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sugiyukumamani

ただ かぜがふいているだけ・・・。  
  

リチウム争奪戦(上)

2010-01-11 | 暮らし
アンデス山脈の裾野に広がる砂漠、そのなかにアタカマ塩湖はある。
標高約2300㍍の高地だが、かっては海だった。アンデス山脈の造山
活動で隆起して、海が干上がりリチウムなどがたまったらしい。

湖の広さは約3千平方メートル、鳥取県とほぼ同じ面積だ。湖といって
も水がある場所は少なく、ほとんどは砂まみれになった岩塩の固まりだ。
リチウムは湖の地下に潜んでいる。アンデス山脈の雪解水などが岩塩層
にしみこむ、リチウム塩などを溶かして塩湖の底に流れ込む。

この水を井戸でくみ上げ、天日で乾燥させて濃縮する。年間で雨が降る
のは数日というカラカラの気候が生産を助ける。水をくみ上げ、太陽熱
で乾燥させるので、エネルギーはほとんどいらない。コストも安い。

その後、工場に運び、不純物を取り除いたあと、最終製品である炭酸リ
チウムや水酸リチウムを製造する。
日本のリチウムイオン電池は世界の生産量の半分を占めている。原料の
リチウムはその多くがアタマカ塩湖でとれたものだ。

エンジンから電池へ

2010-01-09 | 暮らし
アタカマ塩湖のリチウムの前に電池についてもう少しふれておきたい。
昨年の11月のことだが、電気自動車(EV)で、途中充電せずに、東京
大阪間,555.6kmを走りぬいた。

次期世代車として期待される電気自動車だが、電池容量の制約を受け充電
1回で走れる距離がガソリン車より短いことが課題とされる。

完走した車は、ダイハツ工業の軽自動車ミラを改造した2人乗り。エンジン
をモーターに置き換え、乾電池より一回り大きい三洋電池製の円筒型リチウ
ムイオン電池を8千本充電し床下に載せた。搭載した電池の重さは計360㌔に
なるが、電池さえ多く積めば長距離でも走れることを実証した。

リチウムイオン電池といっても構造はさまざま、具体的にはどんな材料で
つくるかは、企業秘密の中核になっている。

さて、そのリチウムだが、07年の国別リチウムの鉱石生産量はチリ 約9400
トン、オーストラリア 5500トン、 アルゼンチン 3000トン、中国 3000
トン、ロシア 2200トン、カナダ 700トン、その他1200トンで南米は世界の
リチウムの5割りを生産している。

日本も獲得に乗り出した。

2010-01-07 | 暮らし
走行中にCO2(二酸化炭素)を出さず、「究極のエコカーの一つ」とされる
電気自動車の構造は比較的シンプル。極端にいえば、モーターと電池と
制御装置があればいい。部品点数もガソリン車に比べ3分2ですむという。

参入障害が低いため、多様な業種が進出を図る。そこにベンチャー企業や
途上国メーカーのチャンスが生まれる。低コストで生産できるからだ。

特に性能を左右するのが「21世紀の産業のコメ」と呼ばれるリチウムイオン
電池だ。中国の電池ベンチャーBYD(比亜迪)はパソコン産業でCPU(中央
演算処理装置)を制した米インテルのように電気自動車時代のインテルを
ねらう。

世界のリチウム電池は生産量の半分近くは日本メーカーが占めている。原料
のリチウムは輸入に頼っている。最大の輸入元が南米のチリでその多くが
アタカマ塩湖でとれたもの。

チリの首都サンティアゴから北へ飛行機で2時間、第2の都市アントファガス
タからさらに車で3時間ほど走ると、5千メートル級のアンデス山脈のすそ野
に延々と砂漠が広がる。そのなかにアタカマ塩湖が見えてくる。

この湖の地下にリチウムは潜んでいる。(つづく)

リチュウム獲得競争

2010-01-06 | 暮らし
電池はマンガンなどの正極材と炭素系の負極材、それらをわける
セパレーター、電解質と4つの材料でつくる。

リチウムは電池の材料として有望な金属。リチウムイオン電池は軽い
うえ、大量のエネルギーを取り出せる。91年にソニーが量産化、パソ
コンや携帯電話用として普及している。

電気自動車では安価な鉛電池もあるが、リチウムイオン電池は鉛電池
より1回の充電で走れる距離が長く、廃車までの電池交換も必要でなく
なる。ハイブリッド車や電気自動車にも利用が広がっており、06~07年
にかけては、一時供給不足になった。

リチウムイオン向けの需要は20年には09年の5倍超の2万2千トンになると
の予想もある。

南米は現在、世界のリチウムの5割を生産している。(つづく)

今後100年間のクルマ社会

2010-01-05 | 暮らし
米国の自動車産業は、幾多の変遷を遂げてきた。1990年代後半に発売
された電気自動車が普及を拒む勢力の圧力で回収され姿を消した。
そのことはすでにふれた。

「一度は電気自動車に意欲を失った」米国の自動車産業は、今度は本気で
自動車の電動化に取り組む姿勢をみせるのか。

地球温暖化を防ぐため、CO2削減のための京都議定書から離脱したブッシュ
政権とは違い、オバマ大統領は大々的に「脱石油依存」を旗印に自動車の
電動化に乗り出した。米政府は、電気自動車の開発や電池技術の向上に
250億ドルの税金をつぎこむなど、巨額の支援を行う。

経済危機のダメージでビッグ3もいまは破綻の縁に立つ。もはや自動車の
電動化に賭けるしかないほど追い込まれている。GMは12年までに約29億ドル
を投資して、電気自動車などガソリン車以外の新エネルギーの車を開発して
いく。フォードも12年までに4車種の電気自動車を導入していく予定という。
クライスラーも13年までに50万台を売る予定。

米国の経験

2010-01-03 | 暮らし
  

米国人は大きな車が好きらしい、大型車の多い米国では「革命的な厳しさ」と
いわれる。この基準の導入で、未導入時に比べ、2030年段階で、各当車種から
のCO2(二酸化炭素)排出量を21%削減できるという。

重複するが、1990年代後半、米国の各自動車メーカーが電気自動車の開発に
乗り出したのは米カリフォルニア州の排ガス規制がきっかけだった。

全米最悪の大気汚染に悩んでいたカルフォルニア州当局は90年、州内で走る
新車の10%を2003年から「無排ガス車」するよう義務づけた。電気自動車が期待
された。
 一部の利用者からは支持されたものの、自動車業界や石油業界などからの
反撃を受け、州当局は態度を変える。規制は緩められ、有名無実化した。
 GMは「需要がない」と車の強制回収を決めた。税金を注ぎ込んで充電設備を
作ることに反対した消費者団体の背後には、石油業界がいた。

自動車業界も利益率の低い電気自動車への意欲を失っていった。業界よりの
ブッシュ政権が州に対して圧力をかけた。

     

アメリカの燃費基準

2010-01-02 | 暮らし
オバマ大統領は「脱石油依存」、「米国経済の再生」を旗印に自動車の電動化に
大々的に乗り出した。昨年3月カルフォルニアの自動車工場に出向き「15年までに
プラグインハイブリッド車を100万台走らせる」と力説したという。

だが、電動化に懐疑的な声もあるという。電気自動車を支えるリチウムイオン電池
技術は、日本、韓国などが強く米国勢は弱い。しかし、経済危機で大きなダメージ
を受けた米国ビッグ3はもはや自動車の電動化にかけるしかないほど追い込まれて
いる。

米国市場で1990年代後半に発売された電気自動車が普及を拒む勢力の圧力で
回収され姿を消した、そんな歴史がある。当時、各メーカーが電気自動車の開発
に乗り出したのは、米カリフォルニアの排ガス規制がきっかけだった。(つづく)


欧州メーカー・EVへの動き

2010-01-01 | 暮らし
EV(電気自動車)、PHV(プラグインハイブリッド車)、HV(ハイブリッド車)と
言った環境対応車は動力源となる「電池技術」が車の性能を大きく左右する。
その電池技術は日本が先行しているとされてきた。

 しかし、欧州メーカーがEV,PHV,HVなどを次々と発表、電気で走る車への移行の
動きが明確になった。EVに向けて本気になった欧州メーカーだが、その背景にある
のは、欧州で2012~2015年にかけて段階的に導入される、世界でも最も厳しい燃費
規制だ。

これは各メーカーが販売する車の平均燃費を120g/km(1km走行時に二酸化炭素を
120g排出)に規制するもの。日本でいうと1リットルで、19,4kmの走行になる。
さらに20年には95g/kmへの強化も検討されているという。日本の燃費では24.5km
/リットル。


メルデス・ベンツは2009年にHVを投入、2010年にはEVを投入する計画。BMWは2009
年にHVを投入、EVは09年中に500台限定提供済み。昨年の9月に開かれたドイツ・
フランクフルトモーターショーでは87g/kmの「ポロ」を発表している。




 *****   *****   *****      

   新しい年の皆様のご多幸とご健康を
               お祈りいたします。
         お詫び 年末お休みをいただきました。
         本年もよろしくお願いします。

50年・・・・!

2009-12-25 | 暮らし
アメリカの研究者、チャールズ・ディブ・キーリングは二酸化炭素
レベルを正確に測れる器具を開発、それをハワイ島の死火山、マウ
ナロア山の山頂に設置した。そのデータをグラフにした「キーリン
グ・カーブ」は温暖化現象の議論における、もっとも有名なイコン
となっている(ガブリエル・ウォーカー著『大気の海』)。

大気中の二酸化炭素濃度もハワイで測定が始まった1959年(約50年前)
には316ppmだったが、2007年は384ppm,2008年には385.2ppmとなり、観
測史上最高値を記録した。

過去65万年の自然変動の幅が180~310ppmだったことを考えると変化の
速さがわかる。じわじわと起きる地球環境の変化は人間の一生ではわか
らないといわれるがそうでもない。人間が関わるものは急激に変化して
いる。

1900年の人口は16.5億人、1992年は54億人、2008年は67億人。人口増に
よってエネルギーの消費も大幅に増えている。

1961年(約50年前)、始めて地球を飛び出した宇宙飛行士ガガーリン
は「青い水の惑星」をみて「地球は青かった」といった。つい50年前ま
では人類はこの地球の姿をしらなかったのだ。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の2007年にだした報告書によると
「温暖化はほぼ疑う余地はない」とほぼ断定し、すでに温暖化している具
体的な証拠と、これから100年後の地球の姿を予測している。

 すでに温暖化している事実として、1906~2005年にかけて地球の平均気温
は0.74℃上昇、北極の温度上昇は地球全体の平均気温上昇のやく2倍。20世紀
中の海面上昇は17センチーなどといった内容だが、この気温上昇と海面上昇に
伴って各地で環境変化が次々とおきている。

南太平洋諸島、人口1万人の小さな国ツバル。低くて平らな島だけからなり、
「地球温暖化で最初に沈む島」といわれている。気候変動に関する政府間パネ
ル(IPCC)は今世紀末の海面上昇を平均18~59センチと予測する。温暖化がこの
まま進めばツバルは50年後には沈むとの説もある。

「合意」に留意する

2009-12-24 | 暮らし
COP15は「合意」ではなく、合意に留意するーという採択で
閉幕しました。拘束力を持つ温暖化ガスの削減枠の締結が
1年先に延びたということでしょうか。

「個々人では何もできない」という悲観論は好みません、
が、オノ・ヨーコさんは「一人で見る夢はユメでしかないが
100人が同じ夢を見たら現実になる」というようなことを
云っていました。

人類の一員という気分がまだ、世界中で共有されていない
ようです。それよりも国家の国民としての意識のほうが強い
のです。

だが、南極では氷床が海にせり出してできた氷棚が崩壊し、
北極海では氷が解け餌を求めて泳ぎだしたホッキョクグマが溺れるなど、
地球の異変が目に見える形で報告されています。

すべての異変を「地球温暖化」の一言で説明するには無責任すぎます。
無理もありません。「地球温暖化」という脅威は、1988年にIPCC
できてからです。つい、20年前のことにすぎないのです。