田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

今時の学校給食は美味しい

2015年08月26日 | 遠い日の記憶

 今時といっても、10年近く前の話になる。ある時、小学校給食を試食する機会があった。これが美味しかった。別の機会に保育園の給食も食べたことがある。こちらも美味しかった。子どもの食べ物と言っても、馬鹿にしてはいけないと思ったものである。行政も研究会を作ったり、アレルギー除去食に対応したり、質の向上に努めている。

  今年は夏休みが早く終わり学校給食が始まったので、小学生の孫に会った時、「今日の給食は何だった」と聞いたら、ビーフシチューとの答。昔はそんな洒落た献立は無かったなあ。孫も給食は美味しいという。

 私が小学生の頃、いつから給食が始まったかは覚えていない。はっきり覚えているのは、6年生の時、給食で出される脱脂粉乳のミルクが不味くて嫌だったことである。温かいうちはまだ良いが、冷えてくると表面に膜が出来、とても飲めたものではなかった。あれで給食が嫌いになった。

 また米飯給食ではなく、食パンだった。私はよく残してランドセルに抛りこみ、それを齧りながら帰宅したものである。おかずは何だったか。鯨の大和煮があった記憶が残っている。

 後年、ララ物資(「アジア救援公認団体」による食糧などの支援物資)について知った時、私は飲んでいた脱脂粉乳のミルクはララ物資であると思っていた。ララ物資の脱脂粉乳は、家畜の飼料であったそうである。

(ララ物資をはじめとする各種の救援物資が、敗戦直後の日本の飢餓と疫病を防いだことは別の話。ミルクや肉、パンといった学校給食により、子どものうちから洋風の味に慣らされていったことも)

 ただ、ララの活動は5年余りで終わっており、私が小学校で飲んだ時期とは合わない。しかし当時、小学校の通用口の横に空になった厚紙のドラム缶が置かれており、英語の表記があったので、そう思っていた。或いは、活動終了後もアメリカから援助を受けていたのかも知れない。

 中学生になった時は、坊主頭や制服制帽などの通過儀礼があったが、一番喜んだのは給食が無くなって弁当になったことである。母が作る弁当は美味しかった。里芋の煮っ転がしや、甘辛く煮たこんにゃくなど、手が掛かっていた。入学して間もない頃、慌てて食べてのどに詰まらせ、手洗い場まで駆けて行ったこともある。

 弁当を食べる時、母親の有難味を感じたものである。私は親が持たせる弁当は家庭教育の一環だと思う。

 最近、私の住んでいる市でも中学校の学校給食が始まった。保護者からの長年の要望に応えたものである。昔とは違い、今は共働き世帯が増えた。共働きの母親の朝の忙しさはよくわかるので、これも時代の流れかなと思っている。また成長期の子供たちに、栄養バランスの取れた食事をさせる意味もあるのだろう。朝食をきちんと食べてこない生徒もいるのである。

 それはそれとして、これも10年程前に保育士さんから聞いた話。市内の保育園では、味噌汁はきちんとダシを取っており、麩も入れて家庭的な味付けにしている。しかし、お母さんから「金魚の餌を入れるなんて」とクレームがついたそうである。鯉に麩を与えることはあるが、今時の家庭では味噌汁はつくらないのでしょうか、と嘆いていた。

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2 コメント

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学校給食 (tango)
2015-08-27 06:33:43
おはようございます
私は学校給食が大嫌いでした
登校拒否まで起こしていました
そのためかどうか分からないのですが…小学校1,2年生の記憶がないのです<わらい>
特に脱脂粉乳が嫌いで嫌いで…いまだにバターチーズ
乳製品が嫌いです。だから早く小学校を卒業して中学校になればお弁当になるからと思っていました
小学校6年生の時、牛乳が飲めなくて幼馴染の近くの男の子がそっと私の代わりに飲んでくれていました。
忘れられない思い出です。
中学生では卵焼きやバナナを持っていくと贅沢な時代でした。好き嫌いもひどかったのですがいまだに吐き気の中枢神経が人より敏感であると言われつわりがとてもひどくて病院の先生が困っていました
そういう体質もあるので無理に学校給食がすすめれないと思うのですよ
久しぶりに<脱脂粉乳の記事>…懐かしい話題
今はオシャレな時代になっているのですね!
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牛乳給食 (九州より)
2015-08-27 06:57:54
おはようございます。
脱脂粉乳で牛乳が嫌いになった人は多いようですね。本を読んでいても、そういう思い出話が出てきます。
ただ私の場合、中学校3年生から牛乳給食が始まりました。後のテトラパックではなく、瓶入りの牛乳です。その時以来、牛乳とはこんなにおいしいものかと好きになりました。
以来、今でも牛乳はよく飲みます。
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