唯物論者

唯物論の再構築

数理労働価値(第一章:基本モデル(7)剰余価値)

2023-04-09 17:12:30 | 資本論の見直し

(3e3)剰余価値

 統括労働力の権限は、生産消費財の生産とその交換消費財の分配の全体統括である。したがってその権限は、生産消費財の生活消費財との交換に及ぶ。他方で廃棄される余剰消費財は、既に誰の所有物でもない。それゆえに統括労働力は、自らをその余剰消費財の所有者にできる。その所有の確定は、統括労働に与えられた消費財の分配権限に依拠するだけである。一見するとこれにより統括労働力は、廃棄消費財を所有しただけである。ところがその廃棄消費財は、商業を通じて生活消費財に転じることができる。それは統括労働力が自らの権限で取得した余剰消費財であり、彼自身に与えられた生活補填と異なる。すなわちその余剰消費財は、補填消費財としての余剰消費財ではなく、純化した余剰消費財としての剰余消費財である。剰余価値は、この剰余消費財の価値形態を言う。統括労働力が行うのは間接生産労働であり、もともと部門はその生活を保証している。またその労働の重要性において部門が行う統括労働力の生活保証も、他の部門内労働力より重厚となるかもしれない。しかし剰余消費財は、そのような生活補填財ではない。それは部門内における価値水平化に先行して、既に余剰消費財として部門が取得する有効消費財と区別されている。


(3e4)特別剰余価値と剰余価値の差異

余剰消費財は、直接生産労働力が自らに必要な生活価値量を超えて生産した消費財である。それは間接生産労働力の生活を補填し、その残余が廃棄される。その残余が廃棄されるのは、該当消費財の生産量が、他部門を含めた必要な消費量を超えるからである。その交換不能に終わった廃棄消費財は、余剰消費財として自らを純化しており、無価値な消費財として元の余剰消費財と価値面で区別される。そのような純正の余剰消費財は、余剰労働力にとっても消費不能である。またそもそも余剰労働力は所属部門から生活提供を受けているので、わざわざそのような余剰消費財を消費する必要も無い。しかし商業の登場は、この余剰消費財を貨幣と交換可能にする。そしてこの余剰消費財は無価値な廃棄物なので、生産労働力の生活維持を裏打ちする価値設定から遊離している。つまり余剰消費財の単位価値はゼロである。せいぜいそれに与えられる単位価値は、交換現場に消費財を移動するための労働力量だけである。このような廉価の消費財が商業の交換現場に登場すると、生産労働力の生活維持を役割とする既存の消費財は、その単位価値の大きさにより、消費財交換の優先順位で劣位に立たされる。ここに起きる消費財の単位価値の運動は、先に示した特別剰余価値が生成する運動と同じである。そしてそれと同様の仕組みにより、廃棄消費財を商業の交換現場に持ち込んだ者も特別剰余価値を得る。ただしその特別剰余価値は、先に示した特別剰余価値を凌駕する。特別剰余価値は、消費財生産に必要な一般的労働力と実際に生産に要した個別的労働力の差分である。ところがこの廃棄消費財の実際に生産に要する労働力はゼロに扱われる。したがってその特別剰余価値は、差分として消費財の一部を成すのではなく、消費財の全体を成す。この新たな特別剰余価値を特徴づけるのは、その消費財生産に要する必要労働力量の小ささである。もともと特別剰余価値は、技術的な知の優位とその独占から生じた。しかし新たな特別剰余価値に、そのような技術的な知は不要である。それはただ単に廃棄消費財に対する所有権から生じる。あるいはその所有権の擁立自体が技術的な知であり、所有権はその単なる独占宣言である。すなわちそこにあるのは、自ら支配する部門から無償で消費財をもぎ取る知恵である。この二つの特別剰余価値の共通項は、消費財生産における権利的独占である。そしてむしろこの新たな特別剰余価値の方が、権利的独占において自己を剰余価値として純化している。それゆえにこの新たな特別剰余価値は、純化した特別剰余価値として「特別」の接頭辞を外し、剰余価値の一般呼称で呼ばれる。


(3e5)剰余消費財交換がもたらす消費財単位価値の下落

 統括労働力が所属部門から受け取る生活提供は、直接生産労働力がもたらす余剰消費財の分与である。それは彼が自らの役目を果たし、他の労働力と同等の生活を維持するだけであるなら、その受け取る余剰消費財の分与は剰余価値ではない。それと言うのもその余剰価値は、まだ有効消費材の交換により生じているからである。一方で彼がそれと別に独占する余剰消費財がある。それは単なる剰余価値である。それは統括労働力に対する報酬とされるが、実際にはその能力に与えられた報酬ではない。そもそもそれを報酬として決めるのは、統括労働力自身である。それゆえにその報酬は、生産労働力に対してではなく、また統括労働力に対してでもなく、統括労働の地位に対して与えられる。もともと支援労働の目的は部門の維持であり、部門が維持される限り彼らは労働の役目を果たしている。ところが統括労働力の場合、生産性向上により部門全体の生活が安定するなら、その全てが彼の功績に扱われる。それどころか彼の不備により部門全体の生活が悪化しても、それは彼の責任ではない。むしろ彼はその責任を配下労働力の側に見出す。また実際に部門全体の生活は、直接生産労働力と間接生産労働力の両方が責任を負っている。しかし往々にして統括労働力は、その彼が独占する余剰消費財を、直接生産労働力の生活を顧慮ぜずに、商業を媒介にして消費財交換する。それは消費財価値下落を通じて部門収益を悪化させる。なお以下の表は記載が冗長になったので、生産性向上による部門内の収支補填後の消費財生産の動向だけを記載した。

≪表9:一部門の一部の生産性向上により変化する消費財生産数の4≫


(3e6)余剰労働力の強制排出、および統括労働力の自立

 統括労働力による余剰消費財の放出は、部門内の生産労働力が交換する有効消費材量を減少させ、消費財単位価値を下落させる。生産労働力が交換する有効消費材量の減少は、そのまま生産労働力の内にあった余剰労働力が受容していた生活を不可能にする。それは部門に対して余剰労働力を強制的に部門外に排出させる。それは部門内に潜在していた余剰労働力の外化でもある。この余剰労働力の強制排出は、それに対応する補填後余剰消費財の全てを消失させる。ただしその消失に先立って既に統括労働力は、余剰労働力が受容していた生活価値を自らの収入に変えている。またその収入が、統括労働力を部門内で生産労働力から分離する。したがってここでの統括労働力は、既に間接生産労働力として直接生産労働力から生活価値の補填を受ける立場にいない。さしあたり統括労働力は、生産労働力の内にあった余剰労働力と同様に、余剰消費財を媒介にして生活する。ただし生産労働力の内にあった余剰労働力と違い、統括労働力は生産労働をしていない。ここでの統括労働力は、搾取により生活している。その受け取る余剰消費財は、剰余価値に純化している。
 
≪表9つづき:一部門の一部の生産性向上により変化する消費財生産数の4≫

部門内に潜在していた余剰労働力は、別部門の労働力に自立した部分を除けば、部門の生産労働力が扶養してきた。この扶養を可能にしてきたのは、余剰消費財の廃棄を前提にした部門収益からの余剰労働力に対する生活価値の拠出である。ここには余剰労働力が部門外においても余剰労働力であり、部門外で生活できない前提があった。しかし統括労働力が余剰消費財を私物化して自らの収入とする場合、この前提が崩れる。したがって統括労働力による余剰消費財の私物化は、貧窮化する余剰労働力と対立する。ただし実際にこのときに統括労働力が対立する相手は、生産労働力一般である。しかし権力者は一方で搾取者でありながら、他方で部門の統率者でもある。それゆえに生産労働力は、統括労働力の指示に従い、統括労働力と足並みを揃えて余剰労働力を部門から強制排出する。行き場の無い余剰労働力は、生活の当ても無い地獄に突き落とされ、一方で自死し、他方で悪鬼に転じる。


(3f)生産と消費の不均衡の停止

上記で確認したことから言えば、部門からの余剰労働力の排出は、さしあたり生産消費財の単位価値を変化させない。それが変化しないのは、排出した余剰労働力があらかじめ間接生産労働力としての役割を果たしており、排出された後も同じ役割を果たすからである。もちろん部門内の余剰労働力が本格的に無益であり、もしくは有害でさえあるなら、その排出は部門に生産性向上をもたらし、生産消費財の単位価値を変化させるかもしれない。しかし部門の共同作業は、もともと無益な労働力、または有害な労働力の存在を前提する。それらは等しく部門が生活の面倒を見るのであり、その分の価値は消費財単位価値に上乗せされる。それゆえにここでは、部門内の無益な余剰労働力に対応する余剰消費財量は度外視されて良い。ところが統括部門が余剰消費財を私物化し、それを商業を媒介にして生活消費財と交換するようになると、消費財単位価値への余剰労働力の生活価値の上乗せが根本的に不可能になる。もちろん期待から言えば、生産性向上により増大した生産消費財量に対応して、消費財消費量も増大すべきである。ただし上記において消費財必要量の変化を無視している。また消費財必要量はうまい具合に増加するものでもない。したがって消費財生産量の増大は、統括部門の消費財交換量を増やすだけに終わる。そして統括部門からの余剰消費財交換は、余剰労働力の生活を配慮しない。結局この無配慮な余剰消費財交換が、消費財単位価値を下落させる。その単位価値の下落は生産部門による消費財単位価値の管理を破綻させ、部門から弱い労働力を排出させる。それは様々な理由で生産性向上に出遅れた労働力である。そしてこの余剰労働力の排出が、生産部門における余剰消費財を消失させる。もちろんその消失は、消費財単位価値に上乗せされた余剰労働力の生活消失に等しい。最終的にその消失に対応する形で、消費財の単位価値の下落が停止する。このときに部門において交換可能な余剰消費財が外見上消失する。その外見が表現するのは、生産と消費の不均衡の停止である。しかし部門における余剰消費財は、統括労働力の収入として自立しただけである。それはあたかも部門における必要支出の如く余剰消費財を転じただけであり、内実的な生産と消費の不均衡の停止ではない。

(2023/03/31)
続く⇒第一章(8)消費財生産数変化の実数値モデル   前の記事⇒第一章(6)統括労働

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移


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