東京february

2月に生まれ、2月に上京。
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~ Wedding Story ~ 第5章 前彼との別れ

2006年02月28日 17時26分56秒 | Wedding Story
<第5章 前彼との別れ>
2003年4月、僕は転勤で広島へ帰りました。
ちょうどこの頃両親が離婚したので、地元にも関わらず一人暮らしをする事に。
僕は、会社の寮に入り、新たな生活がスタートしました。

元々所属していた部署ということもあり、会社の同僚・先輩も顔見知りの仲良し。仕事にもすぐ慣れ、地元で友達も多く、日常生活も楽しく過ごしていました。
ただ、彼女の事は、毎日気になっていました。気持ちは捨てないといけないと思いながら・・・。

しばらく彼女と電話で話す事もありませんでしたが、4月の中頃に突然の電話が。
「彼氏と別れる事にしたんよー。」
彼女の声は以外とあっけらかんとしていましたが、辛かったはずです。
大学時代から当時まで6年以上付き合ってきた彼氏。別れるのに辛くないはずはありません・・・。
「今日電話で気持ちを話したんじゃけど、向こうは納得してくれんけぇ、明日会って話す事にしたんよー。」
そのときの正直な気持ちは、嬉しいと言うよりも、何かもの悲しい感覚でした。
フッ切ろうと思っていた矢先だったので・・・。

次の日の夜仕事を終え、会社から出て歩いていると携帯が鳴りました。
電話に出ると彼女は泣いていました。
それから1時間くらいずーっと外で、話を聞いてました。
彼の現状・行動・別れを切り出した時の反応。
すべてを話すと彼女はすっきりしたようでした。
気が付くと、僕はいつも市内電車に乗っている区間を歩ききっていました。

それからは、ほぼ毎日電話で話すようになり、それが自然になってきました。
「GWに広島に帰るけぇ、会おうね。」と彼女。
僕の想いは再び強くなり、GWに告白する事を決意しました。

6章へ続く。

イナバウアーの認知度調査

2006年02月27日 12時27分37秒 | 東京
ここのとこ飲みが続いてます。
水・木・金・土・日と5連チャン!しかも連日酒量もハード・・・。
今日は肝臓を休ませようと思います。。。

全部の飲みが内容深かったのですが、すべては書けないので昨日の出来事を紹介します。
昨日は大学の仲間4人横浜で飲んでたんだけど、その中で「イナバウアー」について話題になりました。
イナバウアーとはご存知の通り、荒川静香の得意技で、上体を後ろに反らしながら滑る華麗な技です。(※写真参照)

僕は「世間にイナバウアーはどのくらいの認知度があるんだろ?まぁ今話題になってるし、ほとんどの人は知ってるかな?」という疑問を持ち、そこに居た僕以外の3人に聞いてみることに。
僕を含めて3人は知ってました。さすがの認知度!

しかし、もう一人(通称:ミンチー)が、とんでもない言葉を・・・
ミンチー:「知らない。名にそれ?ジャック・バウアーの仲間か??」
皆が言葉を失いました。
ジャック・バウアーは「24」の主人公で、命知らずのヒーローです。
話が”トニーアルメイダの電話の応対マナー”に移りかけたので、更にヒントを出すと、
ミンチー:「稲本の必殺シュートか?」
まぁこの時点での認知度は4人中3人知っていたので75%。
僕はより厳密な調査の必要性を感じ、別の友人に電話で調査することに。

調査対象者は大学の別の友人(通称:林くん)。
<1回目の回答>
林:「何それ?」しばらく考えたあと・・・「コンバンワーとかの新しい挨拶??」
一同大爆笑でした。

<2回目の回答>
数分後、セカンドチャンス!って事で同じ質問を。
林:「うーん。。。」しばらく考えたあと・・・「犬の種類??」
”バウ”がついているという短絡的な考えでした。

<3回目の回答>
今度は向こうから電話がかかってきました。
林:「冷静に考えたら分かったよ。荒川静香の技でしょ?さっきは焦って答えれなかったけど・・・」
って明らかに調べてるだろ!?インターネットか何かで。。。
その知ったかぶりに一同は唖然としました。
更にそのときに
俺:「ミンチーはジャック・バウアーと間違えたんだよ。バカだよねぇ。」
林:「ジャック・バウアー?・・・・」沈黙
俺:「まさかジャックバウアーも知らないの?」
林:「知らない訳ないじゃん!冷静になれば分かるから、また連絡するよ!」
電話は切れ、15分後に再び電話がかかってきました。

<4回目の回答(もはや趣旨が変わってきました。)>
林:「ジャック・バウアー分かったよ。”にじゅうよん”の人でしょ?さっきレンタル借りに行ったけど、全部貸出中だったよ・・・。面白いよね。」
またまたの知ったかぶり・・・。24は”にじゅうよん”では無く”トゥエンティフォー”と読むのです。
”にじゅうよん”と読んだ人は初めて見ました。
もはや、大爆笑。笑いが止まらずに苦しい思いをしました。


楽しい飲みの後、家に帰りのんびりしてると彼女から電話が。
「今日こんな楽しい事があったんよー。」
とイナバウアーについて林くんが語った話をしてみました。すると・・・・

「イナバウアーって何!?」

もはや何も言えませんでした。言葉を無くした僕は話題を変るしかありませんでした・・・。


ミンクとちび

2006年02月25日 13時24分22秒 | 広島
掃除してて棚を整理してたら、昔(10代の頃)書いた日記みたいなのが出てきたので、その中から一つを紹介したいと思います。
実家に居る猫について書いたものです。ちょっと長いけど読んでください。

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ミンクとちび

ウチには1匹のねこが居る。
名前は「レディ」
でも僕は「ちび」と呼んでいる。
ちゃんと理由はあるんだ・・・・

僕が中学生の頃、1週間だけウチには2匹のねこが居た。2匹とも毛の長い白いペルシャ猫。1匹はその1年前からウチに居る「ミンク」。もう1匹は両親が買ってきた、とても小さくてカワイイ名前の無いねこだった。
妹も僕もその小さなカワイイねこに夢中だった。名前も色々考えたが決まらない・・・。ミンクは僕が付けた名前だった。とりあえず小さいから、僕は「ちび」と呼んでいた。

ちびにみんな夢中になりすぎていて、ミンクの異変にはなかなか気付かなかった。ミンクは僕の部屋でおしっこをし、僕はミンクを少しうっとおしく思った事もあった。
ミンクがちびに噛みつこうとするので、部屋から追い出した事もあった。
ある日カープ戦を見た後の電車の中で、僕は冗談ながらに言っていた。「ちびは可愛い。ミンクは可愛くない・・・」
その日だったか、次の日だったか、ミンクは妹の部屋のすみっこの小屋で、おとなしく辛そうにしていた。元気が無かった・・・。「大丈夫ミンク?」僕はさっき行った事を後悔した・・・。
ミンクを見たのはそれが最後だった・・・。

次の日学校から帰ってくると、母親が言った。「ミンクは入院したよ。病気で・・・でも手術したら良くなるよ。」やっぱり・・・でも母の話を聞く限りでは、命に別状は無さそうだ。少し安心した。
それからすぐに"ちび"の名前が決まっていた。
妹と母親が付けていた。名前は「レディ」。
僕は早くミンクに帰って来てほしかった。退院予定は、次の月曜日。手術はその金曜日だった。

土曜日、学校は半日で、僕はバイパス沿いのいつもと違う道で家に帰っていた。
いまでもあの帰り道は憶えている。あの駐車場も信号も。来週から中間テストだった事も憶えている。最初は美術。不思議と鮮明に覚えている。

いつも通り家に帰り、玄関を開けた。
何かが違った・・・。
ばあちゃんが、僕が「ただいま」と言い靴を脱ぐなり、近づいて来た。ばあちゃんが泣いている。
ばあちゃんは旅行に行ってて、その日に戻って来ていた。
「久しぶりに会いたかったのに・・・ミンクに・・・」
その後の言葉は聞こえなかった・・・いや忘れただけなのかも知れない。

「ウソだ・・・・ウソだ!」僕は信じられなかった。少し経つと涙があふれた。「ウソだ!なんで・・・なんで!」。
母親が上がってきた。「ホントなの?ねぇ・・・」泣き叫びながら僕は聞いた。母も泣いていた。
「朝病院から電話があってねぇ。冷たくなっとったんだって・・・。」
病院で・・・狭いところで・・・たった一人で死んじゃったなんて・・・。
寂しかったろう。辛かっただろうと思えたのは、少し後だった。
その時はただただ泣き崩れた。

その夜はみんな様子がおかしかった。
母がその雰囲気を変えようと、いや自分も変わりたかったのかケーキを買ってくると言い出した。
僕も空元気で喜んだ。そのケーキをどんな気持ちで食べたかは憶えていない。
僕の気持ちは、悲しみから次第にミンクに言った言葉や態度への後悔に変わっていった・・・。

それから何日か経って、ミンクのお墓参りに行った。
たくさんの猫や犬が眠っているところだった。
色々なおそなえ物があった。色々な言葉があった。
「ゴメンね。ミンク。ゴメンね。」僕は繰り返した。

それからも僕は”ちび”の事を「レディ」とは呼ばなかった。
僕はミンクとちびが一緒に居た、あの1週間を忘れたくなかった。
ミンクが居た時、ミンクと比べてちっちゃかったから、とりあえず呼んでいた”ちび”。
”ちび”と呼んでいれば、ミンクの事は忘れない・・・いやそんな事しなくても忘れる事は無いが、その時を大切にしたかった。

今”ちび”と呼んでいるのは、僕だけだ。
ちびは大きくなったけど、カワイイ。
僕はちびもミンクも大好きです。

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写真は今でも飾っている、「ミンクとちび」です。

♪ミンク♪


♪ちび♪

祝☆女子フィギア 荒川☆

2006年02月24日 07時31分48秒 | スポーツ
早朝4時に起きて見てました!
いやぁ。すごかったねぇ。もう圧勝!?
続々と有力選手がミスする中、荒川はキレイに滑ってましたね!
金メダル感動しました。すごい!!
ミキティも村主さんもメダルには届かなかったけど、頑張ったと思います。

早起きしたかいがありました!
すばらしい朝をありがとう☆

友人のピンチ

2006年02月23日 23時13分04秒 | 東京
今日は友達と飲んでました。色々と気が合う友達なので、なかなか腹を割って話せたよーな気がします。

それぞれの恋愛感とか一目惚れについて話しましたが、新しい意見も聞けてなかなか勉強になったと思います。
でもお互いが一目惚れする事なんてないよ!くじけずに頑張れ!ここでエールを送りたいと思います。

そんな中ひとつの電話が…。友達が彼女に振られたらしい…。週末に会って話を聞こうと思います。人生色々あるなぁ。。と感じました。

サンフレッチェ♪

2006年02月22日 21時15分34秒 | 広島
テレビで日本代表戦を見てました♪
インドに快勝!ワールドカップが楽しみです。

ミーハーな僕はJリーグが始まってからサッカーファンに。
地元と言う事で、「サンフレッチェ広島」ファン!
ホームの広島スタジアムは、家からチャリで数分のところにあったので、よく行ってました。
当時のサンフレッチェは、高木・森保・風間・前川と代表も多く、チェルニー・ノ・ハシェックと外国人も活躍していました。
Jリーグ2年目に優勝したときは、かなり盛り上がり、ヴェルディとのチャンピオンシップも見に行きました♪
あの頃は、カープよりもサンフレッチェって感じではまってたなぁ。。。
今日も、元サンフレッチェの久保。現役の佐藤も得点して嬉しい限りです。

J2に落ちたときは、どーしようもないなぁ。。。と思いましたが、すぐ復帰し、地元は盛り上がりました!
これからも応援してまーす☆
今年はスタジアムに応援に行って見ようかなぁ。

夕食について

2006年02月21日 20時28分18秒 | 東京
一人暮らしを始めたばかりの10年前は、よく自炊をしていました。
カレー・チャーハン・ぶり照り焼き・野菜炒め・麻婆豆腐などなど。
料理は好きなほうだったと思います。

しかし、今は全く自炊をしません。
てゆーか、家で火を起こす物がありません。
(新築マンションで、ガスまでは来てますが、コンロが付属していませんでした・・・。)

というわけで、ほぼ外食かコンビニ弁当です。
1週間の献立はこんな感じです。

・月 松屋で牛丼セット
・火 マックでビックマックセット
・水 居酒屋で飲みながらの食事(会社の人)
・木 ガストで生姜焼き定食
・金 黒田武士のラーメン&チャーハンセット
・土 居酒屋で飲みながらの食事(友人と)
・日 セブンイレブン弁当(まる子を見ながら)

別にいつの週というわけでなく、毎週こんな感じです。
(曜日と頻度は変わりますが・・・)

生活習慣を改めねばと思う今日この頃です・・・。

初ドラゴンドラ in 苗場

2006年02月20日 12時51分43秒 | 趣味
昨日は初めて苗場スキー場へ行きました。
ボードは今シーズン4回目。今シーズンは例年に無くボードに行ってます♪

今回メンバーは大学時代の仲間と男3人。
金曜日に急遽思いつき、日曜に実行しました。
いつも通り早朝から車で出発し、8時頃には現地到着。
苗場のゲレンデはとても広く滑りやすかったのですが、上級者向けのコースが多くゲレンデを移る事に。

それで向かった先が、「ドラゴンドラ」乗り場。
ドラゴンドラとは、苗場とかぐら・みつまた・ 田代が直結する世界最長5,481mのゴンドラでです。
ちなみにドラゴンドラの名付け親はユーミンらしいです。。。
山と山を結ぶゴンドラとあって、景色は絶景!!
下っていくさまは、まるでジェットコースターのようで怖かったです・・・。
実際の乗車時間は15分程度ですが、二つのゲレンデ間は、車で行っても30分以上かかるので、ほんっとに便利です。

雪質はちょっと硬めで、正直足にかなりの負担がかかりました。
そんな中、今回はジャンプ&回転を中心に練習。180(ワンエイティー)を練習しました。
自分ではキレイに出来てるつもりなんだけど、周りから見ると「バタバタしてる感じ」との感想でした・・・。もっと鍛えねば。

ボードの疲労の中、帰りは僕が運転したのですが、ものすごい渋滞!
2月のシーズン中にはよくある事らしいです。
高速に乗る前の標識では、東京まで総長55kmの渋滞・・・。
実際はそこまでは混んでませんでしたが、家に到着したのは、もう翌日でした。
かなり疲れました。。もう当分行きたくありません。

スノーボードクロス

2006年02月17日 19時18分25秒 | 趣味
トリノ五輪は、結構チェックしてます!
僕はオリンピックとかワールドカップとかの時だけ、その競技を応援するミーハーな人です。

昨日面白かったのが、新種目「スノーボードクロス」
すごい迫力でしたね!
4人同時に滑って、早くゴールしたもの勝ち。
分かりやすくていい!
採点競技は正直どこで微妙な差が出ているか分かりません。
その点、スピードスケートとかショートトラックとかは分かりやすいです。

何より、コースが面白いですよねぇ。
ゲームみたいで、衝突あり、転倒ありで。。。

来週は、いよいよ女子フィギアスケートが始まります。
頑張れミキティ♪頑張れ日本!

~ Wedding Story ~ 第4章 大阪時代・想い芽生え

2006年02月16日 22時07分59秒 | Wedding Story
<第4章 大阪時代・想い芽生え>

2001年10月。僕は、広島から大阪に転勤になりました。
初めて暮らす土地。環境。関西弁。
知り合いも少なく、心細い日々が続きました。

その頃、大阪での生活も2年目を向かえていた彼女は、東京で働いていた頃と比べ、ほんとに生き生きとしていました。
僕が転勤してきてしばらくは、毎週一緒に映画に行ったり、飲みに行ったりしてました。
お酒が好きな彼女とはすっごく気があい、ほんっとに楽しくいつも終電まで飲んでた気がします。

今思うと、その頃の彼女は岡山の彼氏と遠距離恋愛を続けていて、寂しかったのかも知れません。
ただ、僕にはまだ彼女を恋愛対象としては、ほんとに全く意識していませんでした。

やがて、僕も大阪での生活に慣れ、友達も増え、恋人もでき、大阪生活を楽しんでました。
恋人ができたとは言え、彼女との飲みは続いていました(数こそ減りましたが)。
恋愛相談をしたり、昔と同じようにずーっとバカな話をしてたり。

やがて僕は、その時付き合っていた恋人と別れました。
大阪も2年目を迎え、僕も数ヶ月後には広島に戻るという頃。
2003年を迎えたばかりの1月に、彼女への意識が変わりました。

その日は、初めて家に彼女を迎え、朝まで色々話しながら飲んでいました。
たしかワインをボトルで3本は空けたよーな気がします。。。
途中からは正直あまり憶えていませんが、彼女を恋愛対象として意識するようになっていました。

来月からは広島転勤が決まっていた3月。
僕らは、2人で京都旅行へ行きました。
嵐山・清水寺・祇園・先斗町。ほんとに楽しく過ごしました。
2人で写真を撮ってもらったり、手をつないで歩いたり。
「でも彼女には彼氏がいる。」という気持ちは常にあったので、その頃にはかなり確信に近くなっていた想いは封印していました。
なにより、大学時代から続いていた友人としての関係が崩れるが、本当に怖かったからです。

引越し準備も終わり、最後の日。
彼女に「俺の事はどー思ってるの?」と聞きましたが、何も答えてくれませんでした。
僕は、これでいいんだ・・・と思い大阪を去りました。
帰りの新幹線の中で、泣いたのをよく憶えています。

こうして、想いを伝える事のないまま、2003年4月広島へ帰りました。

第5章へ続く。