goo blog サービス終了のお知らせ 

ケッタでグルグル

久々にケッタ(自転車)を購入。
これを機にブラブラ回ってみよっと。

四間道

2008-01-04 | 

    

四間道(しけみち)は名古屋市西区那古野にあり、名古屋城の南西にあたります。
この道の東側に堀川があります。堀川は大河の少ない名古屋城下の水運を盛んにするため福島正則らが掘削したといわれています。この四間道には『清洲越』によって移転してきた商人たちの町として、堀川を使った水運により城下町への供給拠点として大きく栄えたそうです。当時を描いた絵(右写真)には立派な白壁の土蔵が立ち並んだ姿が見られます。
また、この道は江戸時代に東海道と中山道を結ぶ脇往還として定められた美濃路(熱田~垂井)沿いでもあります。

  

元禄十三年(1700)の大火により多くの商家が焼失しました。そこで火の燃え広がるのを防ぐため裏道幅を4間(約7m)にしたそうで、それがこの四間道の由来になっています。また民家の屋根上には『屋根神様』と呼ばれる社が祀られております。度重なる火災に見舞われた当時の人々の祈りが込められているのでしょう。

  

五條橋は清洲城下の五条川に架けられていたものを、「清洲越」の際にこの地へ移築したとされています。もちろん現在の橋はコンクリート製で昭和になってからの物です。当時の絵を見てみると、名古屋城に向かって米俵を積んだ荷車がこの先にある坂を駆け上がっている姿が見られます(右写真)。

  

橋のたもとには往時を偲ぶ舟荷降ろしの場所である石畳が残っています。その堀川も昭和30年ごろからの工場排水問題などで以前の堀川は見るも無残な濁った川だったそうです。しかし地元住民の方々による環境対策により、見た目は随分ときれいな川になっています。ただ、取水する川の水量が少ないなど根本的な解決には至っていないようです。


多賀坂林道(もみじ道)

2007-12-01 | 

正式名称は多賀坂林道なのかな?関市迫間~多賀坂を越え~各務原市鵜沼に抜ける林道です。特に迫間不動から南へ進み、各務原市へ入った付近からは道沿いにモミジが並び大変キレイでした。あまりガイドブックなどにも紹介されていない穴場的魅力があります。

  
日乃出不動車折神社あたりは赤い灯篭が立ち並び、モミジを引き立たせてくれていました。


百曲登山道(金華山)

2007-11-17 | 
金華山登山道の一つ。
健脚向き。中学生以上が対象とのこと。

登りは割と楽な七曲だったので、下りは百曲を選んでみました。
小~中学生の頃に登った道なのでタカをくくってましたが…、
怖い。。。道というより岩場を下る感じ。
こんなに恐ろしかったかなぁ~。知らん間に怖がりになってた自分。

行きはもう到着か…と多少の物足りなさを感じてましたが、
帰りは地上にたどり着いたときはホント安堵感いっぱいでした。。

写真:百曲登山道

七曲がり登山道(金華山)

2007-11-17 | 
金華山の登山道の一つ。
元々は岐阜城への大手道で、小学生や家族連れでもオススメなコース。
ロープウェーが開通するまでは一番利用されたらしいです。

最初はダラダラとした遊歩道という感じでスイスイ登れました。途中で「城まで○丁」という道標を確認しながら、ボチボチ上って行きます。頂上に近づくにつれ階段がメインになります。そこそこ息が上がりますが心地よい運動程度で山頂ロープウェー乗り場へ到着。

そこにはリス村もあり観光客がグンと増えます。ここからは天守へ向かう道。尾根づたいに進む中、整備されながらも昔の曲輪らしさは多少感じられます。上格子門跡、馬場跡(信長は馬でココまで来た!?)。中でも登城口下にある石積みには戦国時代の息吹が感じられます。そして道はやがて天守閣へ…。

写真:七曲登山道の階段

中山道太田宿

2007-10-31 | 
中山道を江戸から数えて五十二番目の宿場町。
現在の美濃加茂市太田本町付近。

現在の本通りから一本中に入っただけだが、歴史の趣ある道を感じられる。
東西2つの枡形(敵のスムーズな進入を防ぐためのクランク)も残り、
重要文化財の脇本陣・林家。
粋な黒塀が美しい御代桜酒造。
太田宿中山道会館には街道の歴史などが詳しく紹介されている。

一歩裏手に出れば眼下に木曽川が広がる風景。
中山道会館にケッタを置いてブラブラするのもいいかも。。