私の町 吉備津

私の町 吉備津

宮内芝居の隆盛のために、一肌も二肌も脱ぐ宮内の遊女たち。

2013-07-14 10:53:48 | 日記
 昨日記したのようにこの宮内の芝居小屋は常設でなくその期ごとに仮小屋が作られておりました。1年に2回以上は小屋が作られるのです。その技術たるや当時日本一と謳われていました。それくらい細部にわたるまで完璧を期して建てられ、大層見ごたえのある小屋だったそうです。それが又熊次郎たち岡田屋一家の自慢でもあり、その名は江戸にまでも鳴り響いていたと云われます。
 宮内芝居はそれだけではありません。吉備津神社の門前町として山陽道屈指の遊郭としてもその名がこれ又全国に知れ渡っていました。そこにいる遊女達もこの芝居小屋を守り立てるために大いに活躍します。200人もいたと推定される芸者や遊女の他では見られない特別な計らいがありました。誰がこんな企画を考えたのかは知りませんが、宮内芝居だけにあったものだといわれます。それが、明治以降、ここの遊廓が衰退して後、小さい形になって東京や大阪などの芝居小屋でも行われるようになったと云うことです。