【自己満足】
自分自身または自分の行為にみずから満足すること。—広辞苑—
久しぶりに更新です。僕は慶應義塾大学院システムデザインマネジメント修士2年となり、相変わらず、非営利組織の幸福度、満足度、感動を追って研究をしています。
僕は、人類にとって千差万別の「幸福」を統計分析、因子解析を駆使して研究している前野隆司先生のゼミに所属しています。SDM入学当初はそこまで考えなかったですが、素晴らしい学問だと思います。
先生の主張を僕なりの言葉で言えば、「幸せに生きることはスキルである。健康と一緒で、どこを鍛えればいいのか、どう鍛えればいいのかがわかればだれでも幸せに生きられるのだ」ということです。
僕の所属するNPO法人SETはほぼ全員がMission(創りたい社会像)、Vision(自分の在りたい姿)を持っています。(現在団体内に浸透させようとしているところです。)
僕の過去のMissionは「自分らしく生きることを社会が強く応援する社会」だったのですが最近、「みんなが自分を幸せにできる社会」に変えました。
というのも別に全員がMission,Visionに生きなくてもいいんじゃね。って思ったからなんですね。
接する広田のじーちゃん、ばーちゃん。僕らSETと二人三脚で頑張っていくぞ!っていう人もいますが、別にMissionやVisionなどどうでもいい人もいます。
僕は、自分の、仲間のMission,Visionを大切にする。ただ、別に全人類が持たなくても良い。
「おれはダメだから、いっつも部下や上司に助けてもらっちゃってよお、ありがたいねえまったく。んでもって金曜に飲むこのビールがうめえんだよなあ。おれはこうやっておごることしかできないけどよ。くう〜。でも明日は息子の野球の手伝いだよ。まったく参っちまうよなあ。」っていう新橋のサラリーマン。それが、その人を幸せにする方法ならそれでいいわけです。(それどころか愚痴ともとれるこのセリフには幸せのエッセンスが詰まっています)
さあて、本題の自己満足力。
果たしてどのくらいの日本人が「自己を満ち足らせる力」を持っているのでしょうか。
自己満足は自分のことしか考えてない。偽善である。ダメだ。
こんなイメージがあると思います。僕はありました笑
だから、助成金なしでがんばっている現在のSETの活動を「ボランティア頑張ってるんだね。えらいね〜」と言われると「ボランティアじゃない!」そう思う自分がいます。
ボランティアは、本人の善意だけで行われ、継続的な支援が望めない。かつ、表面的なことしかできず、本質的解決に至らない。本人たちが気持ちよくなる偽善、自己満足だ
いささか言い過ぎではありますが、こういう感情、思考が僕にはありました。
でもやめました。
社会的活動をする人に対して「それ、本当に役に立ってるの?自己満足じゃないの?」という言葉の98%は「僻み」です。自分が動かないから、動いたところで意味はない。自己満足だ、偽善だと言いたいわけです。暇ですね。実に暇です。
暇なのは構わないし、頭でっかちで行動できないのも構わないですが、「自己満足をがんばる」人たちを邪魔しないでいただきたい。
幸福な人はそうでない人と比べ創造性が3倍、生産性が1,3倍という研究があります。
ボランティアして、「あーいいことしたなあ」って帰る人たちがいる。一緒に活動した人たちとの思い出に浸り、また頑張ろうという人たちがいる。その人は間違いなく幸せですし、幸せな人たちに接してもらった人は幸せになれるのでとても効果が高いわけです。そんな活動は続いていくことも予想されます。
自分の活動をアピールする人もいます。いいじゃないですか。がんばったんだから。僕は幸せです!それを言って何が悪い。
それを自己満足だ!って思うのはてめえが不幸なだけです。
もしあなたが98%の人でないならば。あなたが2%なら。
あなたはその人に電話をかけ、「もっと〜したほうが対象の人を助けられると思う!何かできることはあるかな?」と言うのでしょう。
別に誰かを攻撃したかったわけじゃありません。
「自己を満ち足らせる力」すごくシンプルで、難しい人には難しい。
「自己満足」自体は持つべきものだと思います
【自己満足】
自分自身または自分の行為にみずから満足すること。—広辞苑—
「自己満足」という言葉をシンプルに見つめ、自己満足の優先度をあげてみてはいかがでしょうか。
自己満足力を持っている人はせいぜい数パーセント。もし、日本人全員が自己満足力を持ったら。
国内はますます幸福度が高まるでしょう。
海外にもその幸福度は伝播するのではないでしょうか。
自己満足だろ。と言われてるあなた。僕はエールを送ります。あなたはあなたを幸せにしてください。
その幸せは感染ります。まず、あなたが幸せになることが価値なのです
サンボマスターが無性に響くとき、それがいい状態の僕です。
ぼくはこの場所で、僕で在ることで幸せになろうかと思います。