私の町 吉備津

私の町 吉備津

宮内芝居

2013-06-29 20:57:19 | 日記
 今では、ほとんどこの名前は聞いたことがない人の方は多いのではと思われますが、江戸末期の日本では。その当時はそれはそれはその名は全国に鳴り響いていたのです、というのも、此の宮内は、云わずと知れた、吉備津神社の領内にある町なのです。他の村落よりは数段と格式のある特別行政地区だったのです。この宮内は、「御朱印の芝居」、幕府公認の芝居小屋があった所なのです。御朱印の芝居小屋というのは、全国でたった10か所にだけしか許されていない芝居小屋なのです。江戸に4っ所、大阪に3ヶ所、京に2ヶ所、以上9っ所、あと一つ開催が許されて芝居小屋がこの宮内のだったのです。他の何処にもなかったのです。この宮内を置いては。それぐらい有名な場所だったのです。こん宮内は。

高尚より竹堂に

2013-06-27 17:19:41 | 日記
 文政年間で、その年は明らかではないのですが、多分十三,十四年だと思われるのですが、江戸の女形役者「粂三」が宮内芝居に出演するために来ています。彼を高尚の別荘「鶏頭樹園かえでのその」へ呼んで、江戸話をしようと招待状を竹堂に送っております。
 
 それによりますと、この招待は内々で、”密々にいたし、米宗方へ遊びまゐると申し来たる様に申聞候”とあり。饗応は「こちめし」に酒肴は三種にしたいと書いてあります。この「こちめし」というのは何か分かりませんが、郷土料理か何かだろうと思えますが。

 昨日、夕日に映える雨後の吉備の中山を映してきました。

      

高尚と竹堂

2013-06-27 16:50:36 | 日記
 文政年間に 宮内芝居に江戸や大坂の歌舞伎役者の名優たちが、毎年春夏の2回やってきて、芝居を演じております。
 その興行は、当時の、これ又、宮内の名物男「岡田屋熊次郎」によって行われたのです。その熊次郎と高尚とがいかなる関係にあったのかは、その記録が残ってない為に分からないのですが、お互いに顔見知りではあったと思われますが、片や吉備津神社の神主。一方はヤクザの親分です。知っていて知らないふりをしていたのではないかと思われます。まあ兎に角として、此の田舎町宮内に江戸の名優が度々来て芝居をしているのです。
 その都度、高尚は竹堂を歌舞伎に招待しています。その招待状が何通も残っているのです。それもほとんどが高尚からのものです。竹堂からの返事もあったと思われるのですが。今のところはまだ、その書状は見つかっていません。