今年の2月に高知県の牧野植物園を訪ねましたが、牧野さんの文章に触れるのはこの本が初めてかもしれません。改めて、花とはなんだろう? 植物とはなんだろう? と思い、買っておいたこの本に手が伸びました。
昭和24年、当時の逓信省(ていしんしょう)が『四季の花と果実』と題して刊行したものが改題され、講談社学術文庫に収められました。そのとき牧野さん、御年88歳でしょうか。95歳まで元気に生きられました。表紙の「いとざくら」も牧野さんが描かれたものです。
身近な花と果実について、紹介されています。
花は、ボタン、シャクヤク、スイセン、キキョウ、リンドウ、アヤメ、カキツバタ、ムラサキ、スミレ、サクラソウ、ヒマワリ、ユリ、ハナショウブ、ヒガンバナ、オキナグサ、シュウカイドウ、ドクダミ、イカリソウ。
果実は、リンゴ、ミカン、バナナ、オランダイチゴ。
花は生殖器だと、牧野さんは言います。そうでしょう。子孫を残すために花は咲く。この事実を汎用して、人間も男と女があるからには子を授かるのが当然で、独身者は反逆者と言います。しかし、花にも子孫を残すためでなく咲く花もある。ヒガンバナです。地下の球根が分裂して増えるためです。花は咲いても種子はできない。じゃあ、ヒガンバナはどうして咲くのでしょうね? あんなに見事に、目立つ姿で。
ヒマワリは回らない。えっ、と思いました。もう少し調べると、茎が伸びている間は動くそうですが、立派に花が咲くともう動かないそうです。牧野さんは花をじっと観察し、動かないことを証明していました。向日葵という漢字は中国由来です。外国からの知識を鵜呑みにするなということでしょうか。
果実は、花よりも刺激的でした。
私たちは果実を食べているわけですが、リンゴは茎を食べていました。果実は、種として取り除いている部分です。詳しくは、茎の先端の花托で、偽果とも言われます。ナシやイチジクも同じ作りです。
バナナは、皮を食べていました。外果皮は皮として捨てているところ。中果皮と内果皮を私たちは食べています。種の名残が真ん中に黒い粒として残っていることもあります。ちなみにバナナは10メートルにもなりますが、木ではない(果実的野菜)そうです。木の幹のように見える部分は葉が重なったもので、偽茎や仮葉と言われます。もう一つ、白い筋がありますが維管束と言って、カリウムや抗酸化成分が豊富なので食べた方がいいみたいです。
最後にミカンはどこを食べているのでしょう?
果実は種です。種を守るように外果皮(むいて捨てるところ)、中果皮(中の白い筋)、内果皮(袋状のもの)があり、内果皮の外側から内側に向かって毛が伸びています。その毛に果汁が蓄えられていました。なので正解は毛でした。
毛を食っているなんて、他の食べ物であるでしょうか?
「もし万一ミカンの実の中に毛が生えなかったならば、ミカンは食えぬ果実としてだれもそれを一顧もしなかったであろうが、幸いにも果中に毛が生えたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君臨しているのである。こうなってみると毛の価もなかなか馬鹿にできぬもので、毛頭その事実に偽りはない」
と牧野さんも書いています。ダジャレも好きだったようで。
牧野富太郎 著/講談社学術文庫/1981
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