泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

いのちの初夜

2021-12-02 20:02:58 | 読書
 久々に、小説を読んで泣いた。
 どうして今までこの小説を読んでなかったのかと思った。
 こんな近くに、こんな素晴らしい文章を書く人がいたのに。
 わかっていたはずだ。知っていたはずだ。だから、改めて書店で出会ったとき、買ったのだ。
 作者の名は「北条民雄」。本名は七条晃司(てるじ)。本名は、2014年に公表された。著者は、ハンセン病患者だった。
 私の住む東京都東村山市の全生園(ぜんしょうえん)に入院させられた。
 全生園は、このブログでも何回か取り上げていますが、私の高校時代、通学路にしていたところです。
 当時は何も知らず、ただ深い森に引かれ、その一本道を自転車で手放し運転などしてふらふら通過していた。
 その深い森に迷い込み、一本一本木を見上げては、この枝は丈夫そうで、死ぬのに良さそうだ、と思う若者たちがたくさんいたことに、この本を読むまで想像したことがなかった。なんて浅はかだったか。今は「人権の森」となり、コロナ禍になるまで何度も通った。それでも納骨堂の前で手を合わせることができなかった。
 でも、次行ったら、手を合わせ、頭を下げることができると思う。この小説のお陰で。
 私にも、未知の病気に対する不安や恐れがあったのではないか。隔離させられた人たちに対して、平常心で向き合えない何か。
「いのちの初夜」は、ハンセン病の特効薬がなかった時代、手や足を失い、失明まで迫り、本名すら消され、親も子も、社会的地位もアインデンティティーも、人の社会性すべてを剥ぎ取られ、神経を侵されて夜も眠れず、うめき声を上げる人たちに、だからこそ「いのち」を発見するという物語。未知の病と戦う人たちの記録とも読めます。
 心が打たれるのは、切実だからというのもありますが、内容が、私の通った道と酷似しているからでもあります。病の末に、やっといのちに目覚めるという。それだけでなく、文章が的確で、透明で、私の中にも息づいている「人権の森」に次々と人物が浮かび、生きるから。
 著者は川端康成に原稿を観てもらっていました。川端は、「最初の一夜」という題名を「いのちの初夜」に改め、文學界に掲載。文學界賞を受賞し、第3回の芥川賞候補作にもなった。デマや偏見に動じず、作品を通して支援した川端康成も見直しました。
 北条は、23歳で亡くなっている。直接の死因は、腸結核でした。実際に執筆できたのは2年と少し。ハンセン病が間違いなく悪化していくことから、書けるときに書いていたようです。寿命を削ってまで。川端が言っている。彼の小説を読むと、他の多くの小説がへなちょこに見えると。本当にそう。私のだってへなちょこ、だった(今回を機に過去形にしたい)。
 ハンセン病文学なんてものはなく、そこにあるのはただ文学でした。個に徹して天に通ずる。
 彼が亡くなったのは85年前の12月5日。85年も経ったとは思えない鮮度が、作品には秘められています。
 とにかく、読んでいただくことだと思い、私が一番泣けた場面を引用します。
「吹雪の産声」から、本書の257ページ6行~258ページ17行です。

 二週間の間、私は生と戦い続けた。父のもとから帰ると病院へは来ず東京の町々をさまよい、ある時は鉄道路線の横に立って夜を明かし、ある時は遠く海を見に行った。私は私の生を、私の意志によってねじ伏せようとしたのであった。だが意志とはなんだろうか、意志と生命とがどうして別物だと考えられるか、意志をもって生命をねじ伏せる、要するに言葉の綾ではないか。意志が強ければ強いほど生への欲求の強いのも当然であった。私は方向を失ってしまった。死ぬこともできない。しかし生きることもできない。生と死の中間に挟まれて私は動きがとれなくなってしまったのだ。びしょびしょと雨の降る夜、電火の溢れた街路に立って、折から火花を散らせながらごうごうと怪物のように駆けて行く電車の胴体へむしゃぶりついて見たかった。俺は癩病だと叫びながら、人々でいっぱいの中を無茶苦茶に駆け廻りたくなったりした。犇犇(ひしひし)と迫って来る孤独が堪らなかったのだ。雪崩れるようにもみ合って通る人々、その中にぽつんと立っている私だけが病人であるとは! 私とその人々との間には越えられぬ山がそびえて、私だけが深い谷底から空を見上げて喘いでいるように思われた。もし叫びまわることによって自分の五体がばらばらに分裂し去ることができたらどんなに良かったか。そういうところへ矢内からの手紙であった。

「——君の手紙を見ました。君の気持ちがどうであるかは僕はよく判ります。けれども、君は君の生命が君だけのものではないということを考えるべきです。君のものであるとともにみんなのものです。みんなの中の君であるとともに、君の中のみんななのです。君の中に僕が在るように僕の中に君が在ることを考え、どうでも生きてもらいたい僕の願いです」

 手紙はいたって簡単で短かった。しかしこの短い中に流れている彼の真剣な声は、私の心にひびかずにはいなかった。この手紙の意味が私に十分読めているかは疑わしいが、私はこの時切実に矢内のところへ帰りたくなった。彼の柔和な顔や、学園の子供たちを相手にしている姿などが蘇って、この孤独感から抜け出るには彼以外にないと感じさせられた。私はその夜再び病院の門を潜った。彼は待ちかまえていて、大きな手でがしりと私の肩を掴んで、きらりと涙を光らせた。私が真に友情を知ったのはこの時であった。

 北条民雄 著/角川文庫/2020

 

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