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私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

今度は「高木神」はジンムの夢の中に・・・・

2019-06-14 06:41:31 | 日記
 高木神がジンムの夢の中で、

     “莫使入幸<ナ イリマシ ソ>”

 と呼びかけています。「莫」は禁止の助字です。
 「ここより奥には入ってはいけませんよ」
 と、語りかけます。更に、次には

     “荒神甚多<アラブルカミ イト オホカリ>”
 
 「そこには、先の大熊の様な悪い神が多いからだ。」
 と。
 「甚」もそうですが、これ等の漢字は、太安万侶が稗田阿礼の語る古代の日本の歴史を、総て、「和語」による表現で書き表そうとし、大変苦労をした跡です。
 なお、「使」という字をどうして使ったのかわからにと宣長は書いておりますが、どうしてでしょうか???

 

高木神が、再び、今度はジンムの夢の中に・・・

2019-06-13 13:05:17 | 日記
 何も古事記には書かれてはおりませんが、やれやれとジンムは一安心してその晩はゆっくりとお眠りになられたはずです。昨晩には、高倉下<タカクラジ>の夢の中に、「高木神」が現れてジンム達を救います。その次の晩でしょうか、古事記には

              “於是亦高木大神之命・・・”

 と書かれてあります。「亦」とありますから、今度はジンムの夢枕に高木神がお立ちになられます。
 
 そう言えば、最初に渾沌とした「高天原」に出現した神は
    ①天之御中主神
    ②高御産巣日神
    ③神産巣日神
 の三神ですが、その後、活躍される神様は、この中では「高御産巣日神」だけです。どうして他の神様はその後の活躍がなかったのでしょうかね。他の二神も、もう少しご活躍の場があってもいいのではと思いますが????


「ちょっと待ちな!!!」という便りが・・・

2019-06-12 08:46:50 | 日記
 例のお人より、また、お便りが・・・・彼は言います。
 『建御雷神に「ジンムを助けろ」と命令した高木神とは、一体どんな神様なのか知っているのか??』
 と。

 さて、そう問われてみると、この神様だれでしょうかね????やはり宣長先生に頼ります。彼の

       「大御代之継継御世御世之御子等」

 を引張り出すと、その中に見えました。そこでそれを頼りに、古事記の最初の部分を見ますと、そこにも

 “天地初発之時。於高天原成神名。天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。
  此三柱神者。並独神成坐而隠身也”

 とあり。此の中の「高御産巣日神」の“別御名<コトミナ>をも高木ノ神と申せり”とあり、別名が高木ノ神なのです。従って、高天原に最初に現れた三神様の中の一人だということがわかります。

 この神様は歳をとらないのですね。高天原に神様が生まれてから、ジンムが葦原中ツ国に降り立つまで、一体どの位年月が経過していたことになるのでしょうか。何千年と時が経っていそうですが????
 そんな時に、まだ、「高木神」が他の神々に先きだって活躍しているのです。とすると、神様達の世界では「死」は無かったのでしょうか。神様だって死はあるはずです。だって、ジンムの兄「五瀬神」は紀の国の男之水門<オノミナト>で

         “為男建而崩<オタケビシテ カムアガリマシヌ>”

 「死」んでいます。 

  

また私の藩菖蒲を見てください

2019-06-11 06:17:26 | 日記
 先ごろも、私の育てている初期の花菖蒲を見ていただいたのですが、今、その最終の花菖蒲が畑で咲き誇っています。紫色の何とも云えないこの菖蒲が持つ独特の深いその色合いに、何時も、心を奪われる様な心持ちで見入っております。一番最後に花開く菖蒲でもあるのです。私はかってに

            「吉備の大王」

 と名付けておる心が引き込まれるような花です。

 なお、写真の一番上にある菖蒲は「ササラ」と名付けております。大王の家来格の花です。

         

 そのその花を飾ってある場所も一緒に見てください。軸は前々の井山宝福寺貫主の揮毫です。
            「庭前白樹子」

         

建御雷神は剱を“可降<クダシテム>”・・

2019-06-09 09:54:51 | 日記
 ジンム達を救った剱ですが、書紀には

        “韴霊<フツノミタマ>”

 と書かれていますが、古事記には

        “布都御魂<フツノミタマ>”

 とあり、更に、ご丁寧に、その祭られている場所まで“石上神宮<イソノカミノミヤ>”
の名が付け加えられています。(天理市布留町)この神社の名前は日本書紀には書いてあるません。

 なお、これは付けたし事ですが、古事記には、この剱をジンムに高倉下が奉った説明に

       “故以是横刀而献耳”

 と書かれています。古事記を読んでいくと、時々、「この字って何だ」と思われる字にしばしば遭遇します。ここにある“耳”もそうです。どう読んで、これにはどんな意味があるのでしょかね。分かりません。そこで又宣長先生です。彼はこれを<コソ>と読んで、

   “雅言<ミヤビゴト>の常なり”

 と説明してあります。

 “可降<クダシテム>”ですが、「この「フツノミタマ」と呼ばれている刀を高倉下の倉に建建御雷神が投げ入れておいた」という事をたった2字を持って説明しているのです。これも「雅言」の一つの言い表し方です。