川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

北朝鮮核実験抗議声明(案)① ハン・ソッキュさん

2009-05-26 21:46:33 | 韓国・北朝鮮
 北朝鮮の核実験に抗議声明を出そうというぼくの提案にハン・ソッキュさんが何か役に立てるかといわれて一文を寄せてくれました。

 ハンさんは10代の後半に北朝鮮に「帰国」し、40数年後の2003年脱北を敢行後、日本に帰ってこられました。帰国者と日本人家族の実情を世界に報すため2007年『日本から「北」に帰った人の物語』(新幹社)を刊行するなど、日に日を継いで活動されています。

 ぼくはハンさんの文章を何度も何度も読みました。心に響いて元気が蘇ってくるような気がします。

 皆さんはどうでしょうか。どうぞ、読んでみてください。
 宜しかったらぼくの願いに答えてあなたの声明(案)を書いて寄せてください。 お願いします。      



      私 に で き る こ と

                    ハン ソッキュ



 1960年、 金 日成総合大学の物理学部に初めて核物理学科が設置され、新入生の入試が実施された。日本から朝鮮へ渡って何ヶ月にもならない私は、この国にも先進科学の先端を行く核物理学科ができたことを喜んだものだった。今考えると、おめでたいにもほどがあったというものだ。
 その後、ニョンビョンに核物理学研究所ができ、北朝鮮出身の私の友人がニョンビョンに派遣され二度と彼と会うことはなかった。
彼はニョンビョンへ行く前に私に会いに来て、「その研究所で10年も働けば子種がなくなるそうだ。行きたくないのだが、行かなければ大学卒業資格ももらえず炭鉱送りになるから行かないわけにはいかない」と、嘆いていたことを思い出す。
 それが北朝鮮の核への暴走の始まりだった。
 北朝鮮になぜ核兵器が必要だというのか。あれだけ地下資源が豊富で、風光明媚な国土を持ちながら、東北アジアで唯一数百万人もの餓死者を出している。そんな国になぜ核兵器が必要なのか。
核兵器は人民を救いはしない。核兵器を振りかざして世界に脅かしをかけても得るものは何もない。
社会主義のモットーも面子もかなぐり捨てて彼らが得たいものが何なのか。


あの国へ入って40数年。どんなに間違ったことを見ても聞いても一言も言わないで黙っていなければならなかった。それがどんなに辛く耐え難いことか。自分が思ったことをいつどこででも発言でき、行動できる社会に住んでいる人たちには、それはどんなに理解しようとしても理解することのできない社会なのだ。

「この国をどうにかしなければならない。どうにかするためにはまずこの国から脱出しなければならない」。その思いだけを胸に国境を越えた私だったが、日本に戻ってきて何をしたのか。
 昨日、今日の核実験の報道を接するにつけても、自責の念に臍をかむばかりである。「あの国に残してきた肉身の命は私のものではないし、ましてやあんな犯罪者たちの手にかけさせるわけには行かない」という私の考えは利己的なのか。私の肉親たちの命を犠牲にしてでも全面戦争に挑まなければならないのか。
 私は自分自身を本当に小物だと思う。しかし、今この瞬間も、私の立場は変わらない。私の置かれたこのような状況下で何ができるか。
 頭が破裂するほど考えても良い考えは浮かんでこない。誰か助け舟を出してくれないかな。
 今、私に言えることは北朝鮮の非核化のためには、あの国の核武装化に手を貸した朝鮮総連が、反対運動の先頭に立たなければならないということだ。
 9万4千人もの在日朝鮮人たちを北朝鮮に送り込んで不幸のどん底に叩き込んでもだんまりを決め込み、今また北朝鮮が時と場所もわきまえずに核兵器を振りかざしているのを見て見ぬふりをするということになればこの日本に朝鮮総連の居場所はなくなって当然なのではないか。
 もうこのくらいにして朝鮮総連は北朝鮮離れをして、今まで犯してきた過ちを認め、日本を始め国際社会に謝罪をし、北朝鮮の非核化のために努力をすることによって自身の立場を正さなければならないと思う。
 これ以上黙っていることは許されないし、このままだと日本社会に存在の場所がなくなるだろう。
 今の私にはこんなことくらいしか言えない。
 なんとも歯がゆく、情けないが、こんなことからでも北朝鮮の暴走を抑えるための運動の足しになればという願いを込めて、この文を書いた。

 『日本から「北」に帰った人の物語』http://aoinomama13.seesaa.net/article/78371870.html