私の町 吉備津

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藤井高尚の生誕250年の記念事業のいい方法はないでしょうか???

2013-11-22 19:40:31 | 吉備津神社の神領「宮内」
 一時は、ブログを書くのが一日の楽しみの最大のもののように思えて、10年間も、ほとんど毎日、この吉備津のあることないことを続けて書き込んでいましたのですが、アクセス数が、gooブログで500番に達した日頃から、そんなに手が動かなくなってしまい、だんだんとその回数が少なくなっていまいました。
 本当に老人とは大敗の一途をたどって、そのうちに完全にくたばってしまうのだと言う事がよくわかります。

 さて、近頃私が一番気にかけているのは、来年はあの藤井高尚の生誕250年の年に当たるということです。誰もが、そのことに気づいていないのではと、夜も眠れないような毎日です。
 記念式典を誰か思いついてくれるだろうかと。何かかいい方法はないものでしょうか。
 このブログを見た人で、こんな方法があるよというご意見をお持ちの方はいませんでしょうか。お教えいただくわけにはいきませんか???

 こんな扁額が吉備津神社には掲げられていますよ。これも藤井孝尚がいたからできたのですよ。
 その写真をどうぞ。

 この扁額は「篠崎小竹」が書いたものです。この人は、高尚をその師と仰いで大層崇拝していたと言われます。近年、この字が金箔で飾り直されたおかげでその輝きを一段と増しております。   

少々誤って吉備の中山を見ていました

2013-11-06 16:42:02 | 吉備津神社の神領「宮内」
 昨日、吉備のお山はまだ夏化粧だと記したのですが、今日よくよく眺めてみまあしたら、やっぱり、11月です。お山の木々が、「何をオメエは見ておるんじゃ」と、うっすらと秋化粧を施しておりました。あの大きな銀杏の木の黄色が己と一緒に、ほんのりとした秋の気配を連れてきていました。

 季節の移ろいって、本当に、人の手によっては決して作り出せない、摩訶不思議な現象ですね。時と共に、誰がどう言おうと、確実に、その存在を辺り一体に実現させます。お前などの、そんなへまちょろな目なんかに、どうしてそれが理解できるものかというふうにあざ笑いをしています。でも、私のいいわけじゃあないのですが、その変化は、本当昨日、今日の現象なのです。3日にはそなん気配は全く感じさせられませんでしたのにです。

 どうか吉備津神社にお参り方々その変化の微妙さを、あなたの目で捉えてみて頂けませんか。日に日にその化粧が、宮内の嘗ての遊女のお化粧のように日に日に濃くなていくのは確実ですから。

吉備の中山の秋ー吉備津神社の銀杏

2013-11-05 17:02:07 | 吉備津神社の神領「宮内」
 11月です。ようやくここ吉備の中山にも、秋はその姿のわずかですが覗かせています。それとはっきりと分かる第一号は、やはり、吉備津神社にあるイチョウの大木です。
 そのイチョウの木の葉っぱが一斉に、今年は随分と遅いと思われるのですが、黄色に変身しました。バックにある吉備の中山の木々は、まだ青々と夏色を秋風の中に「どうだ。秋なんかに、この姿を変えられてたまるか」と言わんばかりに、見せびらかしているかのようでもあります。しかし、弱々しげですが、その青の中にも、ほんのりと秋色の薄化粧が何となく漂っているようにも見え、夏と秋との争いの風景を展開しております。この、秋にはない味わいある、11月の吉備の中山が見せる夏の残像を楽しんでおります。

 今度の日曜日なんか、その夏色と秋色の争い真っ只中にあるのではと思います。まっ黄色に染まった葉っぱをそっと胸に抱きながら来し方を思い出し、一句と洒落込んで見るのも、吉備津の秋を嗜む一つの方法でもあります。ただし、もみじの細谷川は、まだまだ、今月の終わりでないと、秋の冠絶の景勝は見せてはくれません。念の為に。

中原浩大という芸術家の作品展に行ってきました

2013-11-04 11:33:18 | ちょっと芸術の秋に
 11月4日まで岡山県立美術館で、「中原浩大自己模倣」展が開かれています。今日が最後の日だと云うので、歩を運びました。
 現代における「美とは何ぞや」と頭が空っぽになるくらい見て来ましたが要領を得ませんでした。分からないと云うことが芸術なのでしょうか。
 空き箱あり、子供の遊びのためのブロックあり、また使い古した電化製品あり、片や、大きな玉みたいなものあり、その他なんでもありと云った整然として統一のとれた展示ではない、それこそ作者が気が付いた瞬間的なイメージによって偶発的な???物の中に己の宇宙を描き出したとしか考えられないような、何やかにやごちゃまぜ並べた作品展示でした。その展示意図すら読めません。「これが美だ」と、特に、強調しているようにも見受けられません。美術館のフロアーに岡本太郎の爆発を超越した作品の数々が所狭しと並んでありました。これって何そんな思いもして会場を後にしました。これって芸術を冒瀆した見方で、ど素人のとんでもない展示物の鑑賞でしょうか????

 それにしても、会場の盛況ぶりには感心しました。若い人達が多く、その服装などのいでたちの、又、変わった光景にも驚きつつ、その盛況の輪の中に浸ってきました。そんな若人の中にいて、私の心まで、やっぱり芸術は爆発なのかとも思いながら、芸術の秋を味わってきました。

後藤松蔭の文章

2013-11-03 11:30:38 | 吉備津神社の神領「宮内」
 前にご紹介した後藤松蔭ですが、彼は文化文政時代の日本においてその文章が最も優れていると称されていました。名筆家なのですが、その彼の文章が、今はどこなるのかは定かではないのですが、このみやうちにあることは確かです。その中に「林紅泉」についての文があります。

 “天保戊戌三月、士之好韻事者、謀献挿花若干瓶焉・・・而其挿花流、則皆宗京師華流亭 林紅泉先生・・・”

 とあります。天保9年春、この地に同好の士が集まって、吉備津神社に献花し、その中、特に優れた作品を選んで、その図を扁額に描き、奉納した。その総てが、京で挿花の師匠をしていた林紅泉先生の教えを受けた人たちのものであったと記しているのです。

 ただし、この後藤松蔭が書いている吉備津神社への奉納扁額ですが、今、どこにいたのか、吉備津神社には見当たりません。