この写真、4月のイーハトーブ花巻ハーフマラソン大会で撮ってもらったものです。
マラソン大会などのスポーツ大会に写真業者が入り、大会後に閲覧して気に入ったものがあれば買うことができます。
ハーフの後半、競技場前だから20キロ過ぎでしょうか。この辺りは息が上がってしまって顎(あご)が落ちそうになってます。自分としてはあまりいい表情ではない、と思ったのですが、ポーズがきれいなグリコになっていたので(「グリコポーズ」と言って分かりますか?)。そのポーズよりは若干腕が下がっていますが。
東京は梅雨が明けました。
今日もものすごく暑いです。
朝ランしたのですが、7時ですでに28度くらいでしょうか、9時前には引き上げますがもう30度を超えていました。
汗が止まらず、500mペットボトル3本でも足りないくらい。
仕上げの坂ダッシュ(登り)をしたら気持ち悪くなった。体が暑さに耐えられなくなると気持ち悪くなるようです。
いつもの垂直跳びもしましたが、頭がくらくらっとしました。これは脱水症状の一歩手前でしょうか。
家に帰ってからの冷えた牛乳が最高においしかった。左手は腰に当てて、ぐーっと。
朝ランですら危険になってしまいました。
もっと早く起きれるように努力はしますが、室内でのランニングも考えるようになりました。
市民が使えるスポーツセンターが近くにあります。2時間で200円。
ただランニングマシンは予約制で、かつ室内用のシューズが必要になります。
ぷらっと外に出て、季節の風景や緑、花々や風を楽しむのがランニングの良いところ。
いくら快適だからといって風景が何も変わらない室内で走れるのか、疑問ですね。
レンタルシューズもあるようなので試しにやってみてもいいのですが、悩ましいところです。
11月17日、神戸マラソンを走れることになりました。
人気の高い大会で、今年も2倍の倍率がありましたが、初めて当選しました。
過去に一度応募したことがありましたが、その時は落選した記憶があります。
なぜ、神戸なのか?
それは忘れもしない、阪神淡路大震災があった町だから。
1995年1月17日、私は18歳になったばかりで、当時の大学入試センター試験を受けた直後でした。
自分が何をしたいのか、わかっていませんでした。何のために大学に行くのかもはっきりしてはいませんでした。
テレビでしか見ていませんが、高速道路が横倒しになり、崩れ落ちた木造の住宅街が火の海になっていました。
それまでぼんやりと生きてきた私が受けた初めての傷と言えるかもしれません。
その年の3月20日に起きたのが地下鉄サリン事件です。これは私の傷に塩を塗るようなもの。
目的のはっきりしていない私は大学受験も全て失敗し、浪人生になりました。
暗い浪人時代でした。池袋の予備校に通っていましたが、友人がいるわけでもなく、積極的に作ろうともせず。
その予備校で同じ高校に通っていた女子を見かけました。同じクラスになったことはないのですが、何となく通学中に見て覚えていました。
「あっ」と、向こうも気づいたようでした。が、私は何も言えずに通り過ぎました。そんな無口で、感情を顔から消したような悩み多き18歳男子でした。
人生は無惨にも途中で終わらされてしまうことがある。
なぜ、死ななくてもいい人が死んでしまったのか?
悶々とした悩みを抱えて、抱えるだけじゃなくて膨らませて、勉強に閉じこもって、感情の発露を抑えつけていました。
そんな私を救ったのが文学でした。
池袋の予備校近くに今はもうありませんが古本屋がありました。
予備校の食堂はなんかうるさくて嫌いでした。昼休み、外でぶらぶらしていた方が楽でした。お腹は空くので今で言うところの町中華に入ったりして、やがて古本屋を見つけ、通いました。文庫が確か一冊100円。そこで夏目漱石と出会いました。
「吾輩は猫である」に「坊ちゃん」。通学の電車は、今では信じられないくらいの鮨詰め。そのわずかな隙間を使って文庫本を貪り読んだ記憶があります。
小説がどれだけ心を明るくしてくれたことか。暗闇に一筋の光が差し込むようでした。
それ以来、文庫本はいつも持ち歩くようになりました。そして今は文庫本を売る立場になっています。
売る立場も経て、作る立場への移行を目指すようにもなりました。
どんな立場になっても、文庫本を持ち歩くことは変わらないと思います。
そんな浪人時代の夏、激しい雷雨のあった夜、近くのコンビニで買った小さなノートに日記をつけ始めたことも忘れられない思い出です。
私にとって阪神淡路大震災は、以上のように文学の目覚めのきっかけになった大きな出来事です。
それがなければ、本を読むこともなく、書くことも始めていなかったかもしれない。
同じように、2011年の東日本大震災も、それがなければ走り出すことはなかったかもしれません。その年の夏に、私は走り出しましたから。
1995年から来年で30年。あれからの私の30年でもあります。
あの町が、どのように立ち上がっていったのか、そしてあれから、私はどのように生きてきたのか。
そしてこれから、どのように生きていきたいのか。明日死ぬかもしれない今を、誰と分かち合いたいのか。
初めての神戸。今から楽しみです。
しっかりと走り、神戸を満喫できるように、今から切れ目なく準備したいと思います。
厳しすぎる夏ですが、目的があれば乗り切ることもできます。
小説もまた山を迎えています。
体調第一で、リズムよく、力まずに、習慣を味方にして、応援を力に変えて。
こちらはまた雷雨になりました。
どうかご自愛ください。
私の写真が魔除けになれば幸いです。
涼しくはならないと思いますが。
マラソン大会などのスポーツ大会に写真業者が入り、大会後に閲覧して気に入ったものがあれば買うことができます。
ハーフの後半、競技場前だから20キロ過ぎでしょうか。この辺りは息が上がってしまって顎(あご)が落ちそうになってます。自分としてはあまりいい表情ではない、と思ったのですが、ポーズがきれいなグリコになっていたので(「グリコポーズ」と言って分かりますか?)。そのポーズよりは若干腕が下がっていますが。
東京は梅雨が明けました。
今日もものすごく暑いです。
朝ランしたのですが、7時ですでに28度くらいでしょうか、9時前には引き上げますがもう30度を超えていました。
汗が止まらず、500mペットボトル3本でも足りないくらい。
仕上げの坂ダッシュ(登り)をしたら気持ち悪くなった。体が暑さに耐えられなくなると気持ち悪くなるようです。
いつもの垂直跳びもしましたが、頭がくらくらっとしました。これは脱水症状の一歩手前でしょうか。
家に帰ってからの冷えた牛乳が最高においしかった。左手は腰に当てて、ぐーっと。
朝ランですら危険になってしまいました。
もっと早く起きれるように努力はしますが、室内でのランニングも考えるようになりました。
市民が使えるスポーツセンターが近くにあります。2時間で200円。
ただランニングマシンは予約制で、かつ室内用のシューズが必要になります。
ぷらっと外に出て、季節の風景や緑、花々や風を楽しむのがランニングの良いところ。
いくら快適だからといって風景が何も変わらない室内で走れるのか、疑問ですね。
レンタルシューズもあるようなので試しにやってみてもいいのですが、悩ましいところです。
11月17日、神戸マラソンを走れることになりました。
人気の高い大会で、今年も2倍の倍率がありましたが、初めて当選しました。
過去に一度応募したことがありましたが、その時は落選した記憶があります。
なぜ、神戸なのか?
それは忘れもしない、阪神淡路大震災があった町だから。
1995年1月17日、私は18歳になったばかりで、当時の大学入試センター試験を受けた直後でした。
自分が何をしたいのか、わかっていませんでした。何のために大学に行くのかもはっきりしてはいませんでした。
テレビでしか見ていませんが、高速道路が横倒しになり、崩れ落ちた木造の住宅街が火の海になっていました。
それまでぼんやりと生きてきた私が受けた初めての傷と言えるかもしれません。
その年の3月20日に起きたのが地下鉄サリン事件です。これは私の傷に塩を塗るようなもの。
目的のはっきりしていない私は大学受験も全て失敗し、浪人生になりました。
暗い浪人時代でした。池袋の予備校に通っていましたが、友人がいるわけでもなく、積極的に作ろうともせず。
その予備校で同じ高校に通っていた女子を見かけました。同じクラスになったことはないのですが、何となく通学中に見て覚えていました。
「あっ」と、向こうも気づいたようでした。が、私は何も言えずに通り過ぎました。そんな無口で、感情を顔から消したような悩み多き18歳男子でした。
人生は無惨にも途中で終わらされてしまうことがある。
なぜ、死ななくてもいい人が死んでしまったのか?
悶々とした悩みを抱えて、抱えるだけじゃなくて膨らませて、勉強に閉じこもって、感情の発露を抑えつけていました。
そんな私を救ったのが文学でした。
池袋の予備校近くに今はもうありませんが古本屋がありました。
予備校の食堂はなんかうるさくて嫌いでした。昼休み、外でぶらぶらしていた方が楽でした。お腹は空くので今で言うところの町中華に入ったりして、やがて古本屋を見つけ、通いました。文庫が確か一冊100円。そこで夏目漱石と出会いました。
「吾輩は猫である」に「坊ちゃん」。通学の電車は、今では信じられないくらいの鮨詰め。そのわずかな隙間を使って文庫本を貪り読んだ記憶があります。
小説がどれだけ心を明るくしてくれたことか。暗闇に一筋の光が差し込むようでした。
それ以来、文庫本はいつも持ち歩くようになりました。そして今は文庫本を売る立場になっています。
売る立場も経て、作る立場への移行を目指すようにもなりました。
どんな立場になっても、文庫本を持ち歩くことは変わらないと思います。
そんな浪人時代の夏、激しい雷雨のあった夜、近くのコンビニで買った小さなノートに日記をつけ始めたことも忘れられない思い出です。
私にとって阪神淡路大震災は、以上のように文学の目覚めのきっかけになった大きな出来事です。
それがなければ、本を読むこともなく、書くことも始めていなかったかもしれない。
同じように、2011年の東日本大震災も、それがなければ走り出すことはなかったかもしれません。その年の夏に、私は走り出しましたから。
1995年から来年で30年。あれからの私の30年でもあります。
あの町が、どのように立ち上がっていったのか、そしてあれから、私はどのように生きてきたのか。
そしてこれから、どのように生きていきたいのか。明日死ぬかもしれない今を、誰と分かち合いたいのか。
初めての神戸。今から楽しみです。
しっかりと走り、神戸を満喫できるように、今から切れ目なく準備したいと思います。
厳しすぎる夏ですが、目的があれば乗り切ることもできます。
小説もまた山を迎えています。
体調第一で、リズムよく、力まずに、習慣を味方にして、応援を力に変えて。
こちらはまた雷雨になりました。
どうかご自愛ください。
私の写真が魔除けになれば幸いです。
涼しくはならないと思いますが。