遊廓に上がって一応の事を処すすだけですが、4~5000円もあれば十分だったようです。その廉価故に又此の遊郭が多くの客を引き付けた所以なのです。
この遊廓の隆盛をこの宮内を領した庭瀬藩は、大いにそれを支えていたと云われます。何故ならば、宮内に巣くっていた技芸が売った線香一本につき2毛宛の「御益金」を徴収したのです。その為に、庭瀬藩では春秋の2回の大市が終わった後には、役人を、「後凌」と称して、全町の各料亭旅館に巡視を派遣して、遊女たちが捌いた線香の数の確認を行わせていたのだそうです。しかし、此の巡視が来る日になると、各旅館の亭主は決まってそこにいる遊女たちを他の場所に移して、その実態を正確に把握させなないように画策していたようです。現在の脱税のやり方に相通じるところが見られ、いつの世にでも税金逃れのための方策が取られていたようです。
しかし、何時の世もそうですが、此の裏側には、これ又大変面白い裏話がこの奥にはあったようです。それは又次に???
この遊廓の隆盛をこの宮内を領した庭瀬藩は、大いにそれを支えていたと云われます。何故ならば、宮内に巣くっていた技芸が売った線香一本につき2毛宛の「御益金」を徴収したのです。その為に、庭瀬藩では春秋の2回の大市が終わった後には、役人を、「後凌」と称して、全町の各料亭旅館に巡視を派遣して、遊女たちが捌いた線香の数の確認を行わせていたのだそうです。しかし、此の巡視が来る日になると、各旅館の亭主は決まってそこにいる遊女たちを他の場所に移して、その実態を正確に把握させなないように画策していたようです。現在の脱税のやり方に相通じるところが見られ、いつの世にでも税金逃れのための方策が取られていたようです。
しかし、何時の世もそうですが、此の裏側には、これ又大変面白い裏話がこの奥にはあったようです。それは又次に???