そういう現代の戦争の様相に、太平洋戦争のような総力戦の時代における戦争のイメージで対抗できるかっていうと、無理じゃないかなぁと思わざるを得ない。
— あままこ (@amamako) 2016年11月21日 - 05:35
空襲で家を焼かれたり召集されて密林を這いずりまわったりする被害者としての描写だけ「反戦作品」として、政治的立場に関係なく受容していった結果、覇権国家に追随してボタン一つで敵が死んでいるような戦争をやるなら悲惨な目に合うまい、と考えるようになる過程が本邦の戦後でないと誰が言えよう?
— hhasegawa (@hhasegawa) 2016年11月20日 - 06:01
このあたりの指摘はしごくもっともな話で、だからこそ「この世界の片隅に」も従来の意味では反戦映画とはなりえないとは思う。恐怖で押さえつけ訴えるという手法が通じなくなってきた、という証であり、それはそれで仕方ない。私は「この~」は祈りとか鎮魂に近い映画だと思う。
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月24日 - 04:08
70年経ってやっと普通に語れるようになったんだよ。
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月24日 - 04:10
それに対してアジア諸国の人から反発が来ても仕方ないかもしれないが、そういうのを離れてやっと当時の内地の素直な気持ちが呟けるようになってきたのではないか、と思ってもらえないかな、と…
原作で嫁に来た当夜、すずさんが台所で洗い物をしてると周作が後ろから小窓の暗幕を引いて「明かりが外へ漏れよる この辺はうるさいけえの」と言う。すずさんは江波でいつもしてるようにしてたのだろうけど軍都呉はうるさい街らしい。ここのシーンがまるっと変えられていて「あれ?」となる。(続
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 19:52
承前)映画では周作に艦艇の探照灯訓練の明かりを見せてもらうちょっとロマンチックなシーンになってる。おそらく片渕監督が調べてみて、この頃(19年2月)の段階ではまだそれほど灯火管制が厳しくないという事実があったかなにかで、サクッと変えてしまったのだろうけど、原作のあの台詞って(続
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 19:55
承前)灯火管制の説明だけでなく「この辺はうるさいけえの」という「相互監視」という戦中日本のイヤさをにおわせる方にもウエイトを置いているように見えるので代替措置を取らずにさっくり削ると印象がずいぶん変わってしまう。おかげでそのあとの隣組の歌のシーンも歌詞と画面の齟齬による(続
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 19:59
承前)微妙な風刺性が受け取りにくくなってたんに楽しいシーンになってる。なんか全体に「いい話方向に誘導するバイアス」が映画にかかってないかと勘ぐる気持ちにさせるのもちょっと無理ないところがあって、ここは見やすくする意味では成功なのだろうけどある意味では失敗してないかなと。(了
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 20:04
戦争をありのままに描くことは不可能で(戦争以外でもそう)(「好戦映画の体をとっていても反戦映画にもなる(ときにはその逆も)」というのはそれを踏まえてなお、という意味合いでしょうけど)、どう切り取るかが作り手の妙になるわけです。
— Хаями Расэндзин (@RASENJIN) 2016年11月23日 - 20:19
どう切り取られているか、を作り手の意図と丁々発止しながら相対するとなお楽しくなりますよ。
— Хаями Расэндзин (@RASENJIN) 2016年11月23日 - 20:22
【ネタバレ】『この世界の片隅に』を観て泣きながらとった感想メモ - tarareba722’s blog tarareba722.hatenablog.com/entry/2016/11/… 水原がすずさんを連れ戻す含意で北條家にきたというのは映画の改変で、原作ではモロ戦場で消耗した水原の悲しいエゴだったと思うけど…
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 21:05
そうそう、水原周りの改変ってのも「わかるけど納得行かない」と感じたものだった。なんと映画では「水原はすずさんが見知らぬ嫁ぎ先で苦労しているのではないかと思い連れ戻しに来た」なんて事になっているのだよね!!そりゃなかろう!ズタボロとはいえ青葉乗艦中の水原が出来るわけがない。 (続
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 21:10
承前)ありゃ完全に水原のエゴで、幼なじみの婚家に押し掛ける水原も異常なら、その夜伽に妻を差し出す周作も異常。それがすずさんに拒絶されたあとで水原がいう「人間の当たり前から外された」という戦争下の人々の異常心理だったわけでしょ。人として当たり前の拒絶が水原を救う流れになってる。(続
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 21:24
承前)すずさんを抱くよりもすずさんに拒絶されることで「ヘマもないのに叩かれたり 手柄もないのにヘイコラされたり(映画ではカット)」ですり減った水原の人間性が回復されて、すずさんが思っていた通りの水原哲として二人は別れを告げることが出来たんでしょうに。なんで映画の水原は(続
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 21:31
承前)戦場で死に損なって疲弊して戻ってきてまで、他人の家にお節介焼いてるんですか。まあ多分前段のリンさんの件を略したことで、すずさんの周作や北條家への不信がないのでいろいろバランス取ってたらあんな変なことになっちゃったんだろうなあ……ちょっと残念でしたあれは。(了
— まんりき (@manriki) 2016年11月23日 - 21:33
すずとリンは名前からして表裏一体で、身寄りのない娼婦ときちんと家族のいる出来たお嫁さんで、同じ男性を愛した、まさに鏡合わせの存在。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月20日 - 04:23
それを、義姉の経子との関係の方に割いちゃったって、逆じゃない?
経子との話削ってでもリンさんとの関係描写するもんじゃないの?
リンさんは犠牲になりました。原作好きな人にお知らせです。リンさんは迷子になったすずを助けて終わりです。周作とは一切接点ありません。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月20日 - 12:34
でも、裏表紙切られたノートがあったり、出どころ不明の紅がすずの鞄から出てきたり、何がしたいんだ。
リンを消したことで、戦争中の女性の悲惨が一緒に消えました。水原関係はきっちり入ってたので、兵隊さんかわいそうはあるけど、朝日町の女のひとはふわふわして綺麗ですね以上。な描写状態です。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月20日 - 12:37
何してくれたんだこの野郎。
結局、小骨を取り除くように加害行為を取り除いとったわ。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月20日 - 12:46
つか、原作読んだ上でそこの改変があればなんとなく予想つくわい。
見てから文句言えよとか言った連中そこに並べ。薪ならたくさんあるけえ(略)
twitter.com/chirashi_uraur…
リンさん周りざっくり削除、飛び去らなかった正義に、あー、原作以上に日常特化して、戦争をボカしやがったなとは思った。前半なんか特に原作に忠実だったから、油断してた。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月20日 - 12:57
原作をかなり忠実に再現してるから、原作と同じところは面白いけど、原作と違うところは鬼イチャン化して棒を振り回したくなったから、おい、脚本・監督。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月20日 - 13:11
すずは水原のいう通り普通の人なんですよ。死にゆく兵士に同情して寝るような事ができない人なんですよ。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月23日 - 15:50
原作で水原の一件の後、テルが水兵と心中しようとした話をきいて『なんや切羽詰まって気の毒やったと』という言葉に思わず黙る子なんですよ。
そして腕と家族をなくしたあと、死人が転がる横を平気で通り過ぎる自分を『歪んでいる』と思っている。そんな『普通』の子が戦時下の『非常時』に耐えてきたのは、少なくとも正義があったと思ってだからでしょうに。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月23日 - 15:55
原作を見ると、玉音放送を聞いている5人の中で、『じゃろうのう・終わった終わった・新型爆弾も落とされたし・まあかなわんわ』と他の4人が言っている中『納得出来ん!』と立ち上がるすずの姿の対比は明確なんだよね。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月23日 - 16:01
正義が飛び去っていき、すずは畑に水も撒けない。日常に紛らわせてきた戦争が覆いかぶさってくる。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月23日 - 16:10
敗戦で否定されたのはご飯を食べたり暮らしていく事じゃなくて、戦争というものをしてきた日本帝国の正義だったのになぁ。
そしてこれが『教条的な反戦映画ではない』と持て囃されてる地獄よ。
— チラ裏I♡GB (@chirashi_uraura) 2016年11月23日 - 16:20
目障りな反戦メッセージがないから見やすかったって、そりゃ原作で唯一明確にあったそれすら綺麗にウォッシングされてんだから当たり前だろ。
チラ裏Iさん、呉ネイティブなのか…怒ると呉弁になるのがかわええな…
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月24日 - 05:25
そして呉と広島では微妙に違うと書いてあって、そのあたりの表現もちゃんと出来ている、という話なんで…私が最初に聞いた違和感は間違いだったのかなと
加害関係、反戦まわりの言説については保留だが、リンさん周りは全面的に同感せざるを得ない。かなり真面目に原作ファンとして怒っていて、しごくまっとう。制作側は、これを真摯に受け止めなきゃならんと思うよ。
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月24日 - 05:28
やはり負の部分を丁寧に取り除いてキレイなものしか残ってないんだろうなと思う。
私はあの映画のテーマはハッキリと反戦だと思っているんだけど、その描写のやり方や手法が今まで出来なかったものを用いてる時点で斬新だと思うし、それは高く評価されているのだと思う。例え総力戦に対してピンと来なくても、実際にシリア等で日常がボロボロになっているのは間接的に見ているのだから
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月24日 - 05:41
遡ってまとめて読むと、これ以外にもめちゃくちゃ頷いてしまうつぶやきが多く、思わず棘でまとめようか…とまで思ってしまった。(クラスタ的に私は嫌われてる可能性があるかもだから諦めた^^;) 大絶賛ばかりじゃなくて、こういうまっとうな批判も届いて欲しいなと切に願うよ。
— わにのたまご (@waninon5050) 2016年11月24日 - 05:45