書紀には、ご丁寧に、難波の大津から船出する兄媛を送る応神天皇の歌がでています。下世話な話になりますが、応神天皇は、よほどぞっこんだったのでしょう。さて、その歌ですが、少々長くは鳴りますが、原文を書いておきますので読んでみてください、こんな字もあったのです。
阿和旎<アワジ>斯摩<シマ> 伊椰敷那羅弭<イヤフタナラビ> 阿豆枳辞摩<アズキジマ> 伊椰敷那羅弭 予呂斯枳 志摩辞魔<ヨロシキシマジマ> 儴伽多<タカタ>佐例阿羅智之<サレアラチシ> 吉備那流伊慕塢阿比瀰莵流慕能<キビナルイモヲアヒミツルモノ>
というのです。歴史的・時間的にどう考えても、17,8の娘子とはあ思われないのですが、本当は100歳をゆうに超えられていたのではと思われる様な女性ですが、こうも思われては、兄媛は幸せだったことでしょう
阿和旎<アワジ>斯摩<シマ> 伊椰敷那羅弭<イヤフタナラビ> 阿豆枳辞摩<アズキジマ> 伊椰敷那羅弭 予呂斯枳 志摩辞魔<ヨロシキシマジマ> 儴伽多<タカタ>佐例阿羅智之<サレアラチシ> 吉備那流伊慕塢阿比瀰莵流慕能<キビナルイモヲアヒミツルモノ>
というのです。歴史的・時間的にどう考えても、17,8の娘子とはあ思われないのですが、本当は100歳をゆうに超えられていたのではと思われる様な女性ですが、こうも思われては、兄媛は幸せだったことでしょう