臓器移植を進めることの根底にあるもの、それは宗教観にあると思っている。
一神教の場合、「魂は神に救われる」との考えから、魂と肉体は同列ではなく、魂が大事になる。肉体は、あくまでも魂を宿すためにあるものであり、神と魂が一体になることを願っている。魂が一時的に宿る肉体は最終的に土に帰るものであるから、土に還るものをどのように使おうとも問題ない=臓器移植が比較的受け入れられる理由であると思う。
その点日本ではどうであろう。仏教と神教そして儒教の坩堝の中、肉体と魂はともに大事なものであるという考え方が一般的であろう。
これを医学に例えれば、西洋医学と漢方医学の差と思ってよい。肉体には魂が宿っているのである。その肉体を「脳死」だからといって、簡単に移植のために提供するには、抵抗が大きい。
これが、日本の「臓器移植」がなかなか進まない一因であると思う。
臓器移植を進めるためには、遺体は不要物である=使えるものは再利用=使えなくなっってから廃棄と割り切らなければならないと思う。
海外に移植に行かざるを得ないお気の毒な人がいるのは承知しているが、どのような考えで行っているのだろう?募金を募り、億という金額を調達して海外で手術する。当然、海外にも当然移植が必要な患者がいるが、それは健康保険のような公的なもので賄われているのだろうか?公的な資金で賄われない場合、お金を持っている者しか治療はできないことになる。
また、移植前に亡くなった場合、そのご遺体はどのようにしているのか?
他人の臓器を貰う=人の死を意味するが、臓器を貰いに行った人が不幸にも亡くなられた場合、そのご遺体はの死後臓器移植が必要な患者のために使われているのだろうか?
他人の死をもって己の命を長らえることをする以上、不幸にも移植前に亡くなられた場合、その遺体は「公」のものと考えなければ整合性が取れない。
あぁ~分からないことばかり、そんなことを考えながら夜の帳が更けてゆく。