水木さんが亡くなって2年が経ちました。
私が調布で働いていたとき、水木さんとお会いできたのは僥倖でした。
お会いするまで、片腕がないことを知らなかった。
その戦場での体験が、濃密に描かれています。
軍隊を規律していたのは「びんた」であったこと。
銃は、神である天皇からいただいた神聖なものであること。
日本人以外は人間ではないこと。
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」
この戦争訓、続きがありました。
「死して罪過の汚名を残すことなかれ」
陸軍大将で総理大臣でもあった東条英機が示達したのは1941年(昭和16年)1月8日。
しかし、東条は制作に関わっていない。以前から作られており、あの島崎藤村も校閲を担当した。
水木さんは、21歳で招集された。わけもわからず、南へ送られた。
所属する部隊が攻撃され、全滅。しかし水木さんは、海に落ち、流され、近くの大日本帝国軍に全滅を伝えに行く。
そこで言われる。「なんでお前、生きているのか?」
言いたいことを言えばすぐにびんた。
マラリアに罹り、放っておかれ、空爆を受けて左手を失う。
どんどん衰弱する中で、自ら食べ物を探しに出て、「土人」と出会う。
「土人」とは、原住民のこと。彼ら、彼女らは親切だった。人間らしかった。
食べ物を分け与えてくれ、元気を取り戻していく。
そうこうするうちに終戦。土人たちと再会する約束をして故郷に帰る。
そして、水木さんは思う。あの土人たちこそがまともな生活をし、文明社会こそ病んでいるのだと。
通勤で利用する東武東上線。元旦、二日、三日とすべて人身事故で止まりました。しかも二日は二件。
信じられません。鶴瀬駅のすぐ近くです。この社会はまだ病んでいる。
いや、また病んでいるのか。
ポツダム宣言を受諾し、敗戦した大日本帝国は滅亡した。
滅亡し、新しい憲法が発布され、日本国となったのに。
日本国憲法第3章、「国民の権利及び義務」の第13条「個人の尊重と公共の福祉」にこう書いてある。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
なぜ、学校で、憲法の討論の時間がなかったのだろう?
こんなにも私たちを守ってくれているのに。
私が走り、大地とつながり、よく泣き笑い、より元気になったのは、土人に近づいたからとも言えます。
この文明の病とどう向き合うか。水木さんから勝手に受け継いだ宿題は、沢山ありそうです。
水木しげる著/中公文庫/2017
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