陣屋崎を下りて黄金浜を見る。何たる景色、そして荒れ様、愕善とした。勿論初めて見るからか
も知れないが。かつて、ここには海浜学校と呼ばれる建物があり、まぼろしの三中といわれ二
年しか存在しない中学校があった。新しい学校制度6、3、3の始まりだった。その第1回の1年生
として入学した。机も椅子なくミカン箱を持参して午前午後の2部式で勉強した。たまには青空教
室と称し、1番岩で理科の授業もしたが中身はあまり覚えていない。1年間はその砂浜や、1番岩
2番岩、そして陣屋の山はちょっとした遊び場だった。2年生は水産高校の教室を借りての授業
だった。3年生になったとき一中と合併し、私は一中の卒業ということに。色々な思いでがぐる
ぐると回り始めたが目の前は、草茫茫セイダカアワダチソウがはびこり雑草が一杯。勿論あの大
震災でその後の建物も何もかも亡くなり、現状はこの通り。呆然としていたが、気を取り直し二
人の後をついて行く。巨湫の碑は、哀れだった。建てられたのは、62年前雅三さんの「きりぎ
しの」と同時に建てられ1番岩の上の方にあったそうだ。埋め立て工事の時だろうという。転げ
落ちて放置された。この様子を写し記事にしたのは、みやこわが町だったと思う。私も見ている。
今は、コンクリートの囲いの外側にしっかりした土台の上に建てられ、転ぶことはまずないと思
われる。しかし、人の目には付かないだろ。碑の前には板の塀があり、足場も悪く廃棄物も散ら
かっている。誰かが建て直し詩文の跡を青いペンキ様のものでなぞっていた。つまり松村巨湫
が宮古に来たときの作で、「沖の石や夏霧しぶく逢別れ」という俳句である。私たち吟詠会で
も吟じたことがある。コンクリートの囲いを乗り越えやっとの思いで写した。今回のようなこ
とは二度とできない。
黄金浜の今 巨湫の碑はこの辺り陣屋崎の下の駐車場の先
足場が悪くごみだらけ 青い色でなぞってある
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