四間道
四間道(しけみち)は名古屋市西区那古野にあり、名古屋城の南西にあたります。
この道の東側に堀川があります。堀川は大河の少ない名古屋城下の水運を盛んにするため福島正則らが掘削したといわれています。この四間道には『清洲越』によって移転してきた商人たちの町として、堀川を使った水運により城下町への供給拠点として大きく栄えたそうです。当時を描いた絵(右写真)には立派な白壁の土蔵が立ち並んだ姿が見られます。
また、この道は江戸時代に東海道と中山道を結ぶ脇往還として定められた美濃路(熱田~垂井)沿いでもあります。
元禄十三年(1700)の大火により多くの商家が焼失しました。そこで火の燃え広がるのを防ぐため裏道幅を4間(約7m)にしたそうで、それがこの四間道の由来になっています。また民家の屋根上には『屋根神様』と呼ばれる社が祀られております。度重なる火災に見舞われた当時の人々の祈りが込められているのでしょう。
五條橋は清洲城下の五条川に架けられていたものを、「清洲越」の際にこの地へ移築したとされています。もちろん現在の橋はコンクリート製で昭和になってからの物です。当時の絵を見てみると、名古屋城に向かって米俵を積んだ荷車がこの先にある坂を駆け上がっている姿が見られます(右写真)。
橋のたもとには往時を偲ぶ舟荷降ろしの場所である石畳が残っています。その堀川も昭和30年ごろからの工場排水問題などで以前の堀川は見るも無残な濁った川だったそうです。しかし地元住民の方々による環境対策により、見た目は随分ときれいな川になっています。ただ、取水する川の水量が少ないなど根本的な解決には至っていないようです。