金さんの「あっちこっち」Hot Line

大好きな奈良を走る金さんの東奔西走の日常活動録。家庭菜園や地域活動や、学校支援に走ります。

NO985 – 9月1日防災の日

2015年09月01日 | 自主防災活動

 

岩手県・山田町では住宅街を猛火が襲う。

9月1日は「防災の日」。92年前のこの日に起きた関東大震災の記憶を新たにして地震災害に備えるために定められた日。

 

7・11阪神淡路大震災は直下型地震の被害の大きさを。3・11東北大地震は、津波の恐怖を教えてくれた。

 

この3つの大地震で命を失った大きな原因は、家具や建物の倒壊によるよりも、津波にさらわれるよりも、地震の揺れが収まり、津波が引いた後に火災で命を落とした人が多いことだ。

宮城県で、津波に直撃された家々が炎に包まれる。

 

自衛隊が撮影した火災が発生している宮城県気仙沼市の状況(11日夜)[陸上自衛隊東北方面隊提供] (2011年03月11日) 【時事通信社】


 

関東大震災の折、犠牲者の9万人以上が火災で命を落とした。東京市(当時)では130余カ所から出火。激震で水道管が破壊されて消防能力を失った上、台風による強風にあおられ、46時間にわたって延焼。同市人口の67%強にも及ぶ人々が家屋を失い、当時の東京15区のうち下町6区では、8~10割が焼失した。という。

 

その中で、四方から猛火が迫る中、近隣住民の団結で焼失を防いだ地域がある。

 

現在の千代田区神田和泉町・神田佐久間町の一帯だ。


 そこでは地震発生後、老人や子どもを上野公園に避難させた上で、降り注ぐ火の粉に対して必死のバケツリレーで消火に努めた。時間差で次々と迫る猛火に知恵を出し合って立ち向かい、ついに火勢を食い止めたのは翌日の午後11時。実に約1日半にわたる消火活動で、消防署の助けもない中、住民の力で地域の約1600戸を守りきったのだ。

 この地域は江戸時代、材木商が並んでおり、多くの火事の出火元となった。その汚名を晴らそうと、日頃から用心を怠らないように努め、お互いが町の様子を知悉していたという。自分たちの地域は自分たちで守るという「近助」の精神が、大震災から町を守ったという話を聞いた。

 

約1日半の消火活動。消防署の助けのない中、住民の力で1600戸を守ったという。こんなことが本当にできるのか?と思った。

 

「自分たちの地域は自分たちで守る」と我々も言っているが本当にできるのだろうか?先日の避難所運営訓練を見ても寂しいものを感じる。

 

明日は、奈良市自主防災防犯協議会の役員会だ。50地区ある自主防災組織に何を訴えていくことが大切なのだろう。みなさんに知恵を借りよう!!

  

 

 

 「天災は忘れたころにやってくる」と、よく言われる。家族で初期消火や避難方法などを話し合うとともに、日頃から隣近所と交流を深め、いざという時に助け合えるよう語り合っていきたい。

 


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