あっという間に読んでしまいました。こんなに速く読んでしまってはいけないんじゃない? と思いつつ、次へ行きたくて、次も欲しくて、と言った方がいいかもしれません、おもしろい小説を読んでいるような感じでした。
この本は今年5月に発売されて、確かもう35万部は出ています。『悩む力』が売れる時代・・・、それは厳しい時代だということでもあり、売れることが当然の中身でもありました。もっと売れて欲しい、そんな思いを抱かせる希な本です。
著者の姜尚中(カン・サンジュン)は、いわゆる在日朝鮮人の二世。実家は熊本にあるそうです。それゆえに悩んだ。悩み続けた。家から一歩出れば、誰も「私」を承認してくれる人はいなかったから。でも彼は、それゆえに意味を見出した。悩みに悩んで、悩み尽くして、抜けた。横着の境地にまで。
彼の経験に、語りに、僕は自分の体験を想起させられました。僕もまた、自分の城を作った。自我の繭に包まれ、行くところ(破滅)まで行った。モラトリアムも長かった。他者とのつながりがあってこその「私」なのだと知った。フランクルの引用、「コペルニクス的転回」、それもまた僕が経た道と重なった。
夏目漱石とマックス・ウェーバーが手がかりとなっています。彼ら二人は、今の時代を先取りしていた。もちろん変わってはいる。大きいのは「自由」が拡大したということ。それゆえに「個人」の「よるべなさ」も際立っている。
彼らは病むまで悩んだ。「まじめ」だった。漱石の『心』に登場する「先生」は、学生の「私」にこう尋ねます。「私は死ぬ前にたった一人で好(い)いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたは其(その)たった一人になれますか。なって呉(く)れますか。あなたは腹の底から真面目ですか」
「まじめ」とは、信頼できる人なのかどうか、ということでしょう。「先生」は他者を信頼したかった。切実につながりたかった。妻にも言えなかった、自我に塞がれていた真実の物語、それを「先生」は「私」に投げ渡す。その刹那、「先生」は安心したのではないでしょうか。
特にぐっと来たのは、第6章「何のために「働く」のか」と、第7章「「変わらぬ愛」はあるのか」でした。
前者では、「人間というのは、「自分が自分として生きるために働く」のです。「自分が社会の中で生きていていい」という実感を持つためには、やはり働くしかないのです」と、まとめられています。その通りでした。僕が安心して、こうして書けるのも、働いているから、人間の存在の輪の中にいるから、いてもいいから、という保証(実感)があるからです。これは学生のときにはなかった。アルバイトはいろいろしていても、その仕事で存在を認められるということはなかったし、家賃や学費は、多くを親に頼っていた。今、明確な職場があり(もちろんいろいろありますが)、そこで受け入れ、受け入れられ、協力しあって働いている。肉親や内輪の仲間以外の第三者から認められる、君はいてもいいと許可される、それは生きる上で必須だと思いますが、働けていない人たちの苦しみはそこに尽きると思いますが、そのためには働かなくてはならない。働いてきたからこそ、僕は僕でいい、好きなこともやれる、そうなったんだと再認しました。
また、「働く」というのは、決してお金を頂くためだけではない、と付け加えたくなりました。カウンセリングというのを知っているから。そこの輪、そこでの動き、その人がその人として自他に関わること。それも「働く」に入るのではないでしょうか。そのためにその人は、その人以外から承認される。承認せざるを得ない。出会わずにはいられない。
後者(第7章)は、こう言っています。「愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。愛のありようは変わります。幸せになることが愛の目的ではありません。愛が冷めたときのことを最初から恐れる必要はないのです」
そうだったんだ、と思う。僕がうれしかったことはなんなのか、失敗してきたことはなんなのか。問いかけに応えてくれたこと、それがうれしかった。我が物にしようとした、それは突き詰めると他者の消滅になってしまう、それが失敗だった。今だって問いかけている人がいる、応えてくれる人がいる。そして僕もまた応えている。その意欲がある。それが愛。ならば、僕も愛している。恐れる必要はない。
悩むということ。それは、自分を信じられるようになるまでの道程。確信に至るまでの欲求。知りたい、という内なる声に従うこと。
だから、悩めばいいんだ。それは、強くなるためにも必要なんだ。むしろ問題なのは、悩めないこと。そんな人たちが、迷惑なことを仕出かしている。
今までの僕の悩みの数々。それらは決して無駄ではなかったと、確信できます。
写真の一枚一枚にも表れているのかもしれない。花開けなくて、苦しくてもがいたからこそ、花の美しさが沁みる。素通りはできない。その場所を見つけられるのは、悩んだからなのでしょう。悩んでいるから、見つけるのでしょう。
読みやすい、価格も安い新書なのですが、心に来ます。
姜尚中は、信頼できます。
姜尚中著/集英社新書/2008
この本は今年5月に発売されて、確かもう35万部は出ています。『悩む力』が売れる時代・・・、それは厳しい時代だということでもあり、売れることが当然の中身でもありました。もっと売れて欲しい、そんな思いを抱かせる希な本です。
著者の姜尚中(カン・サンジュン)は、いわゆる在日朝鮮人の二世。実家は熊本にあるそうです。それゆえに悩んだ。悩み続けた。家から一歩出れば、誰も「私」を承認してくれる人はいなかったから。でも彼は、それゆえに意味を見出した。悩みに悩んで、悩み尽くして、抜けた。横着の境地にまで。
彼の経験に、語りに、僕は自分の体験を想起させられました。僕もまた、自分の城を作った。自我の繭に包まれ、行くところ(破滅)まで行った。モラトリアムも長かった。他者とのつながりがあってこその「私」なのだと知った。フランクルの引用、「コペルニクス的転回」、それもまた僕が経た道と重なった。
夏目漱石とマックス・ウェーバーが手がかりとなっています。彼ら二人は、今の時代を先取りしていた。もちろん変わってはいる。大きいのは「自由」が拡大したということ。それゆえに「個人」の「よるべなさ」も際立っている。
彼らは病むまで悩んだ。「まじめ」だった。漱石の『心』に登場する「先生」は、学生の「私」にこう尋ねます。「私は死ぬ前にたった一人で好(い)いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたは其(その)たった一人になれますか。なって呉(く)れますか。あなたは腹の底から真面目ですか」
「まじめ」とは、信頼できる人なのかどうか、ということでしょう。「先生」は他者を信頼したかった。切実につながりたかった。妻にも言えなかった、自我に塞がれていた真実の物語、それを「先生」は「私」に投げ渡す。その刹那、「先生」は安心したのではないでしょうか。
特にぐっと来たのは、第6章「何のために「働く」のか」と、第7章「「変わらぬ愛」はあるのか」でした。
前者では、「人間というのは、「自分が自分として生きるために働く」のです。「自分が社会の中で生きていていい」という実感を持つためには、やはり働くしかないのです」と、まとめられています。その通りでした。僕が安心して、こうして書けるのも、働いているから、人間の存在の輪の中にいるから、いてもいいから、という保証(実感)があるからです。これは学生のときにはなかった。アルバイトはいろいろしていても、その仕事で存在を認められるということはなかったし、家賃や学費は、多くを親に頼っていた。今、明確な職場があり(もちろんいろいろありますが)、そこで受け入れ、受け入れられ、協力しあって働いている。肉親や内輪の仲間以外の第三者から認められる、君はいてもいいと許可される、それは生きる上で必須だと思いますが、働けていない人たちの苦しみはそこに尽きると思いますが、そのためには働かなくてはならない。働いてきたからこそ、僕は僕でいい、好きなこともやれる、そうなったんだと再認しました。
また、「働く」というのは、決してお金を頂くためだけではない、と付け加えたくなりました。カウンセリングというのを知っているから。そこの輪、そこでの動き、その人がその人として自他に関わること。それも「働く」に入るのではないでしょうか。そのためにその人は、その人以外から承認される。承認せざるを得ない。出会わずにはいられない。
後者(第7章)は、こう言っています。「愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。愛のありようは変わります。幸せになることが愛の目的ではありません。愛が冷めたときのことを最初から恐れる必要はないのです」
そうだったんだ、と思う。僕がうれしかったことはなんなのか、失敗してきたことはなんなのか。問いかけに応えてくれたこと、それがうれしかった。我が物にしようとした、それは突き詰めると他者の消滅になってしまう、それが失敗だった。今だって問いかけている人がいる、応えてくれる人がいる。そして僕もまた応えている。その意欲がある。それが愛。ならば、僕も愛している。恐れる必要はない。
悩むということ。それは、自分を信じられるようになるまでの道程。確信に至るまでの欲求。知りたい、という内なる声に従うこと。
だから、悩めばいいんだ。それは、強くなるためにも必要なんだ。むしろ問題なのは、悩めないこと。そんな人たちが、迷惑なことを仕出かしている。
今までの僕の悩みの数々。それらは決して無駄ではなかったと、確信できます。
写真の一枚一枚にも表れているのかもしれない。花開けなくて、苦しくてもがいたからこそ、花の美しさが沁みる。素通りはできない。その場所を見つけられるのは、悩んだからなのでしょう。悩んでいるから、見つけるのでしょう。
読みやすい、価格も安い新書なのですが、心に来ます。
姜尚中は、信頼できます。
姜尚中著/集英社新書/2008
“悩む力”には感動しました。
でも泣いたのは、きくたさんの「悩む力」
この文章でした。
書いてくれてありがとう!
これがつながりなんだと実感してます。