旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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比企一族屋敷跡、妙本寺へ。

2022年07月17日 06時19分23秒 | 旅の途中で

 本覚寺の次に向かったの「妙本寺」。

 鎌倉13人の中の「比企一族」の屋敷跡とされています。

 

 

  ↑ 総門。

 初代執権北条時政に滅ぼされた比企一族の生き残りである比企能本が1260(文応元)年に創建したと伝えられています。

 

 

  ↑ 妙本寺案内板。

 鎌倉時代、比企谷には比企能員の一族が住んでいました。

 能員の娘は将軍源頼家の側室となり「一幡」を生みました。

 1203(建仁3)年、頼家が重い病気にかかったとき万一の場合に次の将軍を誰にするかをめぐって頼家の弟千幡を推す人々と一幡を推す人々で意見が対立しました。

 このとき能員は頼家に訴えて強引に政治の実権を一幡に譲らせようと動き「時政」に殺されてしまいました。

 そして一幡を擁して比企谷にたてこもった比企一族もこの地で滅ぼされてしまいましたがそこから辛くも生きのびたのが当時2歳だった「比企大学三郎能本」です。

 本は成人し、学者となって順徳天皇に仕えましたがやがて許されて鎌倉に帰り日蓮上人の弟子となりました。

 そして、父能員の屋敷跡に比企一族の霊を弔うためお堂を建てたのが「妙本寺」の始まりといわれ日蓮に寄進したと伝えられています。

  こんな歴史がある妙本寺だそうです。

 NHKの大河ドラマは見ていないので、案内板やスマホの情報で知るのみ。

 歴史を解ると、味方も確かに変わりますね。

 

 

 ↑ 北条義時13人の家臣の中の比企。

 

 

 ↑ 歴史を感じさせる、千社札が。

 素朴な疑問、千社札良く貼った高い所に。

 

 

 ↑ 左から上がり、右に降りてきます。

 

 

 ↑ 妙本寺配置図。

 広い境内には、持国天と多聞天を安置する「二天門」、日蓮宗の開祖である日蓮聖人(祖師)を祀る「祖師堂」、日蓮聖人銅像、2代将軍頼家と若狭局の嫡子である「一幡之君袖塚」、比企一族の墓、若狭局を祀る蛇苦止堂(じゃくしどう)などがあります。

 

 

 ↑ 方丈門。

 妙本寺方丈を目指し、階段を上り。

 

 

 ↑ 私の前を歩いて上がって行く方、大巧寺で譲り合って写真   を撮った方のようだ。

 

   

 ↑ 一歩境内に足  を踏み入れると、街中の音が消え静けさが漂う。

 

 

 ↑ あじさいの花。今年も見納め。

 

 

 ↑ あじさいの花。今年も見納めか。

 

 

 ↑ 本堂脇を通り。

 

  

                        ↑ 少し高台にある鐘楼を見上げながら脇を通り。

 

 

 ↑ 「二天門」にたどり着きました。

 お寺の山門にしては、華やか。

 

 

 

 

 

 

 

  

 ↑ ここでも結婚式の前撮り写真。

 カメラマンが、写真  を。

 ここに一組。

 

  

 ↑ ノウゼンカズラと二天門。

 

 

 ↑ そうそう、ここで車で一時間の所に住んで居る方に出会い鎌倉の情報を少し頂いた。

 長く話をしたかったのですが、相手の方の都合もあるので。

 鎌倉と言ったら、明月院のあじさい。

 7月1日からあじさいの剪定が始まるととの情報を頂いた

 良かった剪定前に、明月院のあじさいを眺める事が出来ようだ。

 

 

 ↑ ノウゼンカズラが咲き始めていました。

 

  

                        ↑ 手水舎。

 

 

 ↑ 祖師堂側から眺めた二天門。

 二天門の手前にあるノウゼンカズラは私が訪れた時は、向かって右は咲き始め。

 左は、咲いていませんでした。

 私が訪れた後に 、訪れたノウゼンカズラの写真。🌸

 他の方のブログで、美しく咲いたノウゼンカズラの写真が掲載されていました。

 

  

 ↑ 相関図

 

 

 ↑ 祖師堂。

 ここでも、左側で結婚式の前撮り写真。

 これで今日見かけたのは4組目。

 今日は、お日柄が良いのだろうか?。

 さすがに祖師堂には、近寄りがたし。

 お邪魔しないで退散するか。

 両親の方だろうか、写真を撮りまくって居ました。

 

 

 ↑ 祖師堂には参拝できないが。

 柱の彫刻でもせめて撮影  して。

 勘弁していただきました。

 

 

 ↑ そう言えば、ここでドクダミに八重の花がある事を初めて知りました。

 

 

 ↑ 袖塚。

 祖師堂前には、一幡(いちまん:頼家公の側室であり比企能員の娘若狭の局との長男)の袖塚があります。

 一幡は、1203(建仁3)年9月2日の比企の乱において、小御所に火を放たれ命を落とします。

 焼け跡からは一幡のものとされる小袖が見つかり、一幡を祀るために建てられたのが袖塚です。

 

 

 ↑ 比企一族を弔う四基の五輪塔。

 祖師堂に向かって右手には、比企一族を弔う四基の五輪塔、そしてその両脇に石塔が建っています。

 石塔には「本行院日学聖人」「輪成院日教聖人」と刻まれています。

 「本行院日学聖人」は開基の比企能本、「輪成院日教聖人」は現在の祖師堂を再建した妙本寺47代目のご住職だそうです。

 

 

 ↑ 二天門。

 

  

 ↑ 多聞天(毘沙門天)。           ↑ 持国天。

 

  

 ↑ 多聞天(毘沙門天)の台座。        ↑ 持国天の台座。

 上の写真は拝借しました。

 

  

 ↑ 四天王。

 須弥山に住むという「帝釈天」に仕える四人の守護神のことだとか。

 持国天 ‥ 東方の守護神。

 広目天 ‥ 西方の守護神

 増長天 ‥ 南方の守護神

 多聞天 ‥ 北方の守護神(毘沙門天とも呼ばれる。)

 だそうです。

 

 

 ↑ 妙本寺ともお別れ。

 

  

 ↑ 二天門と言えば、過去に急に雨  に合い雨宿りしたことも有りました。

 

 

 ↑ 秋の季節に訪れた時の二天門。

 絵になります。

 

 

 ↑ 今日は雨には遭遇しないが、熱い。

 背中が💦で。

 

 

 ↑ 階段を下り。

 木々の間からの木漏れ日が涼しげ。

 

  

 ↑ 木々の間からさしこむ、木漏れ陽の光。

 熱中症対策の飲み物を飲んで、一休み。

 次の目的地  へ。

 

 

 

 

 ↑ 比企一族が眠る妙本寺でした。

 

 

 ↑ そうそう、数年前に訪れた時は、急な雨  に合い。

 雨宿り。

 この時も、結婚式の前撮り写真の方に遭遇したっけ。

 

 そろそろ、ここでお昼にしました。

 小町通りから少し入った路地の一角にあ小さなお店。

 

 ↑ 小町通りにある、何時もの「カン太」くんでの食事。

 

 

 

 

 ↑ キーマカレー。

 決まったメニューが好み。

 

 

 ↑ 何時も思うのだが、鎌倉 🥬 美味しい。

 出来るならば、一週間位滞在してお寺巡りをしたいが経済的に無理。



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