ケッタでグルグル

久々にケッタ(自転車)を購入。
これを機にブラブラ回ってみよっと。

山内一豊と妻の像

2008-03-11 | 銅像
郡上市八幡町の郡上八幡城下にて。(像の後方に天守が見えます)

山内一豊の妻・千代は初代郡上八幡城主・遠藤盛数の娘であるとの系図があるそうです。銅像のモデルは「十両の馬」の話ですね。(千代がヘソクリで旦那のために馬を買ったという「内助の功」の鏡であるという逸話)

大河ドラマ【功名が辻】では、千代は近江出身になってましたので地元の方々はホゾを噛む思いだったことでしょう…。

清正公石曳きの像

2008-01-07 | 銅像
名古屋城二の丸にある銅像。
石垣用の巨大な石を引っ張るのに音頭を取る加藤清正の姿。
「尾張名所図会」に描かれているものがモデルとなっているようです。

板垣退助像

2007-11-17 | 銅像
岐阜公園内にある銅像。
1917年(大正6)に完成。製作者は畑正吉。

1882年(明治15)4月6日。自由民権運動の熱が高まる中、自由党総裁の板垣退助が岐阜の中教院で演説を終え玄関の階段を下りたとき、待ち構えていた暴漢に左胸を刺された。その時、板垣退助が歴史的な名言
「板垣死すとも自由は死せず」
と叫んだ…とされている。

まぁホントに叫んだかどうかはおいといて、
歴史の教科書に載るほどの舞台がココだというのは感慨深いですね。

板垣退助といえば印象的なヒゲ。見事に写真と一緒で貫禄があります。

若き日の織田信長像

2007-11-16 | 銅像
岐阜公園内にある銅像。冠木門脇にある。
製作者は北村西望。あの長崎の平和祈念像を造った方なんですね。

織田信長については言うに及ばず。
永禄10年(1567年)美濃の斎藤龍興を攻め、稲葉山城(岐阜城)を攻略。
美濃国を手に入れ、その際に地名を「井ノ口」から「岐阜」に改めた。
岐阜という地名の名づけ親でもあるんですよねぇ。
ちなみに岐阜市のマークには井ノ口の「井」がデザインされてます。

像の印象としては少年時代のいわゆる「うつけ者」時代の信長って感じ。
いかにも活発なヤンチャ坊主が矢を放ってる躍動感が伝わります。

明治天皇像(岐阜公園)

2007-11-16 | 銅像
岐阜公園内にある聖像。

公園入口から奥へ冠木門をくぐり、
信長居館跡を通り抜け山の麓まで行くと…。
そこに凛々しく明治天皇が立っていた。

なんでこんなところに明治天皇が…、
そういえば何か書いてあったけど忘れてしまった。。。
次行った時に見てこなあかんな。