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ケッタでグルグル

久々にケッタ(自転車)を購入。
これを機にブラブラ回ってみよっと。

汾陽寺(春日局の道)

2008-03-13 | 寺院

関市武芸川谷口の寺院。写真は山門前の苔むした石畳。

汾陽寺(ふんようじ)は県道59号(北野乙狩線:岐阜から寺尾千本桜へ向かう峠)を脇へ入るひっそりとした山の中にあります。県道からは特に目印もなく、ちょうど田んぼが無くなる最後の脇道を左へ入りそのまま山道を進んだ先という、まさに浮世離れした場所にある山寺でした。 

創建は嘉吉元年(1441)に斎藤利永による。息子の利国(妙純)により再興された。斎藤氏は当時の美濃守護代として権威を振るっており、美濃のマムシこと斎藤道三もこの系統になります(もちろん道三は乗っ取りですが…)。また斎藤氏の後縁であり明智光秀の重臣であった斎藤利三の娘・春日局は、ここから南へ1.5キロほどの法泉寺近くに奇遇していた時期があり、汾陽寺へも良く参拝をしたと伝えられているそうです。

ここより西へ3キロほどにある山県市中洞には明智光秀の墓があり、光秀が落ち延びてきた伝説があります。春日局の父・斎藤利三は光秀とは深い信頼を寄せていた間柄であったと言われていますので、同地域と光秀による関係も深いものであったのではないか?との推察もできそうです。三日天下を取った後、秀吉に敗れた光秀の足跡にも深い興味が湧いてきます。

 

 

県道と別れ杉に囲まれた山道を歩きます。マイナスイオンが放出(?)ている爽やかな山道。ときおりすぐ脇の県道を自動車が行き交っていますが、その音もそれほど気になりません。途中で車が1~2台ほど止められる駐車スペースがあります。

その先で車が進める左の山道と、右の苔むした石畳の道があります。迷わず右へ。歩を進めるほどに苔むしている見事な道が続きます。この道を春日局が歩いたとされる為に「お局道」と呼ばれているようです。

やがて山門をくぐると本堂が見えます。街中の豪華な寺と違い非常に質素ですが、力強い石垣の上で長い歴史を耐えていた風格が感じられます。そして番犬君が見事な見張りをして警護をしていました。。

 

また近くには安藤守就が隠住していた屋敷もあったそうで、織田家に仕えていた時に武田信玄との内通を疑われた守就が、同寺で住僧だった弟を頼り住んでいたといわれています。恐らく写真の位置なのでしょうが、今は田んぼになっています。


清泰寺(美濃市)

2008-01-15 | 寺院

美濃市殿町にある臨済宗妙心寺派の寺院。

江戸初期、金森長近がこの上有知の地に入部した際に前領主佐藤氏の菩提寺だった以安寺を廃し、この清泰寺を創建し金森家の菩提寺としました。その後、金森氏の親戚でもある佐藤氏の墓もこちらに移しました。上有知金森家は二代で廃されましたが、その後に代官として着任した石原氏の墓もこちらにあります。

  

山門横には美しく積まれた石垣の上に瓦塀が建っています。
境内は非常にキレイに掃除がされており、庭も大変美しく整備されていました。

   

本堂南の奥には小さな社が祀られていますが、その門の神額には何と『金森大権現』とありました。要は神様(的存在)なのです。これを見るだけでもこの上有知の地においての金森長近の存在がどのようなものであったか良く分かります。これは手を合わさずにはいられないですな。
本堂前の唐門の上部には金森家の家紋「裏梅鉢」がありました。こちらも重厚感溢れる立派な唐門です。

小倉山城
「うだつの上がる町並み」
上有知川湊


前渡不動(仏眼院)

2007-12-09 | 寺院

各務原市にある寺院。本堂は不動山(矢熊山)の山頂に建てられている。
仏眼院。通称「前渡(まえど)不動尊」と呼ばれている。
美濃四国第二十五番札所。
岐阜県の十名所。(1927年)

前渡の旗本坪内家家臣の山本軍八郎藤原盛行の子秀之助が成田不動で眼病治癒を祈願したのち開眼。その後、僧名明心と改名し、この地に京都醍醐山から仏眼院を移転させた。眼病治癒にご利益があるとされている。

  

不動山南麓に大きな駐車場とお堂があり、そこから道路沿いにある細い道が参道となっています。参道に沿って石仏が並んでいて(左写真)上部には番号が彫ってありました。しっかり数えていませんが、お遍路になぞらえ八十八あるのでは??

また、この地は1221年(承久3)に起こった承久の乱の激戦地である「摩免戸の戦い」があった場所と知られています。この木曽川を挟んで鎌倉より出撃した北条泰時率いる幕府軍が尾張側に、京都より迎撃した藤原秀康を中心とした後鳥羽上皇軍が美濃側にて対陣しました。上皇軍約17500騎に対し、幕府軍は10数万騎と圧倒的な兵力差があり9つの戦場で行われた戦いは上皇軍が皆早々と退陣しました。勢いそのまま幕府軍は瀬田川から京都を攻め幕府軍の勝利に終わりました。その戦没者の供養のため五輪塔が建てられ、その後木曽川の氾濫により埋もれていたものを発掘しこの地に安置したものです(右写真)。

  

山頂手前には本堂、鐘楼堂、弘法堂などが建てられています(最上部写真)。
本堂より奥は不動山頂上になります。北西(左写真)には航空自衛隊岐阜基地から、岐阜市の金華山(左奥の山)などが見渡せ、東(右写真)には正面に伊木山から南に流れる木曽川が見渡せられました。

  

参道の他にも遊歩道はあり、枯れかけのモミジが葉を落としていました。離れた場所から遠望してみると山全体が茶色っぽく色付いていました。もう少し時期が早ければココでもキレイな紅葉が見られるのでしょう。


薬王院(苧ヶ瀬池)

2007-12-09 | 寺院

 

各務原市の苧ヶ瀬(おがせ)池周辺にある寺院。
美濃四国第二十四番札所。
岐阜県新八景第一位。

苧ヶ瀬池は色々な伝説があり奈良時代にわずか一晩でできたといわれ、枯渇する事がないと言われています。池には龍が住むとされており、池にすむ鯉や亀は龍の使いとされているようです。(左写真は八大竜王総本殿)。右写真は薬王院本坊。ここから2キロほど東にいった大安寺の末寺になります。池の北側にあたりますが、こちらより八大竜王堂に参る方のほうが多そうです。

 

 

 池の北端に突き出るような形にあるのが八大竜王堂(左写真)。堂の天井には十二支の絵が張られていました(右写真)。特に順番に並べられてはいなかったので寄贈者の干支に合った絵が張られいているのでしょう。また境内には野菜直売の露天やお好み焼屋さんなどがあり、昼時という事もあってか結構お客さんが買いに来ていました。また鯉のエサ(麩)も売っており、子ども連れなどが池側のテラスのような場所からエサを投げ込む姿も以前は良く見られました…しかし、今は。。

 

 

見るも無残なほどに干からびた池。農閑期という事もあるのでしょうが、鯉にエサをやりたくてもそこまで水がきてません。案内板には鯉は数万匹もいると書かれていましたが…。またスイレンの美しい池ということで有名なのですが、原因不明の病気のため全滅してしまったそうです。現在は復活プロジェクトを立ち上げ努力されています。

また池の中に建つ「奥の院御神殿」が今年七月に大雨による増水で石垣が崩壊してしまったそうです。現在は復旧作業に勤しんでいました(右写真)。昔は岐阜県新八景に選ばれたほどの名所でしたが、今は苦しい時期が続いているようです。しかし地元人々の復活への熱い思いは伝わってきました。また美しい苧ヶ瀬池が見れるのを期待したいです。


山中不動

2007-12-08 | 寺院

各務原市各務車洞にある山中不動。
迫間不動(関市)と日乃出不動(各務原市)と合わせ美濃三不動といいます。
上の2つは先日訪れていて、折角だから三不動とも見て回りたかったので今回お邪魔致しました。関市からは迫間方面から多賀坂越えもありますが、前回きつかったので今回は岩坂トンネル~苧ヶ瀬経由できました。苧ヶ瀬からは「各務原パークウェイ」という整備された道です。

 

  

入口には案内板。ここでもいきなり「鳥居」です…。そして例の如く数え切れないほどの幟が並ぶ細い参道を進んでいきます。

 

   

籠堂を通り過ぎると正面には本堂(左写真)。まだ少しだけ色付いたモミジが残ってました。もう少し前ならここでもキレイな紅葉が見れたのでしょう。本堂の裏手には滝があるのですが、残念ながらこの日は枯れていました(右写真)。


 

その向には岩屋不動が…岩の割れ目にお不動さんがおられました。
いかにも修行の場という表現が合う所です。

 

   

本堂から左の階段を上って行くと御嶽大社があります。すごい急階段で途中でコケたら一番下まで落下するんじゃないかと思うほどの怖さがあります。上まで登れば北東方面が一望でき、御坊山から須衛の方面(かな?)がよく見えました。

三不動の中では一番小ぢんまりとしてましたが、逆に一番静けさがあり面白半分で来れない雰囲気を持ち合わせた場所に感じました。三不動全てが他の寺社とは少し趣の違う独特なものを感じる場所でありながら、気味悪さがあるわけではない。むしろ背筋をピッと伸びるような気持ちにさせて頂きました。


迫間不動尊

2007-12-07 | 寺院

 


関市迫間の迫間(はざま)不動。
美濃三不動の一つ。あとの二つは日乃出不動山中不動。共にこの山を越えた各務原市にあります。

関市の県道367号から多賀坂を抜けケッタを漕いでやってきました。とにかくメチャクチャきつかった。あまりのキツさにトンネルや道中の写真を取り忘れました…。登りきった所にあるのが多賀坂トンネル。そこから下ること500Mで迫間不動に到着です。駐車場には色鮮やかなモミジが迎えてくれました。 


 


 ところでこの迫間不動…良く聞く名前ながら初めて来ましたし、それにどんな場所でどんな歴史があるのか良く分かってません。境内にもそれらしき説明板はありませんし、ネットで検索しても詳しい事は良く分かりません。大変不思議な場所です。「不動」というからには仏教関係であるはずなのに、入口には大きな鳥居が立ってます。まぁ日本人は古来から神仏共存してますから不思議ではないですが。。とにかく内部は石仏や幟が所狭しと並んでいます。
 
 10分ほどで終着点の奥の院。岩窟の中には暗闇に多数の蝋燭が灯っていました。これを見るだけでも厚い信仰心の持つ方が多いのだろうと予測されます。何だか一種の不思議な空間といいますか…とりあえず図書館にでも行って由縁でも調べてみたいものです。



犬山寂光院

2007-12-02 | 寺院


愛知県犬山市継鹿尾山にある寺院。
継鹿尾山 八葉連台寺  寂光院(つがおさん はちょうれんだいじ じゃっこういん)
東海三十六不動尊第二番
尾張33観音20番
尾張三弘法(あと2つは犬山成田山(大聖寺)と小牧龍音寺)

普段は寂光院もしくは「つがお観音」と呼ばれています。創建は白雉5年(654年)、奈良の道昭和尚が孝徳天皇の勅願を以て七堂伽藍を建立したとされており、1350年の歴史を積み重ね尾張最古刹と言われています。現在では「もみじでら」の愛称があるように晩秋になると素晴しいモミジが見られます。


岐阜県側から犬山橋を越えてすぐ左に折れ、約1.5キロほど川沿いに進むと寂光院参道の入口がある。それを少し過ぎた辺りに不老公園があり、そこにケッタを止めた。ここでのモミジが素晴しく少し西日を浴びた赤や黄色の葉が燃えるように色づいていました。

この不老公園から見る木曽川の流れも絶景でした。画面中央の橋が犬山橋。その右の岩山が鵜沼城跡。日本ラインの名の如くゴツゴツした岩が川の中に浮んでいるようです。

  

参道から本堂までには約300段の石段があり、観光客の方々はフーフー息を切らしながら登っていました。しかし登るだけの価値がある素晴しいモミジの数々が迎えてくれます。左写真は参道中腹にある石造。ちょうど皆がくたびれた辺りで小坊主さんが笑顔で迎えてくれます。「お疲れ様です」と。。。

   

上までたどり着いた先には本堂(最上部写真)。鐘楼に掛かるモミジの色が特に鮮やかで燃えるような赤い色をしていました。そんな所に季節外れの桜がチラホラと…。

正直、モミジとかあまり感心は無いと思っていたのですが、これ程の素晴しいモノを見てしまうと本心から感動しました。ちょうど日が傾き始めた時間に訪れたのも葉に透かせて木漏れ日が差し、より美しさを際立たせてくれたのかも知れません。また来年も見にいきたいと思いますね。。 


日乃出不動尊

2007-12-01 | 寺院

各務原市鵜沼にある日乃出不動尊。
美濃三不動の一つ。あとの2つは迫間不動(関市)と山中不動(各務原市)。

関市の迫間不動を過ぎ多賀坂を越え各務原市に入ってからは今度は下り、風を切りながら進み左右の分かれ道を左へ進むと日乃出不動尊です。

 
いきなり駐車場脇で出迎えてくれるのがカエルとカメ。


鳥居をくぐって中に入ると巨大な5円玉と打ち出の小槌とカエルやネズミや…

坂道を頂上まで登りつめると、最後に待っていたのは御嶽様。


上から見下ろすと結構高い。ここも迫間不動と同じく一帯に幟と石仏ばかり。この辺り一帯は「○○不動」といわれる場所が多いのですが、ガイドブックなどに詳しく説明はされていません。自分もこの岐阜で生まれ育ったにも関らず、この地の事は地名以外殆ど知りませんでした。なぜこの地域一帯がこのような信仰形態を持つようになったのか?そしてなぜそれがあまり知られていないのか…というか知らせようと(宣伝)しないのか?謎は深まるばかりです。ミステリアスな雰囲気が肌にじんじん伝わってきました。


延算寺東院(かさ神)

2007-11-12 | 寺院
岐阜市岩井にある寺院。美濃四国八十番札所。
ここより西600mに本院があります。
皮膚病にご利益ありと言われる霊水があり、その由来は…

昌泰年間頃、天然痘(皮膚病の説あり)を患った小野小町が、お告げにより疱疹、瘡を直す為に延算寺に7日間こもる。夢で「東に霊水がある。その水を体にすり込むと良い。」とお告げを聞き、その水をすり込むと完治する。この際、その霊水に延算寺の薬師如来を模した石仏を祀ったという。これが東院の最初と伝えられている。ウィキペディアより引用

その霊水をポリタンクに汲んでる人なんかもたまに見かけますね。
ちなみにこの門前で売られている五平餅は美味いです。

写真:東院本堂を写す

岩井山延算寺本院(かさ神)

2007-11-12 | 寺院
岐阜市岩井にある寺院。美濃四国八十五番札所。
ここは本院。600mほど東に東院があります。
本尊は薬師如来。(別名:たらい薬師)その由来は…

地元に伝わる昔話によると、805年(延暦24年)、唐から帰国した最澄が因幡国岩井郡岩井に滞在し、クスノキで3体の薬師如来像彫り上げる。そのうち一体が空を飛び、美濃国岩井で座禅を組んでいた僧侶の前に現れたという。驚いた僧侶はお祀りしようとしたが粗末なお堂しか造れず、地元の農民が用意した新しい盥の上にお祀りしたという。このことから、「たらい薬師」と呼ばれるという。空海がこの地に訪れた際、この薬師如来をお祀りする寺を建立したという。薬師如来を盥の上にお祀りした僧侶は空海の弟子となったという。
ウィキペディアより引用
。。。よくある伝説ですが、人々に慕われている証拠でしょうね。

丁度モミジが色付き始めてました。