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それはついさっきまでの話

これまで大事にしてきたものも
「今」ちがうならポイしていく。
そんな軽やかな決意です。

正義じゃ変わらない〜I do because I want〜

2018-11-03 23:16:18 | イキル


社会起業家、change maker という人たちは
自分の内発的動機、絶対人生で成し遂げたいことがある人たちというイメージがあります。

ただ、思いました。

その人達の言動、行動、在り方は
“一般”の人を遠ざけるのだと

「こんなに問題があふれているんだ。それを問題だと思わないなんてどうかしている!」
そういったメッセージを感じてしまう時があります。

そのため”一般”の人はそれを無意識/意識的に遠ざける
そして、遠ざかっている現状に理由をつける
・ボランティアでやるなんてようやるよね。
・私にはできない。
→ようやるわ。
→I can’t

I don’t because I can’t
I don’t because they and I are different
につながるのです。

先日のCMDで3つのNPOの代表が集いました。
究極的に自分がやりたいからやっている。
I do, because I want
だったのです。

これでいい。

正義を振りかざす人たちは
これじゃあ、世界は変わらない
レバレッジポイントに注力しないと!とか言うけれど、

うーん

それは終わってみて、レバレッジポイントだったよねという話であって。
んなもん、結果論なわけで
やる前は仮説に過ぎないわけです。

その施策が効果を発揮するかもわからないし
そもそもそこがレバレッジポイントかもわからない


んなことより、
I do because I want で進んだ方がいい。
ストーリーが大切とはよく聞きますが、根底にある気持ちはすごくシンプルでよい。
社会の意識を変えたい!〜で〜だから、〜をやるんだ!とか究極なくていい。
あなたの生き方をみて、周りが影響を受けるかもしれない。
そしたら連鎖するかもしれない。



それでいい。まず、それでいいんだ。という気持ちになれると
優しくなれると思います。

左手の出現 静かなぼく

2018-10-20 21:22:24 | イキル
SETDaysやってきました。
SETDaysというのは年四回、様々な関わり方をするSETメンバーが実際に集まる機会です。9月だけ、広田で行われます。2泊三日で40人が参加しました。

最近、代表三井と一緒にティール組織を勉強しています。
・自主性(やりたいことをやる。指示に頼らない)
・存在目的(組織がどうあるべきか対話をし続ける)
・全体性(分離を生まない)
という三つのキーワードを個人、チーム、組織、社会のレイヤーで書かれています。
それを参考に、SETを一歩進めるために2泊三日やったのは
「内省&対話」
以上
徹底的にお互いと自分を深く知ろう。それがこの先のSETを作っていくコアネットワークになる。ということで実施しました。

内省するSETカフェ事業部長

深い内省と対話で気づいたのがこちら

あ、おれ左手もある。

どういうことかというと、
今までぼくは自分のことを
目立ちたがり屋、リーダーシップを取るタイプ、活発で、面白いことが好き。といった奴だと思っていました。
それが心地よいし、在りたい自分でもあったので。


ずーっとそうだったので、無理しているつもりもなかったのですが、
SDMに入り、出会う人が同い年だけじゃなくなると、妙に緊張したり、引っ込み思案になったり、静かな自分もいることに気づいていました。
そして、それが「自分らしくあれてない」と嫌なことだと思っていました。

ただ、今回
「自分は大した奴じゃないのかもしれない」と気づきたくない自分がいたことに気づきました。
何かを成し遂げたい。普通の人とは違いたい。
そう思われたいし、自分をそう思いたかった。
SETではコアで年長者になってしまったため弱さを出すことがもともと苦手なのに、
それがちっともできてない自分がいました。
みんなをひっぱり、場を盛り上げることばかり考え、内面に沈み込めない自分がいました。

それを認めると
すごい楽。



元気なぼくが右手。だとすると、実は全然使ってない(でも確かに自分な)左手があった。
左手を意識すると、
まず、テンションは下がります(盛り上げようとしなくなるので)
すると、意識が自分の内側に向きます。
心と体のコンディションに気づきます。
わずかな緊張、不安、ざわざわに気づきます。
この心のさざ波を聞こえるようになるまで自分のボリュームを落とす。
本来両手を使うところをあまりに右手しか使ってこなかったので、まだまだへたっぴなのですが、

あ、こういう自分いた。そしてその自分を認めたことで
自分は次のフェーズに行ける気がしました。

偽ってるわけじゃないけど、でもあまり現れない自分いませんか?

自己満足力〜サンボマスターが無性に響くとき〜

2018-06-17 22:09:40 | イキル


【自己満足】
自分自身または自分の行為にみずから満足すること。—広辞苑—

久しぶりに更新です。僕は慶應義塾大学院システムデザインマネジメント修士2年となり、相変わらず、非営利組織の幸福度、満足度、感動を追って研究をしています。
僕は、人類にとって千差万別の「幸福」を統計分析、因子解析を駆使して研究している前野隆司先生のゼミに所属しています。SDM入学当初はそこまで考えなかったですが、素晴らしい学問だと思います。
先生の主張を僕なりの言葉で言えば、「幸せに生きることはスキルである。健康と一緒で、どこを鍛えればいいのか、どう鍛えればいいのかがわかればだれでも幸せに生きられるのだ」ということです。
僕の所属するNPO法人SETはほぼ全員がMission(創りたい社会像)、Vision(自分の在りたい姿)を持っています。(現在団体内に浸透させようとしているところです。)
僕の過去のMissionは「自分らしく生きることを社会が強く応援する社会」だったのですが最近、「みんなが自分を幸せにできる社会」に変えました。

というのも別に全員がMission,Visionに生きなくてもいいんじゃね。って思ったからなんですね。
接する広田のじーちゃん、ばーちゃん。僕らSETと二人三脚で頑張っていくぞ!っていう人もいますが、別にMissionやVisionなどどうでもいい人もいます。
僕は、自分の、仲間のMission,Visionを大切にする。ただ、別に全人類が持たなくても良い。
「おれはダメだから、いっつも部下や上司に助けてもらっちゃってよお、ありがたいねえまったく。んでもって金曜に飲むこのビールがうめえんだよなあ。おれはこうやっておごることしかできないけどよ。くう〜。でも明日は息子の野球の手伝いだよ。まったく参っちまうよなあ。」っていう新橋のサラリーマン。それが、その人を幸せにする方法ならそれでいいわけです。(それどころか愚痴ともとれるこのセリフには幸せのエッセンスが詰まっています)



さあて、本題の自己満足力。
果たしてどのくらいの日本人が「自己を満ち足らせる力」を持っているのでしょうか。

自己満足は自分のことしか考えてない。偽善である。ダメだ。

こんなイメージがあると思います。僕はありました笑
だから、助成金なしでがんばっている現在のSETの活動を「ボランティア頑張ってるんだね。えらいね〜」と言われると「ボランティアじゃない!」そう思う自分がいます。
ボランティアは、本人の善意だけで行われ、継続的な支援が望めない。かつ、表面的なことしかできず、本質的解決に至らない。本人たちが気持ちよくなる偽善、自己満足だ
いささか言い過ぎではありますが、こういう感情、思考が僕にはありました。
でもやめました。

社会的活動をする人に対して「それ、本当に役に立ってるの?自己満足じゃないの?」という言葉の98%は「僻み」です。自分が動かないから、動いたところで意味はない。自己満足だ、偽善だと言いたいわけです。暇ですね。実に暇です。
暇なのは構わないし、頭でっかちで行動できないのも構わないですが、「自己満足をがんばる」人たちを邪魔しないでいただきたい。

幸福な人はそうでない人と比べ創造性が3倍、生産性が1,3倍という研究があります。
ボランティアして、「あーいいことしたなあ」って帰る人たちがいる。一緒に活動した人たちとの思い出に浸り、また頑張ろうという人たちがいる。その人は間違いなく幸せですし、幸せな人たちに接してもらった人は幸せになれるのでとても効果が高いわけです。そんな活動は続いていくことも予想されます。
自分の活動をアピールする人もいます。いいじゃないですか。がんばったんだから。僕は幸せです!それを言って何が悪い。
それを自己満足だ!って思うのはてめえが不幸なだけです。
もしあなたが98%の人でないならば。あなたが2%なら。
あなたはその人に電話をかけ、「もっと〜したほうが対象の人を助けられると思う!何かできることはあるかな?」と言うのでしょう。

別に誰かを攻撃したかったわけじゃありません。
「自己を満ち足らせる力」すごくシンプルで、難しい人には難しい。
「自己満足」自体は持つべきものだと思います

【自己満足】
自分自身または自分の行為にみずから満足すること。—広辞苑—

「自己満足」という言葉をシンプルに見つめ、自己満足の優先度をあげてみてはいかがでしょうか。

自己満足力を持っている人はせいぜい数パーセント。もし、日本人全員が自己満足力を持ったら。
国内はますます幸福度が高まるでしょう。
海外にもその幸福度は伝播するのではないでしょうか。

自己満足だろ。と言われてるあなた。僕はエールを送ります。あなたはあなたを幸せにしてください。
その幸せは感染ります。まず、あなたが幸せになることが価値なのです

サンボマスターが無性に響くとき、それがいい状態の僕です。
ぼくはこの場所で、僕で在ることで幸せになろうかと思います。


脱力投球

2017-05-22 23:55:10 | イキル
やりたいことをやるんだ。といって、
「学生修了したら一年間はこの町に住んでフルコミットするんだ。」と決めたことがあります。
「自分が楽しいと思えることだけで生きて行くって本当に厳しいこと。でも絶対それを成し遂げてやる!うおおおー!」と心に誓ったことがあります。

ワクワクすることがいわゆる「ふつう」のことじゃないことが多く、ワクワクに心が震えちゃったら絶対無視しない!
そうやって元気いっぱい全力疾走してます。

でも疲れる時もあります。
ふと思いました。



「やりたいことをやる。」時に大事なことは「力(りき)まないこと」なんじゃないか。

全力疾走せずにプラプラ歩いてみたい。
日なたが熱けりゃ日陰を選んでいい。あれ、ここ変わった?とか言いながら。
その日の気温を肌で感じ、
風の匂い嗅ぎ、
道端の雑草とかを見てみたり、空を流れる雲で空想したり
小石をドリブルして途中までのお供にしたりしながら歩けばいい。



楽しいことをやる。やりたいことやる。って人は本来、そういうことにすごく興味関心があった人なはず。
目的地まで全力疾走したら気付けないこといっぱいあるよ?
うっかりすると自分の性質を起点とした行動が、本来の性質にそぐわないことをやってしまったりする。自戒自戒。

脱力してる人は、やりたくないことをやるほど元気じゃない。疲れるだけだもん笑
楽をしていい。「たのしい」と「らくちん」に同じ感じがあてられるのはそういうことなのかも

なんか、そんな感覚をもった。