泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

あけましておめでとうございます 2020

2020-01-06 16:57:08 | エッセイ

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 数あるカレンダーの中で、この「飛び猫」(五十嵐健太/アートプリントジャパン)が気に入りました。
 初めて買ったのですが、今にぴったり。飛躍の年にしたいので。
「次の場所」に飛び移るためには、「今の場所」から離れないといけない。
 正月から、さっそく「別れ」を経験しました。詳しくは書きませんが、まさに正された。
 小説は、最後まで一人で書き抜かなければならないのだ、とも知らされました。マラソンと同じように。

 最近のお気に入りの歌は、スピッツの「空も飛べるはず」と、いきものがかりの「YELL」。
「サヨナラ」は、悲しい言葉じゃない。次の空へ、孤独な夢へとつなぐエール。
 今なら空も飛べるはず。君と出会えた奇跡が胸に溢れている。

「空を飛ぶ」というのは、とても意味深い。
 心理学を勉強していたとき、精神分析の理解と出会った。
 幼子が、親に抱っこされている体験が元になっているという。なるほどと思った。
 安全に守られている充足感。
 しかし子は、成長とともに自分で立ち、歩きたくなるもの。
 地に降りた子は、今度は大人がやりとりしている言葉を飛翔体とみなす。
 私の上空で行き交っている言葉。そこに自分も確かな位置を占めたいと願う。
 驚くほどに子どもが言葉を覚えていくのは、生きていく上で欠かせない手段だから。
 この世界に適応し、認めてもらい、自由に行き来したいから。

 私は、サヨナラするのが苦手だ、と改めて思う。
 何かにつけ「また」と引き伸ばして。
 大事にしたものほど大変だ。
 今の作品とも、完成すれば別れなければならない。
 親とも、もちろん、別れなければならないときが来る。

 でも、今回はちゃんとお別れできた。
 痛くて、苦しくて、悲しかったけど、「サヨナラ」を伝えたら、あたたかい涙がこぼれ、すっと楽になっていった。
 このままではいられない。その関係は、もう育たない。
 お互いの成長にとって。そう、何かが教えてくれた。

 飛んだ猫の真剣な眼差しの先に、何があるのでしょうか?
 ネズミか。鳥ささみか。はたまたチャオチュールか。
 くもりのない目で、目の前の人を見たいと思う。
 そして大事なものをつかみとり、言葉にして、人に返したいと思う。
 それで喜ばれ、私も生きていけるなら本望。

 何かあるたびに書き、書くことで乗り越えてきた自分は本当です。
 豊かな想像力が、ときに的外れになることもある。
 敏感すぎるくらいで、考えなくてもいいことまで考えてしまう自分も本当。
 たくさんある自分をまとめ切らなくてもいい。
 全てで、一つの私になってくれているのだから。

 元旦は普通に本屋で働いて、小金井のレースには出ませんでした。
 理由はいろいろありますが、変えるべきところは変えていく。
 昨日は誕生日でした。43歳になりました。祝ってくれた方々、本当にありがとうざいます。
 新年、始まったんだなあと、やっと実感してきました。
 一つ、また殻を破った自分で。
 どんなことと、どんな人と出会えるんだろう?
 わくわくしながら。
 
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