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唯物論者

唯物論の再構築

数理労働価値(第四章:生産要素表(6)余剰資産対価としての地代)

2025-04-20 11:35:59 | 資本論の見直し

(19a)特別剰余価値としての地代

 単純な労働価値論が地代に期待するのは、それが土地の開墾や整地に投じた労働力の量と等しいことである。そのような地代は、土地の有効化に投じた労働力に対する報酬となる。ところが一方にもともと開墾や整地の不必要な土地も存在する。その土地に期待される地代はゼロである。しかしその土地の地代はゼロにならない。リカードの差額地代論において、整地に労働力を投じた土地と、投じていない土地の両者の地代は同額である。それと言うのも、この二つの土地に差異が無いからかである。ただしここでの整地不要な土地の地代は、整地必要な土地の地代によって決定される。もし地代がゼロで現れようとするなら、二つの土地の地代が共にゼロとなる必要がある。そのための条件は、どちらの土地にも整地労働力が投じられていないことである。しかしそれは非現実であり、地代ゼロの土地は市場に現れない。なるほどこの差額地代論は、労働価値論を維持して地代を説明する。また少なくとも整地労働対価は、地代の一部を構成する。一方で整地地代が投下労働力に応じた価格なのに対し、不整地地代は投下労働力に応じた価格より大きい。それゆえにその不整地地代は不当価格であり、それで得られる利益も不当利益に現れる。しかし差額地代論は、その利益の不当性を問題にしない。他方でこのような価格の不当性は、不整地地代に限らず、市場価格から外れた差額略取の全てに該当する。基本的にその差額略取で得られる特殊利益の全ては、マルクス経済学における特別剰余価値から理解した方が納得しやすい。特別剰余価値とは、市場価格より安い元値の商品を市場価格で売却する際に得られる特殊利益を指す。本来なら商品価格は、その商品の再生産のために必要な投下労働力と同額である必要がある。もしその商品の再生産のために必要な投下労働力が、市場の同じ商品の再生産のために必要な投下労働力より小さいなら、その商品は市場価格より安値である必要がある。それにもかかわらずその商品価格が安値とならず市場価格で売却されるなら、その商品価格は不当価格であり、それで得られる利益も不当利益である。ところがその商品は市場商品と差異が無いので、その市場価格に等しい不当価格は正当な価格となり、その不当利益も正当な利益となる。この正当化した不当利益が、特別剰余価値である。なおマルクスが特別剰余価値の対象にしたのは、このように新規技術が安価な商品価格を可能にするケースである。ただしその特殊利益に必要なのは、新規技術よりむしろ生産者による技術独占である。それどころか独占それ自体があるなら、新規技術さえも不要である。したがって特別剰余価値は、市場価格より高い商品を市場価格で買い叩く際に得られる特殊利益としても現れる。つまり権利的独占が差額略取を可能にするなら、特別剰余価値も取得可能となる。当然ながら既存商品を正当に強奪して転売できるなら、その売却によってもゼロ価格に対する差額略取から特別剰余価値が生じる。どのみち独占が正当であるなら、どのように不当な価格や利益も、独占の正当性に従って正当な価格や利益に昇格する。上述の不整地地代により得られる特殊利益は、このような新規技術を必要としない特別剰余価値である。それが根拠にするのは、正当化された独占それ自体である。


(19b)余剰資産対価としての地代

 地代は特別剰余価値の一形態であるとしても、それが必要とするのは先進技術ではなく、土地の権利的独占である。このために地代で得られる特別剰余価値は、やはり先進技術を根拠にした特別剰余価値と区別される。先進技術を根拠にした特別剰余価値は、商品再生産のための削減労働力相当額として生じる。その超過利益を実現するのは、剰余価値搾取の相対的増大であると同時に他の生産者利益からの横取りである。先進技術生産者は、労働力からより多くの剰余価値を得るだけでなく、他の生産者から市場を奪うことで特別剰余価値をより多く捻出する。その超過利益が前提するのは、対象商品の再生産のために必要とされる既存の労働力量である。その労働力量との比較により先進技術が実現する削減労働力量が決まり、その相当額として特別剰余価値が生じる。ところがこの特別剰余価値の前提は、地代の場合に成立しない。なぜなら地代の場合、土地の再生産のために必要とされる労働力量は、整地と売買に関わる投下労働部分を除いて言えば、存在しないからである。もちろん土地売買を成立させるために莫大な労働力を要し、そのために地代が高騰すると説明するのも間違っていない。しかしそれでは需給関係が商品価格を決めるだけとなり、価格論が労働価値論以前の出発点に舞い戻ってしまう。また住むだけの家屋を建てるだけの目的で土地を考えるなら、労働者の購入対象にする土地の現実の地代は高すぎる。住宅用の土地を整地するだけの必要労働力は、一労働者の一生分の労働力よりはるかに小さい。またそもそも地代が前提するのは、対象商品の再生産のために必要とされる労働力量ではない。結論を先に言えば、地代は労働者の生活に必要な居住空間を単位とし、その一単位は一労働者に可能な残余資産を表現する。それゆえに労働者一人当たりの地代は、次の一般式で表現される。

  地代 = 労働力全体 -住居以外の消費に充当する労働力部分

上記一般式における地代を、一労働者が生涯に負担する地代総額として捉えるなら、その値は労働者の生涯に生産可能な労働力総量から、住居以外の消費に充当する労働力総量を控除した残余に等しくなる。

  生涯地代 = 生涯労働力全体 -住居以外の消費に充当する生涯労働力部分

それゆえに労働者が土地購入で地代を一括払いするなら、その土地価格はこの地代総額を上限にして既払いの地代を差し引いた未払いの地代総額として現れる。同様に労働者が土地購入なしに日額で地代を支払うなら、その日額の地代はこの地代総額の日割として現れる。

  日額地代 =労働力日額全体 -住居以外の消費に充当する労働力日額部分

地代が労働者の残余資産総額として現れるのは、そもそも土地が再生産可能な物財ではなく、なおかつ労働者の生活に不可欠な物財であることに従う。一方で地代がこのような余剰資産対価として規定されると、逆に開墾や整地、売買に関わる投下労働力部分は、地権者にとって地代における無駄な支出部分にすぎない。しかし居住可能な土地が限られている以上、開墾や整地、売買に関わる投下労働も必要であり、その投下労働に対して地代からその該当部分が控除されることになる。そこで上記一般式にその控除部分を追記すると、次の一般式が現れる。

  地代 = 労働力全体 -住居以外の消費に充当する労働力部分 -土地有効化のための労働力


(19c)地代の特殊性

 旧時代の無産者において日々の労働と日々の消費は等価であり、彼らにとって資産の確保は不可能であった。この状態の無産者にとって資本家と地権者は、自らの生産物を搾取する異なる相手に留まる。これに対して現代の労働者の場合、その日々の労働と日々の消費は必ずしも等価ではない。このような労働者は、その差分で得た余剰によって資産を確保できる。ここで労働者の生活消費に要請されるのは、子供の養育を含めた家族の衣食住である。ただしそれらに必要な物財は、労働者の日々の生活規模に応じて生産される。当然ながらそれらの物財価格も、その同じ必要労働力規模で規定される。それゆえに労働者は、日々の労働によって大概の生活消費財を購入できる。またそうでなければ労働者は生活できず、社会に餓死と強奪が蔓延する。一方で労働者とその家族は、居住空間なしに生活できない。しかし彼らが住むための土地は人類誕生以前から存在しており、労働力の投入によっても再生産できない。その価格は本来ならゼロである。もちろんその生活空間の一部は、宅地造成や高層建築、および移動手段の発達によって多層に増大できる。ここでも労働力投下が、その空間的増大を現実化する。しかしそこで生産できるのは、物理空間自体ではない。多層に増大する生活空間はそもそも自ら増大するための地表面積を必要とし、それは労働力の投下によっても再生産できない。ここで労働者に迫られている困難の正体は、この土地が持つ再生産不可能性に従う。この困難に対処するために労働者は、持てる資産の全てを地代に充填する。ここでの地代を規定するのが、労働者の余剰資産である。例えば労働者の住居賃料を決めるのは、労働者の平均的な月当りの余剰資産規模である。また住宅地価格を決めるのは、労働者の平均的な生涯当たりの余剰資産規模である。それゆえに労働者の余剰資産が増大するにつれて、地代も高騰する。結果的にこの項の始まりで見た現代労働者における日々の労働と日々の消費の不等価は、錯覚となる。労働者の生活をその生涯を通じて見直すと、旧時代と同様に、労働者は相変わらず余剰資産を持ち得ない。一方で地代が労働者の残余資産総額として現れることは、商品価格を再生産に必要な労働力量として扱う労働価値論をやはり浸食する。それと言うのも地代を規定するのが、土地再生産に必要な労働力量ではなく、土地取得に必要な労働力量だからである。ここでの土地は、金と同様の等価物商品であり、労働力版蓄電池に化している。このために土地に対して現れる価値論は、投下労働価値論であるよりは、支配労働価値論となる。土地がそのように労働力版蓄電池たり得ているのは、さしあたり土地が持つ不変不朽で均質な等価物属性に従う。ただそれよりも土地による労働力支配に重要なのは、上記の再生産不能な生活財としての特殊性である。なお労働力版蓄電池としての土地は、土地相続した子供の生涯から地代負担を取り除く。それは一方で有産者と無産者の区別を失くし、労働者子弟に可処分な余剰資産を与える。このような労働者子弟は、既に旧時代の労働者階級に属していない。他方で相変わらず余剰資産を地代に吸い取られる労働者は、同族の労働者との生活格差に直面する。ここでの新たな有産者と無産者の区別と対立は、資本主義社会を新次元の格差社会に導く。


(19d)地代を含めた生産要素表

 これまでに考察してきたのは、既存の生産環境における生産量と剰余価値率の変化に応じた物財生産の内訳である。ただしそこで確認したのは、物財生産が拡大するだけの経済運動である。そこでは物財生産の増大が純生産物を生成し、それに応じて搾取階級が登場する。そしてその一方で部門分割が進行して、また新たな搾取階級を生まれた。しかしその考察は、人員の必要物財量、他部門に供給する物財量、自部門生産に必要な物財量、さらに剰余価値率に応じた物財量について、物財生産に対する制約を与えていない。前項における二部門モデルにおける各部門の生産要素についても、単純に二部門の各生産者と搾取者それぞれの相関を示しただけである。その無制約な生産の拡大は、一方で搾取階級を増大させつつも、階級間対立が緩和した平穏な経済と社会秩序を可能にする。過渡的な過酷な搾取や不労所得の不平等を度外視して言えば、ここでの生産要素に消費と供給の不整合も現れない。さしあたりこの生産要素表の無制約性を維持するなら、土地所有を権利にした搾取者は先の生産要素表における搾取者と区別されない。したがって地代を含めた生産要素表を新たに用意する必要も無い。他方でこの階級社会の小康は、生産と消費の総計一致を前提する。もし必要消費量に対して生産量が少なければ、該当物財の再生産に必要な労働力の追加動員により、生産と消費の総計一致が企てられる。逆に必要消費量に対して生産量が多すぎれば、該当物財の消費増大により生産と消費の総計一致が企てられる。労働力の追加動員、物財の消費増大のいずれにおいても必要とされるのは、労働力における余剰資産である。余剰資産があってこそ労働者は長期の無給に耐え、生産拡大時の産業予備軍となる。ところが無産者の労働力は長期の無給に耐えられない。それゆえに生産拡大を可能にするマルクス・カテゴリーとしての産業予備軍も空語に留まった。そして無産者に押し留められる労働力は、消費増大の役割も果たせない。これに対して現代資本主義は、贅沢品部門への労働者生産の集中、および富裕者による消費を振り向けることで、生産と消費の不均衡を是正してきた。しかし消費不能な規模の富裕者への富の蓄積は、このような不均衡の是正措置を不可能にする。それが意味するのは、物財生産の拡大を阻害する経済障壁の実在である。そしてしばしば消費者を失った社会的な巨大投資が、周期的に社会に急激な経済収縮をもたらしてきた。ただしもともとその不均衡は、不労者による所有権に従う搾取に対する正当化に起因する。地代はこの合法的搾取の出発点であり、資本主義的搾取の理想像として合法的搾取の終着点になっている。それゆえに地代収支は、資本主義の未来を占う意味でも、また既に示した通りに労働者の生涯余剰資産の全てを収奪する点でも、社会的経済収支の重要な部門として現れる。地権者に分与される物財量を加える形で先の生産要素表を書き直すと、次のようになる。

[物財生産工程における生産要素11(三部門モデル)] ※①~㉕は消費財部門の生産量を起点にした規定順序例


(19e)地代搾取の分離に現れる生産要素表の変様

 前項(12)に記載した最初の生産表は、消費財一単位に対して消費財部門が必要な資本財量aがそのまま消費財部門の労働生産性として現れ、同時に消費財部門の剰余価値率を表現していた。しかしその表現も資本財部門が正規の生産部門に転じると、前項(17)の生産表で消費財部門が必要な資本財量a2が剰余価値率m2と分離し、労働生産性も(1+m2)/v2に転じる。ただしそれは相変わらず労働者に余剰資産を与えない限りの労働生産性であり、労働生産性と剰余価値率は一体にあった。労働者にとって資本家と地権者に差異は無く、地代が生産表に現れる必要もとりあえず無かったし、そこでの労働者も無産者を超えなかった。ところが労働生産性が高まると、それは労働生産性と剰余価値率を分離させる。その分離は労働者における権利意識の高揚によって始まり、剰余価値率を超えた利益の労働者への還元に結実し、労働者における余剰資産を可能にする。ただしそのさしあたりの内実は、労働者を媒介にした資本家と別種の搾取者への剰余価値集積に留まる。それが表現するのは、もともと労働者にとって差異の無かった資本家と地権者の二種の搾取者の分離である。つまりここで現れた労働生産性と剰余価値率の分離は、資本家と地権者の二種の搾取者の分離にすぎない。そしてその生産表による表現が、上記生産表となっている。剰余価値の一部は資本家の手から労働者に還元されても、再び地権者に吸収される。その内実は一見すると、労働者を再び無産者にする。とは言え労働者に還元された剰余価値は、労働者の自由を基礎づける。また労働者が土地を一旦収得するなら、その後続する労働者は地代搾取から解放される。もちろん一方にまだ地権者により搾取される労働者は残されており、その労働者間の格差が新たな階級間対立の火種となる。それでも搾取の部分的緩和は、物体化させられてきた労働者全体の人間への復権に繋がる可能性を秘めている。それと言うのも地代無償化は、物体化した人間が本来の人間へと復権するための重要な構成要素だからである。
(2025/04/20)

続く⇒第五章(1)余剰資産対価としての地代   前の記事⇒第四章(5)二部門それぞれにおける剰余価値搾取

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移
      (4)二部門間の生産要素表
      (5)二部門それぞれにおける剰余価値搾取
      (6)余剰資産対価としての地代
      (7)生産要素表における価値単位表記の労働力への一元化
  5章 生産要素表の数理マルクス経済学表記への準拠
      (1)生産要素表変数の数理マルクス経済学表記への準拠


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