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旅日記

故郷の風景(32) 須我神社

テレビを見ていたら、須我神社のことを放映していました。

須佐之男命、稲田姫の夫婦とその御子神が祀られているということでした。

須佐之男命が祀られているのは須佐神社と思っていたので、興味が湧いて見ていました。

因みに須佐神社を調べてみると、須佐神社は出雲、和歌山、広島、福岡、長崎にあるらしいです。

そして出雲の須佐神社には須佐之男命の御魂を祀っているらしいです。

須我神社と須佐神社の違いがもう一つ良く分からないが、神社の設立の趣旨が違うようです。

なお、出雲の須佐神社は須我神社から南西方向に約20Kmの距離にあります。

 

須我神社の鳥居です。

須我神社で興味を引いたのは、神社の本殿から東北方向約1Kmの山中に奥宮という所があり、そこに大きな夫婦岩があることです。

車でその登り口まで行きました。登り口の傍に駐車場がありました。

ここから登って奥宮に行きます。

 

この場所は須我神社奥宮(磐座=いわくら)として祭祀信仰されています。

驚いたのは、この夫婦岩は正確に東側を向いていました。

(夫婦岩に向かって測定した方向です)

斜め横からの写真です。

後ろ姿です。

また、ここが31文字和歌発祥の地だそうです。

登り道の脇に和歌を刻んだ石が配置されていました。

 

 

雲南市ホームページ 須賀神社とは より

出雲神話のひとつとして有名な「八岐大蛇伝説」。
須佐之男命は大蛇を退治した後、稲田姫と結ばれはじめて宮作りをしました。
これが「日本初之宮」とされている須我神社です。
須佐之男命、稲田姫の夫婦とその御子神が主祭神として祀られており、夫婦円満、児授かり、出産の守護と除災、招福の守護が授かると言われています。

 

須賀神社ホームページ 御由緒 より

簸の川上に於いて八岐遠呂智(やまたのおろち)を退治した須佐之男命(すさのおのみこと)は、稲田姫と共にこの須賀の地に至り「吾が御心清々し」とおっしやつて宮造りをなさった。そのとき美しい雲の立ち昇るのを見て、

「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」

と歌い、日本で始めての宮殿を作り、鎮まりました。これが古事記・日本書紀に記載されている「須賀宮(すがのみや)」であり、日本初之宮(にほんはつのみや)であります。 三十一文字の歌も日本で一番古い歌であり、この地が「和歌発祥の社」と呼ばれる由縁でもあります。また、この歌の中の「出雲」が出雲の国名の起元であり、「八雲立つ」は「出雲」の枕詞であります。

 

石見神楽

石見神楽に大蛇(おろち)、又は八岐(やまた)或いは八咫(やた)という名称の演目があります。

これらは何れも神話「八岐大蛇」をテーマにした舞です。

この神楽の写真と口上の写真を載せます。

須佐之男命が八岐大蛇を退治した場所は斐伊川上流の鳥髪(現船通山)と云う所で、須我神社から約25Km南南東の方向です。

 

<完>

 故郷の風景 目次 

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