あさねぼう

記録のように・備忘録のように、時間をみつけ、思いつくまま、気ままにブログをしたい。

高津区

2020-04-19 19:52:31 | 日記
「高津」の由来には諸説がある。大阪市の「浪速高津宮」付近の景観に似ているという説[誰によって?]がある一方、高津中学校では「鷹津」を由来としており、確実な説はまだ存在しない。
丘陵部への人間の定住は早く、区南東部の子母口貝塚は縄文時代前期と推定されている。
新作の台地上(現新作小学校)からは新作小高台遺跡が発見され、弥生時代から古墳時代の遺物が多数発掘されている。
大和朝廷の支配が関東に及ぶと、律令制のもとで現在の高津区一帯は橘樹郡に属し、高津区千年付近に郡衙が置かれ、この地域の行政の中心になったと推定されている。
平安時代以降は荘園が発達し、周囲の寺社や有力豪族の支配地となる。
江戸時代からは東海道の脇街道として大山街道(矢倉沢往還)が整備され、二子の渡しや二子・溝口宿は江戸から大山阿夫利神社(現伊勢原市)へ向かう参拝者で賑わった。

名所・旧跡
二ヶ領用水 久地円筒分水

橘樹官衙遺跡群 - 国指定史跡
大山街道(矢倉沢往還、足柄道) 大山街道ふるさと館
 高津町役場跡に建てられ、かつて大山街道が辿った経路等を紹介する常設展示、および展示室や会議室などの貸出を行っている。

橘樹神社
西福寺古墳(梶ヶ谷第三公園)
下作延稲荷山古墳
久本横穴墓群
子母口貝塚
岡本かの子文学碑「誇り」、光明寺
久地梅林、津田山(七面山)
緑ヶ丘霊園 - 桜並木、作延城跡
川崎市民プラザ
 併設されている庭園にはかつての森が残され、開発が入る前の丘陵の風景を今に伝えている。
高津区市民健康の森(たちばなふれあいの森)
 市が土地を保全し、地域住民が維持管理を担っている。森の手入れに加え、木工教室や蛍の保全活動などが進められている。
たちばなの散歩道
久本山
 武蔵溝ノ口駅の南西に見える急斜面のある久本地区の丘は「久本山」と呼ばれる。駅前立地でもあり現在は大きなマンション等が乱立する一方、小さいながらも畑や梅林、竹林等が残っており、オナガやジョウビタキなど野鳥の住み処にもなっている。この地域では「江戸見桜」の保全や坂への命名といった地域おこしに加え、里山的環境を残す活動もされている。
笹の原の子育て地蔵
 念願叶って子供を授かった夫婦がそのお礼と子の健やかな成長を願って建てたと言われる地蔵尊で、近隣で講をつくる末長・下作延の住民によって現在も護られている。「都筑橘樹酉年地蔵」の第18番札所になっており、毎酉年になると開帳され、巡礼者が訪れる。


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