ケッタでグルグル

久々にケッタ(自転車)を購入。
これを機にブラブラ回ってみよっと。

手力雄神社(各務原市)

2008-05-22 | 神社

 

各務原市那加手力町にある神社。

県道152号線(岐阜各務原線【通称:おがせ街道】)沿いにあります。ほぼ岐阜市との市境にあり赤い鳥居が目印です。ここは那加総社といわれ、各務原市西部である那加地区の氏神としてしたわれているそうです。手力雄神社といえば「火祭り」が有名なのですが、それはここから約1.5?ほど離れた岐阜市蔵前にある同名の手力雄神社であり、こちらの神社ではないそうです。知らなかった…。

 

      

この神社は織田信長が稲葉山城攻めの際に戦勝祈願をし、戦勝後に広大な社領を寄進した言われています。自分が描く信長のイメージとしては「神仏などクソ食らえ!」ってな感じで神頼みをするなどとはとても思えないのではありますが、これには裏話がありました。

信長がこの各務原に攻め入りこの手力雄神社を焼き払おうとした際、突然霧が立ち込め身動きが取れなくなり落馬した。信長はこれを神罰と恐れ、同神社を厚く崇拝したといわれているそうです。武芸八幡神社も信長の厚い寄進を受けたと言われていましたし、案外後世に伝わっているより信心深かった…もしくは災いを恐れる家臣や民衆に対する政治的対処だったのかもしれません。

現在でも参道脇には信長公『弓掛桜』『的場桜』があり、天然記念物に指定されています。信長が稲葉山城攻めの際に弓を掛けた桜だとか。。また社殿の幕に「織田木瓜」の家紋が入っており、ここでも信長への信仰の厚さが感じられます。

 


琴塚古墳

2008-05-03 | 史跡

 

岐阜市琴塚にある古墳。形状は前方後円墳で岐阜県内では第3番目の大きさです。
被葬者は第12代景行天皇の妃である五十琴姫命が埋葬されているという伝説がありますが学術的に裏づけはなく、埋葬品なども円筒埴輪などが出土するのみで古墳の歴史詳細に関しては不明なようです。

琴塚…子供の頃、名鉄美濃町線に乗ると「次は琴塚~」というアナウンスで名前は強く記憶に残っているのですが、実際に地名の由来となっている古墳に訪れたのは初めてでした。「琴塚」の名称は、先に説明した『五十琴姫命』の塚という部分からの由来といわれています。てっきり、古墳の形が琴の形に似ている所からつけられた名前だと思っていました。

YAHOOの航空写真で確認しても古墳の形はハッキリしており、実際に訪問しても前方部の角、後円部の曲線はよく確認できました。堀の部分は埋め立てられ公園に、墳墓部は柵がされ立入禁止でした。以前訪問した日子坐命墓は第9代開化天皇の子でしたが、第12代景行天皇は日子坐命の子孫にもあたりそのつながりも気になります。また、近辺の柄山・南塚・土山にも古墳が確認されており、それらとのつながりに関しても大変興味深いです。