私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

”幸蜀西至剣門”

2015-12-19 10:44:27 | 日記

玄宗皇帝の漢詩です。 ”幸蜀西至剣門” 安禄山に長安の都を追われて玄宗皇帝が蜀の国に逃れます。その途中一番の難所「剣閣山」にさしかかった時に歌った歌です。この剣閣の前「馬嵬駅」で、既に、その最愛の妻「楊貴妃」は殺されているのです。でも、白居易が「長恨歌」で歌っているような「血涙相和流」の悲嘆な様子は詠まれてはいません。どうしたことでしょうか?? 男として、そんな女々しい泣き事なんて書き残して何になる。自分の尊厳を傷つけるだけだとでも思って、敢て、悲しさを押し隠すために、この詩を書き残したのかもしれませんと、私は何時も、同情的に読んでいるのですが??????

 では、その詩を

           ”剣閣横雲峻  鑾輿出狩回  翠屏千仭合  
           丹嶂五丁開  灌木縈旗転  仙雲拂馬来
            乗時方在徳  嗟爾勒銘才 ”
 

 剣閣の山は急峻に幾重にも連なり、その峰々には雲が横たわっておる。「鑾輿」とは天子の車のことです。「出狩」とは戦乱をさけて避難することです。その車が通る道の両側は、千仭<センジン>(3000m)の深い緑に覆われた巖石が屏風のように、あたかも左右合わせたようそそり立っている。

 そして、丹嶂、とは禿げ山。昔、この禿げ山を切り開いたて道を作ったと云われている五人の兵士の話も残っているこの道は曲がりくねって、丁度、天子の旗が小さな木の間を転がって進んでいるように見える。「仙雲」とは山から湧き出してくる雲です。馬に押し寄せるように雲が来る。

 このように厳しい谷間を難渋して、今、行進しているのですが、そんな時、つくずく思うには、「乗時」とは天下を治める時という意味です。天子が政治をするうえで一番大切なことは、誰にも攻撃されないような立派な土地におって政治をしていくのではなくて、地の利ではない、「人徳」こそが政治をする上で一番大切なことだ。
   ”方在徳”
 「方<マサ>に徳に在り」だ。

 [嗟爾」とは感嘆の言葉で「ああ」です。「勒銘」は銘文を岩に刻みつけることを云います。かって、晋の帳載という人が、その父に、この剣閣の岩に「興るに実は徳在り、険もまた恃み難し」 ≪政治をするためには徳が大切で、蜀のような難攻不落な地勢を利用した方法で治めるものではない≫という文を彫って、父の政治を反省させたという故事を表しております。
 その故事を玄宗皇帝が知っており、政治は徳が大切だと、改めて思いださせて詩に作り上げたのです。

 その時皇帝は御歳は、既に、71歳でした。しかし、楊貴妃を失ってどん底のようなこの時でさへも、まだまだ、政権を奪取して、再び、天下に権を唱えようとする強い意気込み、意思表示のような感じがする歌でもあるのです。

 さて、そのような心意気が十分な玄宗皇帝について、白氏は、さらに続けて歌っています。

  もう、この辺りが一番の潮どきのようにも思われますが、折角、始めたのです。途中でほっぽり出すのもとおもいますので、最後まで読んでいきたいと思います。ご退屈様でしょうが、どうぞお付き合いください。白居易の文を読む事はなかなかないと思われます。こんな拙い文でも御読みいただき辛辣なご批判を頂ければ幸いに存じます。



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