空港に迎えに来てくれた従妹と合流して、両親に会いに行った。
あたしたちが到着したとき両親は別々に4階のダイニングホールにいた。あたしたちを見つけた父が嬉しそうに笑顔で「じゃあ部屋に行って話をしようか」。車椅子に乗せられて部屋のある2階まで移動。部屋の前でスタッフさんから「お部屋まで車椅子でお連れしましょうか?」と聞かれた父は、「いや、大丈夫ですよ」と車椅子から立ち上がって、部屋に歩いて入っていった。片手に杖を持って。。。
あたしは、そこまで車椅子に乗せられてきたのに、いきなり立ち上がって杖も使わず歩く姿があまりにも可笑しくて、「お父さん、杖は何のために持ってるの?」。従妹が「本当だ、持ってるだけじゃない、お守り?」。で、スタッフさんと従妹の4人で爆笑。
1ヶ月も経たないうちに、ふつ〜のじ〜さんに戻っていた。驚異のV字回復である。
あたしたちが滞在した2時間くらいのあいだ、椅子に座っておしゃべりし、母も加わって同じ発言が何度も繰り返される、それにも根気強く付き合って、そのあと4階に移動して広いところでおしゃべりしよう、とスタッフさんを呼んで母の車椅子を押してもらったけど、父は自分が使って降りてきた車椅子は「リハビリだよ」と使わず、杖を使って4階まで移動。
前回はあたしを無視した母が、いろんなおしゃべりをしてくれた。とはいえかなり頭を使って「解釈」というか「分析」しないと、何を言わんとしているのかわからないけど。父が驚くほど今回はいろんなお話をし、「嬉しい」といっては涙し、「本当は、私が守ってあげなきゃいけないのに何もできない」といっては涙、の母だった。
しばらくして4階に戻っておしゃべりしてたら、知らないおじいさんがあたしたちのテーブルに加わった。父が「この人は岩国の人なんだ、多分同じくらいの年齢」と紹介してくれたら、岩国市にちょっとだけ住んだことのある従妹が「あたしも岩国市民だったことがあります。〇〇町に住んでました」と自己紹介し「私も〇〇町ですよ、近所だったんですね」と盛り上がった。
知らないおじいさんがいきなり加わる・それを当たり前のように父が受け入れる、なんじゃこりゃ〜と思ったけど、あまり気にも留めないでいたら、その間そのおじいさんはスタッフの方々から探されていたらしい。あたしたちの会話にあまりに自然に溶け込んでいるのを見て「Mさん、そこにいらしたんですか、探しましたよ。あまりに自然で気づきませんでした」と大笑い。
今回は笑が絶えない顔出しの儀であった。写真は、迎えに来てくれた従妹と「戦の前の腹ごしらえじゃ」と途中立ち寄ったレストラン。紅葉の緑が美しい、木漏れ日の中で食事をした。今日は遅い便しか予約できなかったので、これから空港で仕事の準備〜
あたしたちが到着したとき両親は別々に4階のダイニングホールにいた。あたしたちを見つけた父が嬉しそうに笑顔で「じゃあ部屋に行って話をしようか」。車椅子に乗せられて部屋のある2階まで移動。部屋の前でスタッフさんから「お部屋まで車椅子でお連れしましょうか?」と聞かれた父は、「いや、大丈夫ですよ」と車椅子から立ち上がって、部屋に歩いて入っていった。片手に杖を持って。。。
あたしは、そこまで車椅子に乗せられてきたのに、いきなり立ち上がって杖も使わず歩く姿があまりにも可笑しくて、「お父さん、杖は何のために持ってるの?」。従妹が「本当だ、持ってるだけじゃない、お守り?」。で、スタッフさんと従妹の4人で爆笑。
1ヶ月も経たないうちに、ふつ〜のじ〜さんに戻っていた。驚異のV字回復である。
あたしたちが滞在した2時間くらいのあいだ、椅子に座っておしゃべりし、母も加わって同じ発言が何度も繰り返される、それにも根気強く付き合って、そのあと4階に移動して広いところでおしゃべりしよう、とスタッフさんを呼んで母の車椅子を押してもらったけど、父は自分が使って降りてきた車椅子は「リハビリだよ」と使わず、杖を使って4階まで移動。
前回はあたしを無視した母が、いろんなおしゃべりをしてくれた。とはいえかなり頭を使って「解釈」というか「分析」しないと、何を言わんとしているのかわからないけど。父が驚くほど今回はいろんなお話をし、「嬉しい」といっては涙し、「本当は、私が守ってあげなきゃいけないのに何もできない」といっては涙、の母だった。
しばらくして4階に戻っておしゃべりしてたら、知らないおじいさんがあたしたちのテーブルに加わった。父が「この人は岩国の人なんだ、多分同じくらいの年齢」と紹介してくれたら、岩国市にちょっとだけ住んだことのある従妹が「あたしも岩国市民だったことがあります。〇〇町に住んでました」と自己紹介し「私も〇〇町ですよ、近所だったんですね」と盛り上がった。
知らないおじいさんがいきなり加わる・それを当たり前のように父が受け入れる、なんじゃこりゃ〜と思ったけど、あまり気にも留めないでいたら、その間そのおじいさんはスタッフの方々から探されていたらしい。あたしたちの会話にあまりに自然に溶け込んでいるのを見て「Mさん、そこにいらしたんですか、探しましたよ。あまりに自然で気づきませんでした」と大笑い。
今回は笑が絶えない顔出しの儀であった。写真は、迎えに来てくれた従妹と「戦の前の腹ごしらえじゃ」と途中立ち寄ったレストラン。紅葉の緑が美しい、木漏れ日の中で食事をした。今日は遅い便しか予約できなかったので、これから空港で仕事の準備〜
自然の中のレストランって、心がリラックスしますよね~。
楽しい時間は今後何度も反芻して楽しまれることでしょう。^^
親が寛ぎ楽しんでると、子は安心します。
何時からか、親子の感覚が逆転ですね。ただ、敬意を払うのを忘れると
叱られちゃうけど (*´艸`*)
木立のなかでいただく食事は格別でした。
父は、こういう状態が少しでも長く続けば
と願うばかりです
今日の様子なら従妹にはガンのことは
気づかれなかったと思います。
そのくらいの劇的回復ぶりでした。
来月は主人と顔を出す予定です。
お母さまも和やかそうで、kebaさんも嬉しいですね。
緑の中のレストラン、そこで良い気をたくさん浴びていったのが良かったのかもね。
泣いて日々を送っていると がん細胞が広がる
というか病気の進行が早く 反対に会いたい人に会え
笑って話をする時間があると病気の進行が
遅くなる気がします。これはがんの手術した
知人が同じようなことを言っており心配事が少なく
楽しい時間が時々あるとそれが生きがいになり
がんは吹っ飛ぶそうです。暑い中行かれて
良かったですね ご両親にとって至福の
時間でしたね。
人はいずれ・・・とはおもいますが そこまでの過程が
納得いくものであってほしいですね。
いいお天気だし 緑に包まれてのお食事も おいしかったでしょう。
毎日が「今日が一番調子良い」になるのは覚悟しているので、
この調子が1日でも長く続けば、と思います。
確かにマイナスイオンパワーだったのかも
父の表情からも、痛くてたまらなかった時の
辛そうな様子がなくなり、
通院から解放されなかったことも
「1週間に一度行けば良いから大丈夫だ」と
前向きに捉えられるようになっていました。
久々に「自分は運が良い」という話題になり
昔の上司の通夜と葬式に東京から行くことになり喪服を取りに帰ったけど
何かの虫の知らせで「体調が悪い」と断り、
もう一人の人も断り3人目は新幹線で大阪に向かった
だから誰も御巣鷹山に落ちなかった、という話が出たりしました。
そうなんです、あたしたち、今頃毎夏御巣鷹に慰霊登山させられてたかもしれなかったの〜。
そういう話をスタッフさんにちょっとだけしたら
「え〜、あたしにも、虫、くださぁ〜い」と父に握手したりして(笑)
そういう笑いのあるホームで本当に良かったと思いました。
呂律も回らなくて会話も途切れがち、という状態から
ここまで回復できるんだぁ〜、と本当に驚くとともに
薬って毒なんだと再認識しました。
そうなんですよね、人生って終わることは最初から分かっているので、
どういう過程でそこに至るか、が大切。
その過程が穏やかなものにするために、
あたしたちができることはできる限りやりたい、と思っています。