私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「大日本史」に記された保則の善政とは・・・

2020-07-11 06:38:17 | 日記
 藤原保則は、その4年後に備前守となってお隣の国「備前」に赴任します。「政績、一に備中に在るが如し」とありますから、ここでも善政をしたのでしょう。その具体的な事例として、次のように記しております。
 
 もし部下の職員が公金横領でもしようものならば、呼んで優しく注意をし(若し”姦伏<カンプク>あれば、発擿<ハツテキ>を加えず)、こんこんと、何事にも清く正しい事を尽くして勤務しなさいと教え(必ず当に廉節を立て、勉て栄誉を取るべし)、更に、(謹みて官物を犯すこと勿れ)と諭します。」
 更に、藤原保則はその役人言います。
 「あなたは父母や妻子を養うために、心ならずも公金を手にしたのでしょう。これは皆「貧窶の憂、善人を羇累するなり」(みな貧しさのなせる禍であり、誰でも陥りやすいことだ)」
 と、その非を叱責しないで、お金まで与えたのだそうです。
 このような上司ですから役人だけでなく国民総てから畏愛され
      「国民みんなの父母」
 であると慕われたとあります。

 どうです。このような上司は、現在には、どこを探しても影も形も見えず、有るのはもっぱら自分の保身のため、平気で総理など上の人に(国会議員など)に忖度する上級役人の何て多いことか・・・・・私と同じ姓の赤木とかいう自殺した大阪あたりの小役人を憐れんでこんなことを書いてみました。
 
  なんて嘆かわしい忌々しきご時世ですこと・・・・・そんなことが頻りに頭にこびりついてくる今朝です。

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