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sugiyukumamani

ただ かぜがふいているだけ・・・。  
  

現状追認 ②

2011-09-30 | 

《 原発事故から半年 ― その5 》

時計の針を若干前にもどします。
菅前首相の退陣時期は遅かったと思っている。辞任の意思表明を
した首相の前で政策が真剣に話し合われるとは思えないからだ。
野党第一党の谷垣自民党総裁が「お辞めになる首相と何を話せと
いうのか」はしごく当然のこと。

政治空白が一日一日と積み重なり、震災復旧に遅れが出たと懸念
する。同時に菅前首相もさることながら民主党が組織として
きちんと運営されているのかは今でも危惧している。
政権党は本来、首相を支えるのが当り前なのにそういう力学は
働かない。首相を変えれば天地がひっくり返ったように政権が
よくなるものではないだろう。
小泉政権以後の自民党と同じ構図。首相交代で政権維持を図る、
国民の付託を受けていない首相、また短命に終わるのだろうか。

話がそれましたが、

「脱原発依存」菅前首相のいってることはそうずれていない、
浜岡原発の運転停止は、世論も支持した。自然エネルギーの普及も
急がれる。原発のストレステストもやるべきだ。

野田政権が発足して早、1ヶ月になろうとしている。私はこの政権も
菅前政権の「脱原発」を引き継ぐと考えていたのだが・・・。

政権につけば現実的になるのか、野田首相は就任会見で「原発の新設は
困難。寿命がきた原発は廃炉にしたい」といった。
だが、国連演説では原発輸出の継続を表明。

また、藤村修官房長官は森詳介・関西経済連合会会長(関西電力会長)の
「原発が動かないとこの冬の電力も厳しい。早急に再稼動を・・・」
の要請に対し、来年2月をメドに前倒しする可能性に言及。
これまでの政府方針では来年夏に向け再稼動を進めるとしていた。

早くも現状追認に政治が頭をもたげている。民主政権が原発の是非を
熟慮した形跡はない。8月末に行われた民主党代表戦では
国民の関心事である原発政策はほとんど焦点にならなかかったことに
異様さを感じたのは私だけではないはずだ。

長期的に原発には依存しないが、短期的は動いていいといっている。
本当に安全なら長期的にも安全だ。安全でないなら短期的でも
安全でない。安全か安全でないか基準は何なのか。
福島第一原発の事故はまだ完全には収束していない。
事故原因の解明もまだなのではないか。

原子力安全保安院も原子力安全委員会も今回の事故を防ぐことは
できなかった。その安全・保安院が「安全だ」といっても国民は
信用しないのでないだろうか。


現状追認 ①

2011-09-30 | 

《 原発事故から半年 ― その4 》

前にふれましたが、今から12年前の今日(9/30日)、
核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で臨界事故が発生、
死者2人、住民660人以上が被曝(ひばく)、当時、国内最悪の
原発事故が起きました。

また、2009年9/30日10時16分、インドネシア・スマトラ島沖で
発生したM(マグニチュード)7,5の地震が発生、1100人の犠牲者が
でています(2009年10/2現在)。

災害には備え、事故は防がねばなりません。3・11空前の大震災から
半年以上過ぎた。私たちはこの災害から何を学ぶのか。

復旧への基本方針を示し、年内の原発冷温停止も宣言した。
だがあまりにも遅くはないのか。

第一党党首が首相になる議員内閣制、理解はしているが
蚊帳の外の国民(有権者)は苛立ちを感じている。
苛立ち、先行き不安は尽きない。
国民は政治の弱さと見苦しさにやり場のない気持ちが募る。
しかし、総じて人々は無気力とか絶望とかに長く安住できる
ものでないことは自明の話である。

悪しきものが日本を覆っている。この悪しきものを取り除けば
暮らしはよくなるだろうと人々は出口を探しはじめた。

野田政権の世論調査による発足時の支持率は各メディアで
ばらつきはあるものの55~65%と聞く。
大平政権以来20の政権が誕生したがその中でも5番目の高さ
だそうだ。これは勝手な推測だが、民主党の実力とか実績の
評価ではないと考える。

国民は良き政治を待望するしかないのである。だから新しい
政権へ期待したのだ。だが、多くの国民は世の移り変わり
も見てきている。悪しき政治ならまわりにふえているが
良き政治は簡単に手に入らないことをわかっている。
世のしくみがそのように変わったきた。

 


12年前の事故

2011-09-12 | 

《 原発事故から半年 ― その3 》


原発は国家的プロジェクトと専門家や官僚は振り返ることなく
推進してきた。過去のある時点において原発の危険性は問題視
されながら、長い間放置した、あるいは問題をさほど
重要視しなかった結果が福島第一原発の事故につながったのか。

米国のスリースマイル島や旧ソ連のチェルノブイリで起きた
原発事故だけではない。

この9月30日で核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)の
臨界事故が発生してから12年になる。

1999年茨城県東海村のウラン加工施設で発生したJOC臨海事故は、
死者2人、住民660人以上が被曝(ひばく)、当時、国内最悪の
原発事故だった。が、発生から24時間以内に収束させることが
できた。

澄田健二原子力安全委員会の委員長代理(当時)は、
現場に入り、専門家の事故解析を参考に臨海を止めるために
徹夜でJOC社員を陣頭指揮した。

この事故を受けて1999年にできた原子力災害対策特別措置法
には、事故時の技術的助言が原子力安全委員会の役割として
明記され、委員はすぐ現場へいくことになっている。
判断に必要な情報は自ら行かないと取れないためだ。

だが、今回の福島第一原発事故では、4/17日まで現地入りせず
支援できかった。原子力災害は「初動」と「現場」が重要と
いわれる。

JOC事故の教訓はいかされていない。

1999年9月30日10時35分臨海発生。同日11時19分JOC
から科学技術庁へ事故の一報。12時30分、科学技術庁が
日本原子力研究所と核燃料機構に協力を要請。
13時、科学技術庁は現地に職員を派遣する。

15時、政府事故対策本部を設置、東海村長350メートル圏内の
避難要請決定。15時30分、安全委が専門家の緊急招集を決定。
21時40分、原子力安全委2人が現地に到着、22時30分、10㌔
圏内に屋内退避を要請。

翌日3時、臨海を止めるための水抜き作業、9時臨海終了。

2011年3/11日、福島第一原発で全電源が喪失したのは
15時42分、東京電力からの緊急事態の通報は14時42分、

政府が原子力緊急事態宣言を出したのは19時03分、
福島県が2㌔圏の住民に避難要請をしたのは20時50分、
首相が3㌔圏の避難を指示21時23分。
3/12日、避難圏を10㌔に拡大、5時44分、首相が現地へ、
原子力安全委員長が同行(委員派遣せず)7時11分、
15時30分 福島第一原発1号機水素爆発。


地震予知の幻想

2011-09-10 | 

《 原発事故から半年 ― その2 》

われわれは地震がいつ起きるのかを予知できるような幻想を
抱かされていたようである。

「政府の地震調査委員会は、宮城県沖で30年以内に
マグニチュード7.5程度の地震が99%の確率で発生すると
予測していた。しかし、東日本大震災のマグニチュードは9,
想定外だった」

1995年の阪神大震災以降、観測網が整備され実際起こった
地震の解析は進んだ。

地震のデーターは多く集まり、振動の波形分析、伝播、
起こりえる災害など計算できつつある。地震の起きるメカニズム
やいったん起きればどうなるかの研究も大いに進んだ。

東海、東南海、南海という地震の震源域を決め、揺れの強さ
津波の高さ、死者数・・・と推定を積み上げて被害想定をして
防災対策を考える、数字が出ると科学的な根拠が確立している
と受け止める。

しかし、実際に地震が起きると死者の数などは変わる、
想定されている地震域は科学の研究対象外である。

大地震の揺れが原発を襲っても大丈夫というために地震の揺れの
予測計算が使われる。が、地震学が地震や津波のすべてを
理解しているわけではないという
根本的なことが忘れさられている。

東京電力福島第一原発の事故の引き金になった外部電源の喪失、
福島第一発電所に電気を送る鉄塔の倒壊は地震、
非常用ディーゼルが動かなくなったのは津波、
どちらも想定外だった。
「今の地震学であらゆる地震の起こり方を想定することは難しい」
「何が起こるかわからないということを学んだ」ーという
地震学者の発言もある。

地下で起きる岩盤破壊現象である地震を予知するのは
極めて難しい。地震学者は「地震予知は出来ない」と
はっきり云うべきだろう。わかっていることだけを正直に話す。
わからないことはわからないというべきである。

科学者は白黒がはっきり云えない事柄については
慎重に答えてきたというだろうが
地震予知ができたり、原発が絶対安全であるかのように
過大な期待を市民に抱かせてきたのではないだろうか。


原発事故から半年 ( 1 )

2011-09-08 | 

《 科学の限界を・・・》

破滅的な大震災(と同時に原発事故)が日本にかって
なかったような深刻な試練をもたらしている。

半年前の3・11,この日を機に、事態は一変し、見えない放射能の
脅威に怯えている。

被災者の苦難はもとより、圏外でも毎日の節電,工場の操業時間の制限、
食の安全、子供の健康など「不安の日常化」が生活の底流となった。
原発事故に国境はない。世界の反応はグローバルな脅威として
フクシマをみつめている。

3・11は、われわれの持つ原発の意識を変えた。事故は起きた、
しかも突然に。「原発は安全ではなかった」。
「原発は、ある部分が壊れても別の仕組みで補い、多段的に
対策を施して致命的な事故を防ぐ『多重防衛』の設計で
造られている、というのは嘘、すべてのリスクをカバー
できるほど安全ではなかった。
政府や専門家のいうことを信じたのは愚かだった。

その後の政治的・社会的混迷のなかで、どの情報を信じれば
いいのかと無力感に襲われそうになる。

地震や原発の専門家(学者も含めて)は今回のことは
「想定外」だったと口を揃える。本来、こういう事態を
想定するのが本当の専門家ではなかったのか。

科学は地震が予知できたり、原発は絶対安全であるように
思わせてきたのか、それともわれわれが危険があると
感じながらもスルーしてきたのか?

科学者は今こそ、等身大の科学の姿、日々進歩はしているが
万能ではない -という科学の限界を示す時ではないのか。


【追記】文部科学省は、福島第一原発事故を受け、
「原子力を含むエネルギー政策はもとより、科学技術政策
の見直しが必要」とする2011年版科学技術白書をまとめた。

そのなかで、放射性物質の放出で国民に大きな不安を与えた
ーと指摘、「世界中の人々が現実を目の当たりにし、
科学技術のもつ光のみならず、影の側面を認識することに
なった」としている。