それはついさっきまでの話

これまで大事にしてきたものも
「今」ちがうならポイしていく。
そんな軽やかな決意です。

想像力と微力感

2018-10-29 16:45:08 | 思想
Change Makers Day(半年に一回CMSP関係者が集まるイベント)やってきました!今回は会場内に100人弱が集まるという最大規模のものでした。

90分のトークセッションに
NPO法人ソコアゲ 斉藤祐輔(ゆっけさん)
NPO法人コモンビート安達亮(りょうさん)
NPO法人SET三井俊介(三井さん)
をお招きし、Visionに生きるとは。について話しました。





会場からは
「自分らしく生きるとか難しい」という声が会場からありました。
実際「やりたいこと」を見つけるって難しいような気がしますよね。
すごく共感できるこの声と、トークセッションの話が僕の中では繋がったので書いておきます。



僕的に一番印象に残っているのが
想像力の話。
例えば、どの銀行にお金を預けるか今まで頓着しなかったけど、預けられたお金がいったい何に使われているかを想像することで自分の行動は変えることができる。安いからと言って買ったコーヒー豆、洋服。もしかしたら海外での児童労働の産物かもしれません。一方僕らは良いと思った記事をシェアすることで世の中に訴えかけることもできます
これだけ世界が繋がっている今、ちょっと想像を働かすだけで僕らの日常は世界の裏側につながります。


さて、この話から僕が思い出した言葉があります
それは

「私たちは微力だが無力ではない」という言葉でした。
(長崎の高校生平和大使のスピーチに出てくるそうです)
僕らは実際にあなたと社会と世界と接続している。影響しあえる。
でもすごく見えづらい。ただそれだけ。
そこに必要なのは想像力。その想像力さえあれば、無力じゃない。ことに気づけると思います。
これを「横の想像」。とします。



さあ、無力じゃない自分がいます。
すると
未来を想像したくなりませんか?
逆に、自分を無力だと思っている人は未来を想像しないと思いませんか?
だって、想像したところでできない未来しか浮かばない。想像することが楽しくないからです。



子供の頃。ぼくらは自分が思っているより微力なことを知りませんでした。
だから、なんでも想像、空想ができました。
学年中の女子から告白されちゃったら
運動会で僕のおかげで大逆転勝利とかいかすじゃん
クラスの男子いっぺんに喧嘩して圧勝しちゃうんじゃないか
プロ野球選手になってるんだろうな。
恥ずかしいですが、ふつーにこんなこと考えてました。
でも気づきます。案外自分はたいしたことないのです。


今、どうでしょう。僕らは自分が思っているよりも微力なことを知りません。
自分の人生の想像が、妄想、空想が始まらないのです。
仮にあったとしてもそれは未来を考えて見てるだけ。
誰かの、みんなの、「予想」を見て、自分もこうなるんだろうな〜って思ってるだけです。
でも、気づきましょう。案外僕らは無力じゃないのです。
これは「縦(未来)の想像」と言えるのじゃないでしょうか



想像するのは自由。それこそ自由に想像していいのです

横の想像をしてみる
自分が無力じゃないこと自覚をする
すると縦の想像ができるようになる


想像を阻む無力感を微力感に変えてみる。
ただそれだけなのかもしれません。

ですし、CMSPというプログラムで、SETという場所で、自分と周囲(横)を、自分の人生(縦)を想像することを楽しいと思える人を生み出していきたいと改めて思いました。


CMSPは次の半年間でいよいよ広田町全地区での実施となります!



想像越えマネジメント②〜狙うには〜

2018-10-24 11:54:02 | 組織


想像越えマネジメント①続きになっています)
では想像を超えるにはどうしたらいいのでしょうか。

大前提:定型の答え、やり方がないことを自覚すること。
半信半疑、情熱と柔軟性。が重要です。
一回目の成功要因を分析し、二回目に生かそうとした。が
それを盲信してしまった。信じ、情熱を注ぎまくったのです。
二回目のぼくはきっと、プロジェクトが走り始めないとわからない様々な雰囲気、機微、サインを見落とし続けたのでしょう。

その大前提がある中で
僕がすべきだと思うことは
①種を蒔き続けること
②雰囲気をみんなとつくること

です。

この施策がクリーンヒットするなんてわからない。が、
今回咲かないかもしれない未来への種を諦めずに蒔き続けることでしょう。
施策というほど厳かじゃないものかもしれません
伝えるメッセージだったり、とるコミュニケーションだったり、勉強かもしれません。

②想像を超えるがウェルカムである雰囲気をみんなでつくること
「意図をもって」あるいは「なんでかしらんが、感覚的に」計画と違うことをすること。
逆算、直線の世界とは違った見方、行動することをウェルカムすることです。


例えばもう一度チームの力を信じてみる


①、②の中で、人、チームにスイッチが入っていく。
その時に生まれる力ってすごいし、
その体験をみんなでもつことは本当に一人一人の人生にとって意味があることです。

想像を超えるをマネジメントする。
マネジメントという逆算的、直線的思考ではありません。
期待と想定をして、種を蒔きつづけ、最高な雰囲気で実践すること。
すると確率が上がっていき、振り返った時に「マネジメントしていた」ということになるのでしょう

可能性を信じていたい。あっと驚く何かを掴む瞬間をぼくは仲間と作り続けたい
半年前にできなかったあり方としての問いを今なら持てます。
ただ、信じすぎてはいけない。情熱&柔軟性(´▽`)




次の世界のノックは聞こえている

2018-10-24 07:19:57 | 思想

人口増加を前提にした様々なシステムが制度疲労を起こしている今、
社会のあり方を人々の生き方から問い直し、「人が減るからこそ豊かなまち(社会)づくり」
をするというのがSETの掲げることです。
一般の生き方をしている人たちより、お金、ものへの優先度は低く、あり方に重きを置いていますが、お金なんてどうでもよくて霞食ってりゃいいとは思っていない。
Social ValueとEconomic Value の両立というのがSETの目指す方向です。


先日東京大学院所属のオーストラリア学生の方が、はるばる広田に来てくれました!

社会は
農業、工業、デジタルと進んできて、これからクリエイティブの時代になってくる。そうすると人口なんて関係ないし、
経済的価値があるとして評価されるものも変わると思う。
だからSETの言う豊かさを経済的に評価する時代が来るかと思う。
という話。

たしかにたしかに。
評価される経済活動が変わってきた

経済活動を適切に評価できなくなってきた
というのがありますね。


「資本主義さんの部屋」があるとして次の「方」がドアをコンコンしています。
何も地方で活動していなくたって、この"ノック"を感じることはできます

たとえば今急成長中のメルカリの価値をGDPで測ると過小評価になる。
十円で種買って、栽培し千円で売る。これが元手よりも高く売る(付加価値をつける)ことであり、GDPの数値を押し上げるものです。
使わなくなった自転車を持つAさんと、欲しいBさんのマッチングを行うメルカリをGDPで評価されると手数料のポイントだけになってしまいます。
メルカリの価値は本当にそれだけなのでしょうか




メルカリコンセプトは「捨てるをなくす」
需要と供給の均衡から市場価格が決まり、(GDPの)成長を目的とした結果、生産→消費→廃棄の流れで人々を「豊か」にしてきたのが資本主義です。ご存じのように、「大量に」すればするほど「豊かに」になれます。
お分かりのようにメルカリの価値を正当に評価しようとするとこの構造にはそぐわないのです。

かつて、資本主義は資本家のもとで一極集中したほうが規模の経済性が働き、安価で多く早く生産することができ、それが需要を満たしてきました。
が、世界中の人がネットにアクセスできるようになったこととAIの進歩によって、メルカリで言うところのAさんとBさんが簡単に会えるようになった。
それまで「コスト」を理由に大量生産の陰に隠れていた
オーダーメイド(自分にぴったり)さ、ストーリーなどが評価され始めています。

おそらく主流であったGDPでは計れない新しい経済指標が生まれることでしょう。

たとえばSETの言う「豊かさ」を測れるようになる。

が、構造的に面白いのは

すでに従来の資本主義ではない豊かさを得ようとしている人たちは、究極本物かどうかを自分の目で見極めるので、指標がいりません笑
たとえばXというもの取り入れる(買うという表現はあえて使いませんでした)のは「自分らしいから、あなたから買いたいから」であり、指標はいらないのです。
一方
従来型資本主義の豊かさの方々は、指標を求めますが、おそらく、「なるほど、今の若者たちにとっての人間関係は我々の〜円に相当するんだな」と根底では思ってしまう。全く新しいものなのに、自分の価値観と翻訳できると思って接するため、指標の話になっても本質的ではなくなってしまいます。

だから指標化しても伝わらない。
SETがやるのは仮に小規模でも少人数でもいいので現実をつくること。
「ここではできる。」を生み出すこと。
それが生き方から社会を見直すということなのだと思います。


大学院で思考する日々だからこそ、こう捉えるという自己矛盾もあります笑

想像越えマネジメント①〜CMSP仲間集めは何がまずかったのか〜

2018-10-23 11:50:05 | 組織
人ってモチベーションが高まった時に、想像を超える力を発揮する。
自分でやる、自分で責任を持つ、試行錯誤する、勉強する、結果がでる
→それが全て自分の行動の結果だからとにかく糧になる。

スイッチが入った人の成長は著しいですよね

人を育てる、人が育つ環境をつくる際に、上記の思考をやはり根本におきたい

「想像を超える」は文字通り、管理できない。狙えない。再現性がない。そう思っていました。

僕自身、成功体験と苦い失敗体験があります。
CMSPは参加費が8万円のプログラムですが、その95%はスタッフの口コミで参加者を集めています(集客ではなく、仲間集めと呼んでいます)
大学生参加者にとって1週間8万円というのは決して安い金額ではありません。
2018年度春休みの時は史上最多の124人をマークし、120人の目標を上回りました。
その経験を生かした18年夏では114人になってしまいました。売り上げとしては100万円弱下回りますし、何より掲げた目標を達成することができませんでした。

どちらとも全体計画を練る立場で行いました。
なぜ、ノウハウが溜まった二回目は失敗したのでしょうか
それは

<二回目の失敗の最大要因は、一回目の成功の最大要因を見誤ったことです。
(正確に言えば、「そうじゃないかもしれない」という疑念を一切持たず、盲信してしまったことです)

全てが逆算で、計算で見積もれると思っていた僕は
%の計算を繰り返し、行動ベースで全体を管理しようとしました。
例えば、スタッフが参加者を口説く際の「質」は管理できない(コントロール外)だけど%を算出し、分母を増やす行動は管理できる(コントロール内)と思っていたことです。
一回目の時は確かに上記方法を取り入れましたが、スタッフチームが一丸となって目標に向かって挑む熱がありました。

その熱には再現性がないと感じ、二回目には数値計算に重点をおき、結果ある程度の結果が出たものの、目標には到達しませんでした。
やらされ感、疲労感がチームに漂っていた気がします。


直線的、逆算的思考だと「見積もり可能」という幻想に陥る


今思うと、「人の可能性を信じる」SETにいて、究極的に「全て見積もり可能」と思っていたぼくは
傲慢だったと思います。
また、仮にうまくいくかもしれないとして、その仕事の仕方でいいのか、人との接し方でいいのか、生き方でいいのか。そんな問いを自身に投げられなかったことが非常に悔しいです。

②に続きます

左手の出現 静かなぼく

2018-10-20 21:22:24 | イキル
SETDaysやってきました。
SETDaysというのは年四回、様々な関わり方をするSETメンバーが実際に集まる機会です。9月だけ、広田で行われます。2泊三日で40人が参加しました。

最近、代表三井と一緒にティール組織を勉強しています。
・自主性(やりたいことをやる。指示に頼らない)
・存在目的(組織がどうあるべきか対話をし続ける)
・全体性(分離を生まない)
という三つのキーワードを個人、チーム、組織、社会のレイヤーで書かれています。
それを参考に、SETを一歩進めるために2泊三日やったのは
「内省&対話」
以上
徹底的にお互いと自分を深く知ろう。それがこの先のSETを作っていくコアネットワークになる。ということで実施しました。

内省するSETカフェ事業部長

深い内省と対話で気づいたのがこちら

あ、おれ左手もある。

どういうことかというと、
今までぼくは自分のことを
目立ちたがり屋、リーダーシップを取るタイプ、活発で、面白いことが好き。といった奴だと思っていました。
それが心地よいし、在りたい自分でもあったので。


ずーっとそうだったので、無理しているつもりもなかったのですが、
SDMに入り、出会う人が同い年だけじゃなくなると、妙に緊張したり、引っ込み思案になったり、静かな自分もいることに気づいていました。
そして、それが「自分らしくあれてない」と嫌なことだと思っていました。

ただ、今回
「自分は大した奴じゃないのかもしれない」と気づきたくない自分がいたことに気づきました。
何かを成し遂げたい。普通の人とは違いたい。
そう思われたいし、自分をそう思いたかった。
SETではコアで年長者になってしまったため弱さを出すことがもともと苦手なのに、
それがちっともできてない自分がいました。
みんなをひっぱり、場を盛り上げることばかり考え、内面に沈み込めない自分がいました。

それを認めると
すごい楽。



元気なぼくが右手。だとすると、実は全然使ってない(でも確かに自分な)左手があった。
左手を意識すると、
まず、テンションは下がります(盛り上げようとしなくなるので)
すると、意識が自分の内側に向きます。
心と体のコンディションに気づきます。
わずかな緊張、不安、ざわざわに気づきます。
この心のさざ波を聞こえるようになるまで自分のボリュームを落とす。
本来両手を使うところをあまりに右手しか使ってこなかったので、まだまだへたっぴなのですが、

あ、こういう自分いた。そしてその自分を認めたことで
自分は次のフェーズに行ける気がしました。

偽ってるわけじゃないけど、でもあまり現れない自分いませんか?