ある人からの問い合わせがありました。
「おめえななあ・・・知ったかぶりして、えらそうなことを けえておるんじゃろうがなあ。かたへということばのいみを しっとんかなあ。」
と。まあ、ご指摘のように、余りよくは知らないのですが、かって、学生時代に教わった、「かたへ」は、全部じゃあなく、片一方だけ、要するに、夏の全部にではなく、その一部分にだけに吹いている、それも空の彼方の一部だけにある、あるかなきかのような幽かな秋風だと思って居るのですが。それではいけないのでしょうかね???もう一度その歌を
夏と秋の ゆきかふ空の 通ひ路は
かたへ涼しき 風や吹くらむ
地上では、まだまだ真夏日が続いているのですが、それでも、今日の立秋の日の空の隅っこの方には、きっと涼しい秋の風が吹いておることだろうな。そんな秋風に早く出会えたらなあという、秋の涼しさを恋願う歌だと習いましたが、どうでしょうかね??
今朝6時半ごろです。昨夜は早く寝たからでしょうか、今朝は早めに目が覚め、なんとはなしに庭に出てみますと、この「かたへ涼しき風」が顔をそっと撫でて通り過ぎるように感じました。やはり立秋は立秋だなあと、一人静かにそのあるかないか分からない秋の涼風に一人悦に入りながら、来る秋に期待を持って空の彼方をしばらくの間で眺めてりました、
雲ひとつない青空からは
「誰がどう言おうと、当分、お前の所には秋風何かを来させてたまるか」
と、真夏の太陽の光が、嘲笑うかのように、降り注いでおります。今日も又ク―ラー暮らしかと、顔を撫でた「かたへ涼しき風」に別れを告げ家中の人となりました。
たまたま、今朝は早起きしたのですが、何時もだと起きるのは8時前ごろですが。やっぱり「早起きは三文の得」ですね。このような今朝の僥倖に接しで、生きるって素晴らしいなあと、クーラ―の人工風に当たりながら、妻の葱でも刻む包丁の音でしょうか、それを聞きながら僅かばかりの感傷に、しばらくの間、浸っておりました。
「おめえななあ・・・知ったかぶりして、えらそうなことを けえておるんじゃろうがなあ。かたへということばのいみを しっとんかなあ。」
と。まあ、ご指摘のように、余りよくは知らないのですが、かって、学生時代に教わった、「かたへ」は、全部じゃあなく、片一方だけ、要するに、夏の全部にではなく、その一部分にだけに吹いている、それも空の彼方の一部だけにある、あるかなきかのような幽かな秋風だと思って居るのですが。それではいけないのでしょうかね???もう一度その歌を
夏と秋の ゆきかふ空の 通ひ路は
かたへ涼しき 風や吹くらむ
地上では、まだまだ真夏日が続いているのですが、それでも、今日の立秋の日の空の隅っこの方には、きっと涼しい秋の風が吹いておることだろうな。そんな秋風に早く出会えたらなあという、秋の涼しさを恋願う歌だと習いましたが、どうでしょうかね??
今朝6時半ごろです。昨夜は早く寝たからでしょうか、今朝は早めに目が覚め、なんとはなしに庭に出てみますと、この「かたへ涼しき風」が顔をそっと撫でて通り過ぎるように感じました。やはり立秋は立秋だなあと、一人静かにそのあるかないか分からない秋の涼風に一人悦に入りながら、来る秋に期待を持って空の彼方をしばらくの間で眺めてりました、
雲ひとつない青空からは
「誰がどう言おうと、当分、お前の所には秋風何かを来させてたまるか」
と、真夏の太陽の光が、嘲笑うかのように、降り注いでおります。今日も又ク―ラー暮らしかと、顔を撫でた「かたへ涼しき風」に別れを告げ家中の人となりました。
たまたま、今朝は早起きしたのですが、何時もだと起きるのは8時前ごろですが。やっぱり「早起きは三文の得」ですね。このような今朝の僥倖に接しで、生きるって素晴らしいなあと、クーラ―の人工風に当たりながら、妻の葱でも刻む包丁の音でしょうか、それを聞きながら僅かばかりの感傷に、しばらくの間、浸っておりました。