
新潟県の川口町で生まれた曲。
この曲の話は、今までライブで何度も聞いてきたけど、亜耶子さんのお父さんを思って月を眺める曲。
今までは、幼い頃に亡くした亜耶子さんのお父さんが登場人物で聞いていたんだけど、私も3年前に父を亡くし、今日聞いたら私の父も登場するようになった。泣きそうになった。
ちなみに本当は、亜耶子さんと西川さんがスタジオで初めて合わせたのは、この曲らしい。
そして吉祥寺のバーミヤンか、ガストか、ココスか!?
[The freeze by phrese]
ドラムの大きな音に挑む亜耶子さんのグランドピアノ。対決だ。楽しい!
2009年5月に"antenna"、9月に"momentley"、2010年3月に"paragragh -節-"を出す前、私がカメラマンに転職しようと考えていた時に、このアルバム3枚のジャケット撮影の打ち合わせに参加させてもらったこともあった。カメラマンの硯谷 昭広さんに渋谷のTSUTAYAの上にあるカフェでお会いした。
Encore 1
[セレモニー]
亜耶子さんが友人の結婚がきっかけとなって書いた曲。ちょっとうらやましい。
Encore 2
[真珠道]
気持ちを込めないで歌います。
生意気にも言わせていただくと、亜耶子さんのラリルレロの発音が澄み切ったなと思う。
こうして私の人生の半分くらいを振り返ることのできる贅沢な2時間で、2人のことを実はそんなに知らない。着かず離れずの距離とでもいうのかという距離を保って過ごしていたつもりだったけど、私の人生には必要でかけがえのない存在だったということに気づかされた。
ライブ記念にアルバム"RECORD"を購入した。サイン列が出来ていたので、今日の記念にサインと日付を入れてもらった。何だか2人がとっても大物に見えて、サイン列に並んでいる時に話しかけることがドキドキでたまらなかった。私が何も言わなくても亜耶子さんは私だと分かってくれるのに。
階段を上がってライブハウスから出ようとすると、豪雨だった。しばらく待ってみよう。すぐに止むかもしれない。ライブの途中でしていた赤ちゃんの声。その子が家族といて、話しかけてみなくなった。すると私の息子の4日前に産まれた女の子さんだった。11ヶ月の子供の反応が知りたかったのだけれど、おとうさんがライブをしていて、何度もライブを体験しているらしい。すごいな、うらやましい。いつか息子にもライブを見せてあげたい。
そしていつの日にかまた、ライブハウスで写真を撮影して新しく出会いを増やして行きたいと思った。
ライブの感想にはなっていないけど、私はそんなことを思い出したり、考えながら過ごした2時間でした。