川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

鳩山内閣

2009-05-17 22:13:52 | 政治・社会
 鳩山由紀夫さんが民主党の代表に選ばれました。55年前、鳩山内閣が出来た頃のことを思い出します。
 ぼくは中学に入ったばかりで親元を離れて下宿生活でした。小学生の頃からラジオ(NHK)は良く聞き、新聞も読んでいました。
 長くつづいた吉田内閣が倒れたときにはこどもながら明るい気持になったことを覚えています。

 当時のことを「近代日本総合年表」(岩波書店)から抜き書きします。


 1953・4・19 衆議院選挙(自由党199・改進党76・左派社会党7            2・右派社会党66・分党派自由35)

      5・21 第5次吉田茂内閣成立
 1954・4・21 犬養法相、検事総長に対し指揮権発動。自由党幹事長・佐           藤栄作の逮捕許諾(造船疑獄)を請求しないよう指示。

      4・24 内閣不信任案208対228で否決。
      9・6  衆議院決算委員会 佐藤藤佐検事総長、指揮権発動で捜査           に支障と証言。吉田茂首相の証人喚問を決定。
      9・18 吉田首相、喚問を拒否。決算委、首相告発動議可決。
      9・19 鳩山一郎・重光葵(まもる)ら反吉田新党結成で合意。
     11・24 日本民主党結成(総裁・鳩山一郎)
     12・6  民主・両社共同で吉田内閣不信任案提出。
     12・7  吉田内閣総辞職
     12・9  衆参両院、鳩山一郎を新首相に指名。民主・両社、55年           3月までに総選挙を行うと共同声明。
     12・10 第1次鳩山内閣成立。

 鳩山一郎とは由紀夫さんの祖父にあたる方です。1946年4月、自由党総裁として首相になる直前にGHQから戦争犯罪に荷担したとして公職追放となり、代わって吉田茂が組閣することになったのです。旧憲法下ですから国会の指名ではなく天皇の「大命」に基づく最後の総理大臣です。麻生首相の祖父にあたります。

 吉田茂は46年から54年までの長期に渡り政権を担当し、良かれ悪しかれ、戦後日本の進路を導いた人です。父母が高知県人で、選挙区も高知でした。
 ぼくがものごころついたのはこの年表のころで「吉田内閣ぶったおせ」という声が巷(ちまた)にあふれていました。朝鮮戦争をきっかけに警察予備隊の創設など「逆コース」がはじまり、「吉田=反動」というレッテルが貼られるようになったのです。そこへ中枢部の汚職が発覚したのですから、さすがのワンマンも自制心を失ったのでしょうか。指揮権発動という今では考えられない行動に出た末、退陣に追い込まれたのです。

 8年ぶりに宿願を果たした鳩山首相は日ソ国交回復に取り組み、その結果日本の国連加盟も実現しました。ぼくは鳩山首相が病身をおしてモスクワに飛び立つとき、羽田空港で「至誠天に通ず」という言葉を残したことを記憶しています。
 しかし、社会主義国との友好関係を築こうとする鳩山首相がなぜ、学生達に血の弾圧を加えるのか不思議でなりませんでした。彼らは米軍の砂川基地(東京)の拡張に反対して座り込みを続けていたのです。

 鳩山内閣時代の年表です。

 1955・2.27 衆議院選挙(民主185・自由112・左社89・右社6           7) 護憲派 3分の1を確保。

      9・13~砂川基地拡張のための測量を廻って警官隊と反対同盟など           の衝突つづく。
     10・13 社会党統一大会
     11・15 自由民主党結成(いわゆる55年体制はじまる)

 1956・5    政府、小選挙区法案の強行するも結局廃案に。
      6・11 憲法調査会法公布
     10・12 立川基地強制測量。負傷者1000人を超える。14 測           量中止決定。
     10・19 日ソ共同宣言 国交回復
     12・18 国連総会、日本の加盟を全会一致で可決。
     12・20 鳩山内閣総辞職 23 石橋内閣成立。

 鳩山首相は日ソの国交を回復し、日本を国際社会に復帰させるとともに、憲法を改正し、国防力を整えようとしました。そのためにハトマンダーと呼ばれるほどの与党に有利な小選挙区制度を導入しようとさえしました。これには社会党をはじめとする革新勢力が激しく抵抗し、遂にあきらめざるを得ませんでした。以後長くつづいた55年体制の下では護憲勢力が国会の3分の1を占めつづけ改憲は事実上不可能となりました。
 
 鳩山内閣は吉田自由党内閣に引導を渡す形で登場し、朝鮮戦争の休戦という冷戦の緩和期に日本の国際社会への復帰を実現し、55年体制の発足とともにその役割を終えたといえます。
 東京の護国寺に「友愛」という文字が台座に刻まれた鳩山夫妻の銅像がありましたが今は軽井沢に移されたそうです。http://www.yuaiyouth.or.jp/katudo2006_douzou1.html
 

 自民党の長期政権に末期症状が顕著となり、55年体制も完全に崩壊しました。
あたらしい鳩山民主党は政権交代を実現させ、日本を大掃除するといっています。
 明治以来の官僚支配の中央集権政治を終わらせるというのです。リーダーに選ばれた人は政治家4世でいかにも日本の閉塞状況を反映しています。失礼ながらその任に堪えられるでしょうか。しかし、これが現実です。
 鳩山由紀夫さん、その言やよし。
 協力体制を整えてこの国に民主主義を根付かせるためにリーダーシップを発揮してほしいと思います。希望を持ち始めた人々を落胆させることがあってはなりません。