かざぐるまの呟き

宮古吟詠会で詩吟を楽しんでいます。詩吟のこと日常のことなど呟いていきます。

12月最後の詩吟教室

2017-11-30 22:55:15 | 日記

 今年最後だというのに欠席者が多く残念でした。12月に入るとみの周りが急に落ち着かなくな

ります。皆さん忙しいのです。ともあれ男3、女3計6名で頑張りました。新しく加入した佐々木さ

んも初段の吟に挑戦。休まず出席するので詩吟の流れを大体つかみました。今日はゆうあい吟道大

会の写真を皆さんにプレゼントしてくださいました。有り難く頂戴いたしました。12月14日は

今年最後の食事会および吟納めになります。帰りに花屋さんでポインセチアを買いましたが白やピ

ンクがあるのには驚きました。しかしやっぱり赤ですね。花屋さんはまさに今が売り時でしょう。

明日は盛岡八幡宮で師範講座があります。準備をして早めに休みましょう。そらには冷たい14日

の小望月が光っています。

帰り支度をする教室 我が家の一員となったポインセチア

夜空に光る小望月


早くもお歳暮

2017-11-30 16:17:56 | 日記

 いつも頂く大迫の林檎です。立派な林檎の中に可愛い小さな林檎が入ってきます。原種でしょう

か。仏さんに飾りみたいに上げていますがアップで撮ると普通の大きさに見えます。遊び心のある

方といつも思っています。さあ、私もそろそろ考えましょう。きょうの空模様面白い雲が出ていま

した。昨夜の月は12日の月、今夜は13夜少々曇っています。朧です。

墨絵のような雲 今夜は13夜

珍しい小さい林檎  拡大するとこんなに見えます。


松村巨湫の碑

2017-11-30 13:22:46 | 日記

 陣屋崎を下りて黄金浜を見る。何たる景色、そして荒れ様、愕善とした。勿論初めて見るからか

も知れないが。かつて、ここには海浜学校と呼ばれる建物があり、まぼろしの三中といわれ二

年しか存在しない中学校があった。新しい学校制度6、3、3の始まりだった。その第1回の1年生

として入学した。机も椅子なくミカン箱を持参して午前午後の2部式で勉強した。たまには青空教

室と称し、1番岩で理科の授業もしたが中身はあまり覚えていない。1年間はその砂浜や、1番岩

2番岩、そして陣屋の山はちょっとした遊び場だった。2年生は水産高校の教室を借りての授業

だった。3年生になったとき一中と合併し、私は一中の卒業ということに。色々な思いでがぐる

ぐると回り始めたが目の前は、草茫茫セイダカアワダチソウがはびこり雑草が一杯。勿論あの大

震災でその後の建物も何もかも亡くなり、現状はこの通り。呆然としていたが、気を取り直し二

人の後をついて行く。巨湫の碑は、哀れだった。建てられたのは、62年前雅三さんの「きりぎ

しの」と同時に建てられ1番岩の上の方にあったそうだ。埋め立て工事の時だろうという。転げ

落ちて放置された。この様子を写し記事にしたのは、みやこわが町だったと思う。私も見ている。

今は、コンクリートの囲いの外側にしっかりした土台の上に建てられ、転ぶことはまずないと思

われる。しかし、人の目には付かないだろ。碑の前には板の塀があり、足場も悪く廃棄物も散ら

かっている。誰かが建て直し詩文の跡を青いペンキ様のものでなぞっていた。つまり松村巨湫

が宮古に来たときの作で、「沖の石や夏霧しぶく逢別れ」という俳句である。私たち吟詠会で

も吟じたことがある。コンクリートの囲いを乗り越えやっとの思いで写した。今回のようなこ

とは二度とできない。

黄金浜の今  巨湫の碑はこの辺り陣屋崎の下の駐車場の先

足場が悪くごみだらけ  青い色でなぞってある

クリックすると拡大できます。

 

 

 

 

 

 

 


陣屋崎に駒井雅三の碑を訪ねて

2017-11-29 17:54:44 | 日記

 足元に気をつけながら、碑に少しずつ近づいて行った。落ち葉が深いので地面がよくわからない

ので気をつけて歩く。二人はどんどん先にいく。やはり年齢の成せることで、三年前に右足首を骨

折したことを思い出してしまう。石碑が見えて来たときは嬉しかった。とうとう来たかと写真で見

たのと同じ石碑の前に立って碑文を詠んだ。文字の彫りは浅いように見えたが「断崖の涯なくつづ

き 蒼茫と 暮れゆく海よ うみねこの声」この歌を思わず声を出して吟じてしまった。眼下に広

がる景色は埋め立てられ、埠頭や材木置き場になり、さらに屏風のように浪よけのコンクリートが

張めぐらされすっかり変わっている。この碑は東を向いているとばかり思っていたが南向きだっ

た。木漏れ日が当たって穏やかだった。H氏から当時の話を聴いたり碑の回りをうろうろ歩いて

落ち葉をのけたりして一時を過ごした。風もなく私たちは落ち葉の上に腰を下ろし、串団子を食

べお茶を飲みながらおしゃべりをした。雅三さんは、ふるさとの海の美しさを詠み、写真ととも

に世に紹介した。このように変わるとは夢にも思わなかっただろう。眼下の海、白砂青松、変わ

りゆく景色を嘆いたかもしれない。3.11の大地震大津波をこの陣屋の崎で見ていた。しかし、

良いこともある。埠頭ができたおかげで大型の船が入港し市民に夢を、元気を与えてくれた。

日本丸、海王丸、パシフイックビーナス、飛鳥Ⅱ等、そして来年は、この碑の前のフエリー

バースにシルバークイーンが姿を現す。見ててください。

   木の間から見える下の景色

石碑の台は埋まり雅三さんの膝から下は埋まったということ

  天気もよく楽しみました。

40分ぐらいいて静かに陣屋を下りました。次は明日。後ろはホテル近江やです。

 

 


陣屋崎に駒井雅三の碑を訪ねる

2017-11-28 17:51:21 | 日記

 私は二度と登ることはないでしょう。地主(案内してくれたH氏)の話によると今訪れる人は

ないと。

 建立から60余年陣屋の様子が変わりました。磯鶏海岸の埋め立てにより、陣屋の東側の海に

続く一番岩がはなくなり、登れなくなった。私が子供の頃はそこからも登れた。ホテル近江や側の

歌碑の北側は山の土が掘られ、殆ど境目までない。(地主はM氏)放置されたままなので風雨にさ

らされ、頂上の境目辺りは怖くて足元がかなり危ない。今登れるのは、民家の敷地を通り脇から登

るルートのみ。しかし道はない。案内してくれたお二人は、鉈やノコギリを持参、先にたって枝を

払い足元の蔓を切って先導してくた。しかし、何度も足を取られて転びそうになった。今だから枯

れ葉が落ちて先が見えるが緑に覆われていたら何も見えないし、H氏曰く自分も登れないと。

 

 北村ガソリンスタンドから左に小金浜への道を行く。

切通し、右の山は越田山、左は陣屋の山、頂上に歌碑がある。

越田山の登り口。陣屋崎の登り口しかし民家の階段。ここを

通らないと行けないので今回は地主H氏の計らいで通らせてもらう。

民家の脇を通る案内人。山に上がる。比較的に見通せる。

 枯れ葉や腐葉土で足場がかなり悪い。ゆっくり進む。

頂上付近になると近江や側の土が削られ南側の斜面を歩くので危険。今日はここまで。