残暑お見舞い申し上げます。
またしても30度越え。もう十分なのですが、1週間くらいは続きそうです。お体お大事に。
昨日は、気仙沼で3年ぶりのみなとまつり。仙台では今日まで七夕まつり。東北でこの時期に祭りがあるのは邪気を払うためとも言われています。
東北人は暑さに弱いのか。私はほんと苦手で、うつ病になったのも夏なので、もしかして季節性なのかもと思い、このつらい暑さの中に祭りを楽しむ文化に、改めて共感する次第です。鬱々としていても、どかーんと花火が上がれば、気持ちも晴れるもの。
原爆が落とされたのも夏でした。あれから77年。
6日に広島で行われた式典で平和への誓いを述べたこども代表に感動しました。翌日の新聞で全文を読んだのですが、ここに一部抜粋します。
「大切な人を一瞬で亡くし、当たり前の日常や未来が突然奪われました。
あれから77年たちました。
今この瞬間も、日常を奪われている人たちが世界にはいます。
戦争は、昔のことではないのです。
自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは、強さとは言えません。
本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心を持ち、相手を理解しようとすることです。
本当の強さを持てば、戦争は起こらないはずです。
過去に起こったことを変えることはできません。しかし、未来は創ることができます」
広島の小学6年生、バルバラ・アレックスさんと山崎鈴さんの言葉。
私に特に刺さったのは、「本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心を持ち、相手を理解しようとすること」。
これは、まさに自分がしてもらってきたことで、救われ、育つために必要だった土壌。
そして、十分にしてもらったから、自分もまた他者を理解しようと努力するようになった。
理解が足りなかったことはたくさんあった。というか、この理解力向上に終わりはありません。
その実践として、今の私には小説の執筆があります。
登場人物を、どれだけ理解できているか。その理解力が、文章に乗って、読者の心にどれだけ届いて広がるのか。
小説の出来不出来に色々な尺度はあるでしょう。でも、何より、人物だと、私は思う。
自分は無力だと打ちひしがれたときもあった。負の連鎖にはまって抜け出せなかったときもあった。
そんなつらい時間のことも、しっかりと私の脳内に映像と言葉がセットで収納されている。
そして必要なときに使うことができる。もしかしたら似たような状況にある人を支えることができるかもしれない。
想像力と理解と言葉がかけ合わさったものを文化と呼ぶのかもしれません。
本は値引き販売ができません。それは本は文化的価値が高いためと法律上は定められています。
本当に本で人を救うことができるのか?
本に関わる仕事をしている身として、常に持つべき視点。
「本当の強さ」を、日々たくわえ、使い、補っているか。
夏だからこそ、より強く、思い返します。
私にとって、夏は苦手だからこそ、様々なものが生まれる原点ともなっています。
恋も、病も、日記も、ブログも、ランも、そして小説も。
本当の文化が成熟していけば、人はもっと暮らしやすくなり、戦争もずっと遠ざかる。
微力ではあるけれども、私もまた、文化に貢献することで戦争を遠ざける仕事をしていくと、ここに誓います。
またしても30度越え。もう十分なのですが、1週間くらいは続きそうです。お体お大事に。
昨日は、気仙沼で3年ぶりのみなとまつり。仙台では今日まで七夕まつり。東北でこの時期に祭りがあるのは邪気を払うためとも言われています。
東北人は暑さに弱いのか。私はほんと苦手で、うつ病になったのも夏なので、もしかして季節性なのかもと思い、このつらい暑さの中に祭りを楽しむ文化に、改めて共感する次第です。鬱々としていても、どかーんと花火が上がれば、気持ちも晴れるもの。
原爆が落とされたのも夏でした。あれから77年。
6日に広島で行われた式典で平和への誓いを述べたこども代表に感動しました。翌日の新聞で全文を読んだのですが、ここに一部抜粋します。
「大切な人を一瞬で亡くし、当たり前の日常や未来が突然奪われました。
あれから77年たちました。
今この瞬間も、日常を奪われている人たちが世界にはいます。
戦争は、昔のことではないのです。
自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは、強さとは言えません。
本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心を持ち、相手を理解しようとすることです。
本当の強さを持てば、戦争は起こらないはずです。
過去に起こったことを変えることはできません。しかし、未来は創ることができます」
広島の小学6年生、バルバラ・アレックスさんと山崎鈴さんの言葉。
私に特に刺さったのは、「本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心を持ち、相手を理解しようとすること」。
これは、まさに自分がしてもらってきたことで、救われ、育つために必要だった土壌。
そして、十分にしてもらったから、自分もまた他者を理解しようと努力するようになった。
理解が足りなかったことはたくさんあった。というか、この理解力向上に終わりはありません。
その実践として、今の私には小説の執筆があります。
登場人物を、どれだけ理解できているか。その理解力が、文章に乗って、読者の心にどれだけ届いて広がるのか。
小説の出来不出来に色々な尺度はあるでしょう。でも、何より、人物だと、私は思う。
自分は無力だと打ちひしがれたときもあった。負の連鎖にはまって抜け出せなかったときもあった。
そんなつらい時間のことも、しっかりと私の脳内に映像と言葉がセットで収納されている。
そして必要なときに使うことができる。もしかしたら似たような状況にある人を支えることができるかもしれない。
想像力と理解と言葉がかけ合わさったものを文化と呼ぶのかもしれません。
本は値引き販売ができません。それは本は文化的価値が高いためと法律上は定められています。
本当に本で人を救うことができるのか?
本に関わる仕事をしている身として、常に持つべき視点。
「本当の強さ」を、日々たくわえ、使い、補っているか。
夏だからこそ、より強く、思い返します。
私にとって、夏は苦手だからこそ、様々なものが生まれる原点ともなっています。
恋も、病も、日記も、ブログも、ランも、そして小説も。
本当の文化が成熟していけば、人はもっと暮らしやすくなり、戦争もずっと遠ざかる。
微力ではあるけれども、私もまた、文化に貢献することで戦争を遠ざける仕事をしていくと、ここに誓います。
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