花はなのつづり箱

季節に咲く花や日々の暮らしなど、綴っていきたいと思います。

敷島公園門倉テクノばら園 松林

2023-03-05 13:43:21 | お出かけ
 3月1日  敷島公園松林
  バラ園の隣にある松林は何十年ぶりか?で寄って見ました。
  この季節に来たのは初めてで 松ぼっくりが沢山落ちていました。

   林間学校発祥の碑や相撲の土俵などがありました。
  烏や雀が沢山います。
 池にはスワンのボート
  ↓カモも沢山いました。このカモはよく見るカモですが
  ↓このカモは羽根や頭の色など 始めて見るカモでした。
               (羽根の柄?が繊細で綺麗でした!)
カモの名前を鰊曇りさんに教えて頂きました。ありがとうございます。

 ヒドリガモ
     カモ目カモ科マガモ属に分類される鳥類の一種。
     オナガガモ、マガモ、コガモなどと並んで
     日本で最も普通に見られるカモ類です。
  なかよしの銅像の下に
沢山の鳩が足元に寄ってきます!
             

 お艶が岩像
 お艶が岩 伝説
  このお艶が岩にはこんな話が伝えられています。
  お艶とは実は淀君だったと言う事です。
  淀君と言えば豊臣秀吉の側室で慶長20年(1614年)大阪夏の陣に際し
  我が子秀頼と共に大阪城の天守閣で炎の中自刃したと伝えられています。
  所が対岸にある元景寺に伝わる話によりますと淀君は大阪夏の陣に
  出陣した総社城主秋元元長の陣に助けを求めてきました。
  長朝は淀君を籠に乗せ木曽路を通って総社に帰りました。
  もちろん当時淀君を匿ったとあっては大変な事ですから
  大橋の局と呼んでいました。その後幾星霜この城で何不自由なく
  過ごして居た淀君でしたが過去の悲哀に耐えきれずこの城で
  ついには世を儚んでこの岩の上から利根の激流に身を投じたといいます。
  語り継がれて行く内に何時しかお艶に変わり誰言うと無く
  この岩をお艶岩と呼ぶようななったと言う事です。
   
 
 総社の元景寺には淀君の墓と言われるお墓があり淀君が使ったと言う
 お籠も残っています。なおここにあるお艶観音像は敷島公園愛護会が
 3030年忌に際して昭和34年4月に日展審査員山本雅彦氏に
 制作をゆだね建立したものです。

   
   初めて知りびっくり⁉でしたが。。。
   元景寺を調べて見ましたらここから10分位で行けそうなので
   お墓やお籠がみられるならと行って見る事にしました。

                           次回で
コメント (4)
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