私の町 吉備津

私の町 吉備津

雨月物語の「吉備津の釜」

2015-05-23 09:39:28 | 古代吉備国
 話があちらに行ったり、こちらに寄ったりして、筋がどうなっているのか分からないようになってしまったのですが、要するに、話は、応神天皇の時(ただし、日本書紀では)その妃というか恋人といった方がいいのかも知れませんが吉備出身の「兄媛」を慕ってて天皇が、はるばる、吉備の国まで来られます。その時の話です。その兄媛の兄弟や兄「御友別」の子供たちに、吉備の国を分けて与えております。その中に「香屋臣」とか「鴨臣」等の名前が出てくるのです。

 それだけを頭に入れておいてください。今日は、別のお話をしますので。

 さて、私の町には、このような古代社会の出来事についての物語と云いましょうか言い伝えが沢山残っております。その内の一つに上田秋成の書いた「雨月物語」もあります。『吉備津の釜』です。
 この中で、秋成は
 「従来<もとより>かの家は吉備の鴨別が裔にて、家系も正しければ・・・」
 と、日本書紀にある家系を引っ張り出して物語を構成しております。書紀に出てくる正式な吉備津神社の神主の家系は鴨別ではなく「仲彦<なかつひこ>」なんですが、「彦」より「別」という字の方が、何かこのお話の筋としては読者に訴えるに都合がよいと考えたのかもしれませんが。

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