goo blog サービス終了のお知らせ 

sugiyukumamani

ただ かぜがふいているだけ・・・。  
  

生物多様性とは?

2010-05-17 | 暮らし
地球上には未知の種を含めると3千万種(6千万種という
研究者もいます)の生物がいるとされる。さまざまな生
物が互いに結びつきバランスを保って生きている。

「生物多様性」という言葉が使われたのが1992年の地球
サミットからといわれますが、この「生物多様性」と
いう言葉の認知度はまだ、低いようです。内閣府の世論
調査では知っている人は3割り程度だそうです。多様性と
はわかりやすくいうと、いろいろな生き物がたくさんい
る状態のことです。

多様性にも遺伝子、種、生態系、景観などさまざまな多
様性があります。
今、この多様性が地球規模で急速に失われています。人間
の社会生活が主な原因といわれます。温暖化もそうだし、
森林の減少など生物の生息地が破壊されています。

生物多様性は大きく3つのレベルに分類される。森林や干潟
湖沼などの生態系、動物や植物の種、同じ種でも個体差を
もたらす遺伝子などです。



生物多様性 ( 10 )  

2010-04-24 | 暮らし
豊岡市のコウノトリの羽数は134羽を数える。
(豊岡市立文化館) ←クリックでご覧下さい、
県や市、農家、住民なども力をあわせた。その成果の一つ
が「コウノトリ育む農法」だ。

9月下旬、稲刈りの終わった田んぼには、コウノトリのエサ
になる生き物が住みやすいように、1年中水をたたえている。
小さな魚の群れが見える。戦後普及した乾田農法は、コウノ
トリのエサとなる水中生物のすみかを奪った。農薬がとどめ
をさした。イネの害虫だけでなく、田んぼの生き物や小魚ま
でも死滅させた。

コウノトリの生息に適した環境とは、エサ場、営巣地、コウ
ノトリを受け入れる社会などである。

農薬は7・5割減、科化学肥料のかわりに米ぬかをまく、水中
の生き物が水路と田んぼを行き来できるように魚道をつくる。
生き物が住めるように冬場も水をためておく。さらに夏場に
いったん水を抜く「虫干し」も遅らせる。

農家にとってはいい話ではなかった。草刈などの手間がかか
り雑草をおさえなければ収量が7割程度に落ち込む。

コウノトリはエサになるほかの生き物がよほどたくさんいな
いと生きられない。「虫干し」を遅らせるのはオタマジャク
シがカエルに、ヤゴがトンボになるのを待つためだ。

イネの天敵のウンカも出てきたが、クモなどが食べてくれ
た。そのクモをカエルが、カエルをヘビが食べる。好物の
ヘビやカエルなどを探しに、しだいにコウノトリが田んぼ
を訪れるようになった。

生物の多様性が維持できれば、安全で安心なものがつくれ
る。「育む農法」で作った米はコウノトリブランドとなっ
た。無農薬なら5割高く売れる。03年に0,7㌶だった作付け
面積は09年には約212㌶に増えたという。

豊岡市ではコウノトリが子や孫の世代のためによい環境を
取り戻したいという思いの象徴になっているが、コウノト
リのようなシンボルがない場合はどうすればいいのだろう。
(画像はイメージです)





生物多様性 ( 9 )  

2010-04-23 | 暮らし
コウノトリに話をもどします。
「ありふれた生物の大切さを、失ってからはじめて
気づかされた」。豊岡市は「コウノトリとの共生」を
地域作りの柱にすえる。

豊岡市立 コウノトリ文化館の入場者は十数万人から
42万人(08年)に増えた。生き物がもどってきた田んぼは、
子供たちの環境教育の場になっている。

なぜ、コウノトリが舞い降り、地域は盛り上がったのか?
いったん、絶滅したコウノトリだったが、幸い、旧ソ連の
ハバロフスクから譲り受けた6羽の人工繁殖がうまくいった。

コウノトリの現状については上記の「コウノトリ文化会館」
をご覧ください。ところで、日本社会というのは基本的な
議論を誰もしない、もしくはしたがらない、という一面が
あるように考えます。そうしなくても「治まる」からでし
ょうか?

かっては人口のほぼ80%が田舎に住み20%が都会に住んでい
た、いま、それが逆転している。都会だけでは生きられない
ことは誰でも知っていることでしょう。

田舎がなければ誰が米を作り、野菜をつくるのでしょうか。
(米は今はいいとしても、しかし、農家の高齢化は進んで
います、予想以上に)、どこかが田舎になる。それが、中国
であり、タイであり、インドネシアなのです。

食糧自給率41%の数字をみてもわかることですが。私は東京
に住んでいるから田舎のことはわからないですめばいいので
すが。




― 休み ―
諸事情により当blogはお休みをいただいてお
ります。拙いblogに来ていただきありがとう
ございます。

生物多様性 ( 8 )  

2010-04-22 | 暮らし
「生物多様性 (6 )」で都会も田舎も必要だーと
書きました。タデのエサもくわのエサもいるとも。

農業をやっていればそこがわかります。それを
「肌でわかる」といいます。

都会人はすべてコントロールできると思ってい
ます。会社のような組織の中で働くと合理性が
徹底的に要求されます。

会社の上役から「頭のなかできちんとシュミレート
して、望ましい結果になるように自分の行動を調節
せよ」そう云って叱られます。

車が動かなければ、必ずどこかが壊れているのです。
でないときはガソリンは入っていない。どこかが壊
れていれば調べればかならずわかる。どこも壊れて
いないのにそれでも動かない車、そんなものがあれ
ば一種の怪談です。人間のつくったものですから。

人間の相手にする対象が都会と田舎ではまったく違
います。都会には人間のつくったものしかない。

田舎はそうはいきません。田畑を耕して、種を蒔い
てきちんと世話をして育てる。つまり「手入れ」を
するわけです。
シュミレーションが効かないのです。自然が相手で
すから。

*都会人とは田舎人に対するという意味。特定の人
をさすのではありません。一般論としての・・。

生物多様性 ( 7 )  

2010-04-22 | 暮らし
環境保全や生物多様性の話に「コウノトリの保護」が
よく語られます。
コウノトリは、もともと非常に弱く、突っついた先に
なにかあったら食べるという鳥です。(しかも飼育下
では1日にドジョウ80匹分ものエサが必要な大食漢だそ
うです)。

そのために水銀とか濃薬で弱ったドジョウとかカエルと
かを食べてしまい、絶滅の危機を迎えました。

兵庫県豊岡市は南北に貫く円山川沿いの低湿地に開けた
町、湿った田んぼが豊かなエサ場となり、渡りを止めて
コウノトリはこの地にとどまるようになった。明治期か
ら保護の対象とされ、戦前には100羽以上を数えた。

ところが戦後は激減、71年野生の鳥が姿を消した。その
6年前から試みられていた人工孵化でも1羽のひなもかえ
らなかった。86年飼育していた最後のコウノトリが死亡。
ついに完全に絶滅した。

戦中戦後の燃料不足で営巣の場だった松の木を次々と伐採
した。戦後普及した乾田農法はエサとなる水生生物のすみか
を奪った。とどめをさしたのが農薬。

稲の害虫だけでなく、田んぼの生き物や小魚までも死滅させ
た。食物連鎖の頂点にいるコウノトリはエサになるほかの生
き物がよほどたくさんいないと生きられない。ありふれた生
き物も大切さを失ってからはじめて気づかされた。
(画像はイメージです)

生物多様性 ( 6 )  

2010-04-21 | 暮らし
人の言い分は分かるけれども生き物の言い分
はよく分からないことが多いですね。

人間の持つ力が自然に大きな負荷をかけてい
る。放っておくと生物多様性はますます劣化
し、取り返しのつかないことになりかねない

だから多様性の高い社会をつくらなけばなら
ないのです。一律ではない社会を

虫がそうですね。タデ食う虫も好きずきとい
います。俺はタデを食う、お前はクワを食う。
それでお互いが治まる。

これはタデだのクワだの、餌の用意がいろい
ろないと成り立たない生き方です。みんなタデ
ばかり食おうとしたら共倒れです。タデしか
食い物なくても共倒れです。だから、多様性
が高いことが必要なのです。

都市社会はどうかと見てみますと、どうみても
一律です。コンビニがあって、ファミレスがあ
って、パチンコ屋があって、スーパーがあって、
ガソリンスタンドがあって・・・。全国ほぼ変
わりません。

だから、都会も、田舎も必要なのです。都会だけ
が世界じゃありません




生物多様性 ( 5 )  

2010-04-20 | 暮らし
日本は言霊の幸う(さきわう)国である。まず言葉が
あり、その言葉によって物事が動く。

前回ふれましたように、「言葉は力持ち」ということ
なのですが、京大名誉教授だった四手井綱英さんの
言葉についての続編です。京大に赴任した54年には、
それまで「造林学」だった講座を「森林生態学」に
改めた。

造林というと人が管理して育てるという色合いが強
いですが「森林生態学」だと、木々と多様な生き物
を主役にして、人間は脇役に引くという意識の転換
でもあった、ようです。

同じく、京大名誉教授だった動物行動学の日高敏隆
さん(故人)は「動物はときに自然を破壊するが自
然を単純化はしない。しかし、人間は手を加えて単
純化する。単純化したもろい環境が世界に広がって
いる」―。生物の多様化ということなのでしょうか。

生物多様性 ( 4 )  

2010-04-19 | 暮らし
私事で恐縮ですが、言葉を理解できたかどうかの
基準を「人にわかるように説明できるか」にして
います。

温暖化は「温室効果ガスの増大により、気温の
上昇や気候変動が起こること」ぐらいは説明で
きるのですが「生物多様性」という言葉はまだ
説明できません。ということはまだ、わかって
いないーということになります。

環境省の調査によると「生物多様性」という言葉
は理解していても、約7割の企業は「自社の事業
のつながりは感じていない」という結果がでてい
ます。

このblogを見ていただいている貴方はどうでしょ
うか。そこで私はこう言い換えてみました。
「昔ながらの生き物のにぎわいをどう人のにぎわ
いと結びつけているか」。言葉の力は大きいと思
います。

よくご存知の「里山」という言葉、京都大学名誉
教授四手井綱英さん(故人)が生みの親でした。
1960年代に言いだしたそうですが「山里をひっく
り返しただけですが、これがぴったりきた」のち、
広辞苑にも載り、言葉とともに山里の豊かさが世
に知られてゆきました。

そこにあるのに、言葉がないために見過ごされて
いた、名前が与えられ、認識され顕在化する。
里山は人と自然が共存する、日本の原風景といえ
るでしょう。

さて、「生物多様化」という言葉、言葉の意味だ
けでなく「つながり」が広く知られるようになる
のでしょうか。(画像はイメージです)


生物多様性 ( 3 )  

2010-04-18 | 暮らし
生物多様性条約の目的は3つある。①、生き物を
生きている場所と一緒に保全する。②、持続可能
な形で使えるようにする。③、先進国も発展途上
国も納得できる制度をつくる。

自然は森を育み、食糧や木材をつくり、水の源に
なる。CO2(二酸化炭素)を吸収したり、水を蓄え
て災害を抑える緩衝地帯になったりする。

こうした恩恵ははかることが難しく、経済的には
ただ同然と思われてきた。生物多様性が人間にも
たらすさまざまな恵みを「生態系サービス」と名
付け、自然の価値をはっきりさせる試みが今、
世界的に進んでいる。

ただ、途上国では先進国に比べ、生物の分布調
など科学的データの蓄積が少なく普及もしてい
ない。

「生物資源をとられるだけで、自分たちには利
益がなく不公平だ」とする途上国の不満もある。
熱帯雨林やサンゴ礁など多様性のある場所は
偏っており、先進国が途上国と一緒に進むこと
が大事。例えば、コーヒーの産地と多様性が危機
にひんしている場所はかぶっている。他の国々と
つながって生活していることを認識しなければな
らない。

生物多様性 ( 2 )  

2010-04-16 | 暮らし
生物多様性の危機に世界はどう挑んでいくのだろう。
COP10では二つの大事な議題が話し合われるそうだ。
一つは10年目以降の指針となる「ポスト10年目標」
を決めること、そして、二つ目は食品や医薬品など
生物がもたらす利益を利用者と原産国で分け合う
ためのルールづくりである。現在の目標は
「10年までに生物多様性が失われる速さを著しく
減少させる」02年のCOP6で決められた。

国連が05年にまとめた「ミレニアム生態系評価」では、
地球の陸地面積の4分1はすでに農地になり、ダムが
せき止める水は河川の流量の3~6倍にのぼる。海産物
の生息量は、漁業が始まる前の10分1まで減り、生物種
の絶滅速度はこれまでの地球史の約1千倍になっている
といわれる。