「木梨之軽王は、どうして戦術的から見ても劣勢としか考えられないような銅の矢じりを使用したのでしょか。今まで誰もこの問題に対して問いかけをした人はいないように思われます。5世紀の初め頃のお話ですから。
さて、この時、軽王が使った青銅製の矢じりは祝祭用に造られたものです。そんな矢じりを沢山軽王が持っていたというのですから、本来、この皇子は、というより、当時の天皇の職務は、一般的行政に携わるのではなく、卑弥呼の時代から引き継がれた鬼道的な祭礼が主なる職務で、そのために、祭礼用の銅の矢じりが自分の手元に沢山あったのです。それに対して、弟である穴穂命は、兄を補佐する一般行政の役目を担っていたために、祭礼用の矢じりではなく、常に、実践用の戦闘用の鉄の矢じりを多く保持していたのではではないかと思われます。此の二人の政治的な役目がこの戦いの勝利の分かれ目になったのではないでしょうか??
父「允恭天皇」の死後、喪に服している最中に起きた、突然の、その兄妹の醜聞事件です。その事件から、俄かに、次期の天皇に担ぎあげられた弟君穴穂命です。その結果、天皇位継承について、この兄弟を取り巻く両派の俄かの戦いへと進んでいきます。
此の二人の今の地位が戦いの分け目になったのです。銅と鉄との争いです。結果は自ずから明白です。穴穂命は強大な鉄の矢じりを持つ軍隊を持っていたのです。
その戦いの時の弟君の思いはいかばかりであったでしょうか。兄木梨之軽王も軽大郎女も母も同じの兄妹です。その兄と戦いを交えなくてはならなかったのです。小さい時から一緒に育った兄弟姉妹です。お互い心に相通じるものがあったはずです。できれば、この戦いはどうにかして避けたいという思い強かったのではないでしょうか。
わたしは、この戦いに付いて書かれている語句の中からそのような様子が思い浮かんできたのですが。どうでしょうか???。
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