あさねぼう

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ブラックマンデー 1987年10月19日(月曜日)

2020-03-13 21:14:26 | 日記
ブラックマンデー(暗黒の月曜日、英語: Black Monday)とは、1987年10月19日(月曜日)に香港を発端に起こった世界的株価大暴落である。

オーストラリアとニュージーランドでは時差の違いからBlack Tuesday(暗黒の火曜日)とも呼ばれる。

1970年代、連邦準備制度のインフレ政策とオイルショックによる資金需要がレーガノミックスの高金利時代につながり、投信がマネー・マーケット・ファンドで食いつなぐほど株式は割安に放置され続けていた。1980年代、OTD金融でユーロダラーを捻出する政策がスタグフレーションを進行させていた。双子の赤字を減らす建前で1985年プラザ合意がなされた。これをきっかけに、少なくともドイツ・マルク、イギリス・ポンド、日本円、スウェーデン・クローネが一気に国際化した。これらの通貨を機関投資家は一挙に買収する準備を整えた。そしてブラックマンデーの2ヶ月前にFRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれた。グリーンスパンは、機関投資家の一つ、国際投信ドレフュスファンドの出身である。

また、ブラックマンデー直前の1987年10月15日にはイラン・イラク戦争のアーネスト・ウィル作戦で米軍の護衛を受けていたタンカーがイラン海軍の攻撃を受け、ミサイルを被弾する出来事があった。米軍は報復として当日未明、イランがペルシャ湾に持っていた石油プラットフォーム2基を爆撃(ニムバル・アーチャー作戦)し、原油市場に対する不安が沸き起こっていた。

原油不安は先進国を含む石油消費国のカントリー・リスクを引き上げた。ユーロ債を貸しこまれた各国経済の財務悪化につけこみ、グローバルな機関化を展開する未曾有のチャンスが創出された。偶然ではなく、オイルマネーはOTD金融によって信用創造された現金が世界各国へ貸しつけられ、それが燃料費となって生じていた。