泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

100年開かなかった扉

2022-08-22 20:17:14 | フォトエッセイ
 久々に、テレビで野球観戦をしました。試合開始に間に合うようにランニングも軽めに切り上げて。
 夏の高校野球決勝に、宮城県代表の仙台育英高校が出ていたので。
 ばっちり私の休日とも合い、観るしかないと。
 タイトルにさせてもらったのは、仙台育英高校野球部の須江監督の言葉。
 東北勢に、甲子園の優勝経験はなかった。
 春は3回、夏は9回、決勝戦に進出して敗退していた。
 仙台育英は、夏、3度目の決勝進出。そして、ついに優勝。頂上にやっとたどり着いた。
 まさに悲願達成。優勝旗は初めて白河の関を越えた。100年かかって。どれだけ悔しさを溜めてきたことだろう。
 素直に、うれしい。東北の人の一人として。
 野球自体が見事だった。
 そつのない攻撃、打撃も狙い球を絞って、一球でしとめる集中力の高さ。
 バントや盗塁、ヒットエンドラン、ランエンドヒット、スクイズ、多彩な攻撃は長打力のなさを補って余りあった。
 守備もミスなく、よくゲッツーもとり、守備位置も外れがなかった。
 強力な五人の投手陣にも驚いた。今はもう絶対的な一人のエースに頼る時代じゃないんだなと思わせた新しさと力強さを感じた。
 そして、何より「つなぐ」意識の徹底。
「つながり」は、何も打線だけじゃない。ピッチャーがつながる継投もそうだった。
 そもそも「控え」という存在が決まっていない。
 背番号「1」が控えで準備しており、「10」が頭から7回まで投げ抜き、「11」が残りを締める。結果1失点のみ。
 甲子園で初めて出たホームランが満塁でしかも「14」番だったのも印象的。
 私が中学のとき、野球部の現役だったわけですが、もらった背番号は確か「13」。
 1〜9番が、レギュラーなわけです。それが常識だった。そしてその常識は不動だと思っていた。
 仙台育英の野球は斬新だった。みんなが切磋琢磨しあうライバルであり、同時にかけがえのない仲間だった。「つながり」は、確かな信頼関係のことでもありました。どこにも不動のレギュラーは存在しなかった。それが強さの秘訣でもあった。
 高校生たちに学ばせてもらった。競い合う仲間がいることの仕合わせ。目標となる憧れのチームがあることの仕合わせ。
 あきらめなかったからこそ、優勝できた。夢をつないできた継続の力。
 いつ扉が開くのかはわからない。
 でも、開けたい扉があるのなら、挑戦をあきらめないこと。少しずつでも続けていくこと。
 おめでとう。
 そして、ありがとう。
 私も、確かに、感動しました。人が夢を叶える姿は、何度見てもいい。
 それが、一番、不足していることなのかもしれないから。
 夢を叶える人が近くにいれば、感化された人も夢を叶えていく。
 それが、本物の持っている本当の力。
 写真は、先日の、台風一過の青空です。

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