私の町 吉備津

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宮内の芝居の仮小屋は重文ですよ???

2013-07-13 18:20:16 | 日記
 宮内の芝居小屋は、毎回、常設小屋でなく、仮小屋を建てて実施していたのです。その広さは間口が十七間、奥行きは三十間もあったと記録されております。そのような大きな建物を毎年二回も作っていたのです。その為の作業と云いましょうか建設は、総て。熊次郎の乾児達の手で立てられました。そのため仮小屋と云っても、堂々たる江戸等の常設小屋と余り遜色のない大変立派なものだったと言い伝えられています。その為の建設技術は相当に高度のものを持っていたと云われています。年春秋の二回も毎年造るのですから熟練度も相当高いものが出来あがっていたようです。その出来栄えを見に来る者もいたと云うことです。どのような構造になっていたか、残念ですが。その設計図みたいなものは残ってはいないのです。その責任者の頭の中に叩き込まれていて、一人の差配で出来あがっていたようです。そん人の名前も何も残ってはいませんが。だからこそ、近隣の中四国を始め全国からの多くの人が押し寄せてくる芝居が上演されることが出来たのだと云われています。

 もしそんな小屋が、現在に残っていたなら、その小屋は必ずや重文ぐらいの重要な歴史的建造物になっていたと思われますが、そなんものはきれいさっぱりと宮内の遊廓とともに歴史の中に完全に消え去ってしまっており、それを語る者さへこの宮内にはだれ一人いません。ひとり、この「宮内の今昔」という読みものだけが、さびしく物語ったてくれるだけです。現在では、そんな本さえある事さえを知らない人がほとんどです。