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「けやぐの道草横丁」

身のまわりの自然と工芸、街あるきと川柳や歌への視点
「けやぐ」とは、友だち、仲間、親友といった意味あいの津軽ことばです

#04.地球を舐める

2013年02月27日 | 工芸
 

  30年以上前、信州・松本の中央民芸ショールームで居並ぶ民芸家具のなか、英国風のチェストの上に置かれていたカップ&ソーサー。

  伝統的な和陶の気遣い感のある味とは違い、無口な静けさがあり骨太で大胆なろくろ捌きに欧米風の趣が感じられました。
  表示カードには「益子焼」と書かれてあっただけ、残念ながら作り手は現在も不明ですが、おそらく「民芸」に深い造詣を持ちイギリスあたりで修行したことのある男性、取っ手の造作からするとあるいは外国人の作り手ではないかなどと想像しつつ使ってきました。
  焼締めは益子焼では伝統的な技法ではないようですので、この場合の「益子焼」は益子という窯場で作られたやきものという意味でしょうか。

  無釉の焼締め、火色(ほいろ)が現れ自然釉が掛かり、手ろくろ成形により口縁部は玉縁(たまぶち)に仕上げています。
  長い間使っているうちに艶・味が増してきましたが、ソーサーに豊かに掛かった釉には、次第に一般の自然釉よりも多少作為のようなものが感じられ、塩釉(えんゆう,しおぐすり,salt glaze)という、日本の工芸に大きな影響を与えたバーナード・リーチ(Bernard Howell Leach,1887~1979,イギリス人陶芸家)が再現し伝えたという、焼成中に相当量の食塩(NaCl)を窯中に投じ熱化学的に釉を発生させる技法なのではないかと思うようになりました。
  素材は信楽(滋賀)あたりもしくは自家調整の陶土と思われます。
  厚手なので重そうに見えますが意外にほどよい軽さのカップです。
  普通はソーサーなしで使ってきました。ソーサーは手ごろなサイズと深さで、カップの高台を受ける円の筋がないので、おでんなどの取り皿として活躍することもあります。

  使うたびに注目するのが、取っ手の上部に一気になすりつけられた動きのある粘土のひと捻り。
  作り手の指そのものの跡が残されています。
  ちょうど手の親指が置けるようにしてあるので勝手にサム・レスト(thumb rest=親指休め)などと呼んでいますが、これに親指をあてるたびに陶土の自在な可塑性やろくろ技法以前の縄文土器などやきものの原風景を感じると同時に、このうつわを仕上げた作り手の覚悟=マインドが伝わってくる想いがします。
  カップに注がれた熱いものをすすり、粗い土の粒が唇や舌先に触れるとあたかも地球の一部を舐めている感があります。
  これが焼締めの醍醐味なのではないでしょうか。
  釉薬を施した陶磁器の表面はほとんどがある程度の厚さのガラス層で物理的にはガラスのうつわと変わりません。

  もとより珈琲・紅茶通ではありません。
  大好きなカップで味わえること、その実感がいいのです。
  この後におよんで敢えて作り手を探し当て、情報の後付けをする必要もないだろうと考えています。
  何しろ30年以上もくらしをともにし、使い手のアイデンティティに影響を及ぼしてきた大切なけやぐ(友だち)のひとりなのですから。

  焼締めは5世紀ごろ朝鮮半島から伝わった須恵器(すえき)の技法にルーツがあります。
  須恵器といえば、国の指定史跡である青森の五所川原須恵器窯跡(ごしょがわらすえきかまあと,五所川原市持子沢ほか)は9世紀末から10世紀にかけて盛んに須恵器の生産活動を続けた一大遺跡とされます。
  ところが律令制度の支配が及んでいない当時の津軽から、いわば国家勢力の指標である「官窯」の跡が出てきたことが学会に大きな一石を投じているようです。
  戦乱の続くなか一世紀ほど稼動を続け、その製品は北奥羽ばかりではなく北海道各地からも出土する(「新青森市史」巻1)とのこと。

  日本の陶磁史においては中世最末期に豊臣秀吉によるいわゆる「やきもの戦争」(文禄・慶長の役,1592~1598)によって、当時の最先端テクノロジーであった磁器の製造ライン集団を朝鮮から連れ帰り、有田焼をはじめとする肥前地区の大産地を形成するに至るという一大事件が有名ですが、これと同様なことが古代の北奥羽において律令支配地域であった秋田の須恵器製造ラインをめぐって行われた可能性が考えられます。
  その際の秀吉は津軽側にいることになります。
  そう考えると律令の及ばないエリアで須恵器の大がかりな窯場が築かれていたとしても不思議ではありません。
  朝廷の支配地域拡張と維持のために武器を携え、平時はやきものづくりをする屯田兵というのは想像しにくいものがあります。

  つい最近は国の文化審議会により同じく青森の大平山元遺跡(おおだいやまもといせき,外ヶ浜町)の国史跡の新指定答申が行われたとのこと。
  すんなりと文部科学大臣の裁可が下ることを祈るばかりですが。
  こちらは後期旧石器時代後半から縄文時代草創期を示す石器や土器の出土があり、特にその土器の製造年代が今から約1万6千年前という、世界最古のやきものの可能性があるとのことです。
  さらにはこのエリアの当時の植生が寒帯性針葉樹林だった可能性が大きい(「新青森市史」同 )となると、必要は発明の母の原則などなど新たなイメージを沸き立たせる種が増えていきます。

  いずれも、中山山脈を挟み津軽半島内の南北にある新たな観光資源。
  青森考古学の成果がますます上がるにつれ、五所川原・大溜池の良質な粘土と周辺の豊富な赤松(無釉・焼締めの燃料として最適)に着目して起業・開窯された津軽金山焼(つがるかなやまやき,五所川原市金山)M代表の満面の笑みが見えるようです。
  「新青森市史」を与えてくださった地元の弧衾若衆氏に深謝。


ふるさとの歩みに国の屋台見る  蝉坊




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会員の投句作品と互選句の掲示板。
http://blog.goo.ne.jp/keyagu0123
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川柳と音楽、映画フリークの独り言。
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