
望洋−72(マッカーサーの権限)
(第8章 連合国軍日本占領) 40.連合国の統治 昭和20年9月2日降伏文書に調印した日本は、連合国軍に占拠され統治されることになった。 この連合国軍の最高指揮官に任命された...

望洋−71(ポツダム宣言受諾後の経緯)
40.連合国の統治方針(続き−) 40.8.ポツダム宣言受諾後 8月14日、「日本がポツダム宣言」の受諾を連合国側に通告すると、すぐに米国政府から「降伏提...

望洋−70(未遂の米軍の日本上陸作戦)
40.連合国の統治方針(続き−3) 日本は、このポツダム宣言を、8月14日に受諾するが、連合国側は日本がこんなに早く降伏するとは考えていなかったようである。...

望洋−69(ポツダム宣言受諾)
40.連合国の統治方針(続き−2) 1943年9月8日に枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)の中で最初にイタリアは連合国に無条件降伏した。 約2年後の1945...

望洋−68(ポツダム宣言)
40.連合国の統治方針(続き−1) 40.3.トルーマンの日本国民に対する声明 ドイツが降伏した昭和20年(1945年)5月8日にハリー・トルーマン米大統...

望洋−67(カイロ宣言)
40.連合国の統治方針 昭和18年(1943年)11月22日からエジプトのカイロで対日方針を協議する会議が行われ、日本の無条件降伏が宣言(カイロ宣言)された。 その後米国の主導...

望洋−66(戦隊員の復員)
39.第四戦隊員の復員 復員 復員とは軍隊の体制を「戦時」から「平時」に戻し、兵を動員状態から服務待機に戻すこと。 また、軍務を解かれた兵が帰郷することである。...

望洋−65(連合国の日本占領)
38.連合国の日本占領 昭和16年12月8日、大国米国を相手に戦争に突入した日本は、国民生活を犠牲にした戦時体制を敷いて戦争を乗り切ろうとしていた。 ...

望洋−64(ハワイ捕虜収容所)
37.ハワイ捕虜収容所 米軍は第二次世界大戦中に欧州や太平洋戦域で捕虜となった敵兵の一部を米国本土に設置した捕虜収容所に移送して管理していた。 終戦後も沖縄の捕虜収容所の一部の...

望洋−63(終戦直後の宮古島(第一中隊長の体験談))
36.終戦直後の宮古島(続き) 36.3.第四戦隊第一中隊長の回想 第四戦隊第一中隊長が挺進隊の体験・思い出を伝えたいと、「船舶特幹一期生会々報」...